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原爆が投下された直後、巨大なきのこ雲の下では何が起きていたのか。 その惨状を記録した写真が、世界でたった2枚残されています。 いずれも投下3時間後に、「御幸橋」(みゆきばし)という橋の上で撮影された写真です。
御幸橋は壊滅地帯のすぐ外側、爆心地から2.3キロに位置し、火災をかろうじて免れました。そのため、街の中心部から逃れてきた人々が最初に一息つくことができた場所だったのです。写真にはそうした人々の姿が数多く写っています。
取材を進めて行くと2枚の写真に写っている女性と、橋のたもとに座っている男性が、今も健在であることが分かりました。河内光子さんと坪井直さんです。
河内さんの斜め前にいた女性は、黒こげになった赤ちゃんを抱いていました。「起きて」と叫びながら必死に揺すりましたが、赤ちゃんが起きることはありませんでした。
「起きることのなかった赤ちゃん」
河内光子さん
被爆地点:爆心地から1.6kmの屋内
坪井さんの目の前でうずくまる若い女性。裸の上半身は焼けただれていました。その奥には治療を受ける気力もなく横たわったまま亡くなっていく人の姿がありました。
「死の前の雰囲気」
坪井直さん
被爆地点:爆心地から1.2kmの屋外
トラックの荷台に軍人たちが負傷者を乗せていたとき、幼い少女がトラックに歩み寄り乗り込もうとしていました。「女、子供は後回しだ」と軍人にどなられた少女は燃えさかる街の方に走り去っていきました。
「目の前で行われた命の選別」
やけどで皮膚がめくれた腕がこすれないように両手を突き出した人。爆心地の方から大勢やってきたといいます。やけどを負った人々は体内の水分が急激に奪われ、水を求めて亡くなりました。
「熱線で負った大やけど」
多山壽夫さん
被爆地点:爆心地から2.2kmの校舎内
逃げる途中、大やけどを負い倒れている人に呼び止められた西岡さん。実はその人は同じ学校の上級生でした。「水を持ってこい」と命令され水を探しますがどこにも蛇口は無く、水をあげることはできませんでした。
「上級生にあげられなかった水」
西岡誠吾さん
被爆地点:爆心地から2.2kmの屋外