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2月3日の過去ニュース

2/3の過去ニュースから3本 ①ミカンコミバエ 根絶宣言 ②永井隆博士 生誕100年 ③絵手紙の碑 除幕式

①【ミカンコミバエ 根絶宣言】昭和61年2月3日、農林水産省は、かんきつ類やパパイヤ、トマトなど、多くの果物や野菜の害虫「ミカンコミバエ」の根絶宣言をしました。ミカンコミバエは、大正時代に、東南アジアから南西諸島や小笠原諸島に入ってきた熱帯果物などの大敵で、長い間栽培農家を苦しめてきました。オスを引き付ける香料と、殺虫剤を組み合わせた新しい駆除法で子孫を減らしていき、最後まで残っていた八重山諸島でも、根絶を確認したのでした。これまで県外に出荷できなかったかんきつ類やマンゴー、パパイヤなどの果物の栽培が、これを機に大きく伸び、この地方の農家に明るい展望をもたらしました。

②【永井隆博士 生誕100年】平成20年のこの日、長崎市で原爆で被爆しながらも救護活動を続けた医師 永井隆博士の生誕100年を記念する式典が開かれました。原爆投下で妻を失った永井博士は、自ら病床に就いてからも、原爆症の研究や執筆活動に打ち込みました。最後は、僅か2畳の如己堂で、数々の作品を世に送り、昭和26年、愛する2人の子どもを残して、この世を去りました。自らの被災体験をつづった「長崎の鐘」は、その後、歌が作られ、戦後の名曲として今も歌い継がれています。あの日長崎は、せみしぐれの夏でした。白いせん光が、多くの命を奪いました。永井博士をしのぶ催しが、この年各地で開かれ、人々は、平和への願いを新たにしました。

③【絵手紙の碑 除幕式】平成22年のこの日、東京郊外の狛江市(こまえし)で、巨大な絵手紙が飾られた記念碑の除幕式が行われました。狛江市は、絵手紙という言葉がまだ知られていない昭和56年、親子を対象にした「絵手紙教室」が初めて開かれたことから、絵手紙発祥の地を宣言。さまざまな活動を続けています。大きな絵手紙には、馬に乗った女性が描かれ、“動かなければ出会えない”という言葉が添えられています、記念碑のデザインをした日本絵手紙協会の小池会長は、メール中心の世の中だからこそ、絵手紙の持つ温かさを大切にしたいと語っていました。

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