発掘ニュース

No.278

2020.10.23

音楽

“バタヤン”こと田端義夫さんのお宝映像

歌手の田端義夫さんギターを抱えた独特のスタイルと“バタヤン”の愛称で親しまれました。今回は田端さんの事務所からご提供いただいたお宝映像の数々をご紹介します!

◆こよい歌えば<1963年>

まずご覧いただいた動画クリップは、1963(昭和38)年放送の『こよい歌えば 田端義夫とともに』宮田輝アナウンサー司会のもと、「かえり船」「人生この一番」を歌っている44歳の頃の歌声をお聴きいただきました。

「かえり船」は終戦直後の昭和21年、復員兵の心情を歌い空前の大ヒットとなった田端さんの思い出の曲の一つです。

テレビ画面をフィルムで録画したキネコの映像のようですが、どういった経緯でこの映像が残されてきたのかは分かっていません。

◆ふるさとの歌まつり<1967年>

続いては『ふるさとの歌まつり』。鹿児島県奄美大島の名瀬からの公開生放送です。

司会はこちらも宮田輝アナウンサー田端義夫さん三田明さんがゲスト。

生放送でお送りしていたこの番組、後半は超満員の客席(小学校の体育館)の中に出演者の皆さんが入り込んで大盛り上がりの中での放送。田端さんは地元の民謡も一緒に歌い、たくさんの拍手と声援を浴びていました。

◆ビッグショー<1975年>

こちらの“お宝映像”『ビッグショー 田端義夫~健在なりし田端ぶし~』(1975年放送)。スタジオにはファンの皆さん!『ビッグショー』でここまで近くに観客の皆さんが入るのは珍しく、ファンにとって身近な存在である“バタヤン”らしい光景です。

ゲストには当時のプロ野球・ロッテ監督で前の年にチームを優勝に導いた金田正一さん
そして高島忠夫さん。偶然にも去年亡くなられたお二人…。

司会者や俳優として活躍した高島忠夫さんが、田端さんと一緒にギターを演奏する貴重なシーンも…。

昭和37年、ヒット曲がなかなか出ない時期が続いていた田端さんが、「島育ち」の大ヒットでカムバックを果たしたときに、高島さんが作り贈ったという曲を2人で披露しています。

◆海外ニュース<1979年>
こんな映像も…!

1979年、アメリカ・ラスベガスのカジノで大当たり!ニュースに登場しました。
アナウンサー「『大利根月夜』や『かえり船』で知られる歌手の田端義夫さんが、28日、ラスベガスのスロットマシンでギネスブックの記録を塗り替える29万ドル、6300万円の賞金を獲得しました。スロットマシンは当たればコインが出てくるのが普通ですが、田端さんの当たりは大きすぎ、ホテルの社長さんが29万ドルの小切手を手渡しました。…スロットマシンに挑戦すること2時間、300ドルの元手をかけたところで、目の前に数字の7が5つ並んで大当たりのジャックポットになったということです。」

「ネクストタイムはこのホテルを持って帰りますよ」とジョークで笑わせた田端さん。ニュースの最後はこんな風に締めくくっていました。
「400万分の1の確率で手にしたこの大金は、しかしアメリカと日本の両方でかなりの額が税金に消えそうです。」

◆黄金のいす<1964年>
最後にもう一つ、昭和30年代の貴重な映像をご紹介します。

『黄金のいす』。作詞家や作曲家、歌手のなかで優れた業績を上げた人を取り上げ、その人の作品を紹介する番組でした。

司会はやはり宮田輝アナウンサー。番組の後半、奄美大島の施設の子供たちに寄付をしたことから手紙の交流が続いている話題にふれ、田端さんが子供たちに歌のプレゼントをします。
「みなさん元気ですか?おじさんはこれから歌いますよ。おじさんが子供時代、一番好きだった歌。悲しい時も嬉しい時も、いつも歌った歌があるんです。それは『浜千鳥』のうた、皆さん知ってるでしょう?一緒に歌いましょう。」

発掘された映像には、苦難の連続だったご自分の少年時代を思い出し、涙をこらえきれず歌う田端さんの姿が残されていました。最後に動画クリップでご覧ください。

田端義夫さんの事務所の皆さま、大切に保存していた映像の数々を提供いただき本当にありがとうございました。

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