発掘ニュース

No.230

2019.04.19

スポーツ

ラグビー伝説の新日鉄釜石 7連覇の軌跡を発掘!

前回に続きラグビーの発掘をご紹介!
日本ラグビー界の頂点を決める日本選手権、1979年から85年まで、前人未到の7連覇(※)を成し遂げたのが東北・岩手県の新日本製鉄釜石です。(現在は地域クラブチーム「釜石シーウェイブスRFC」)<(※)その後、神戸製鋼も1988~94年に7連覇を達成>

ところが7連覇した試合の中継映像は、いずれもNHKに全く残っていませんでした。そこで発掘です!


1985年 7連覇達成(2013年土門アナ提供)

1984年と85年の2回の決勝戦の録画ビデオを、実況を担当した土門正夫アナウンサーから6年前に提供いただき、今回、選手として出場していた千田美智仁さんからの提供により、一気に7連覇の日本選手権が全てそろう大発掘となりました!

では、今回発掘された日本選手権の試合を見ていきましょう!

◆1979(昭和54)年 伝説はここからスタート!

まずは1979年1月15日に生中継された第16回日本選手権。当時は大学日本一と社会人日本一による日本一決定戦!この年は日本体育大学新日鉄釜石の対戦でした。

水色のユニフォームが日体大、新日鉄釜石です。

釜石といえば何といってもこの人…!

松尾雄治さん!日本を代表するラガーマンでポジションはスタンドオフ、司令塔の役割です。日本ラグビー史上最高のスタンドオフと呼ばれる松尾選手、当時24歳。

前半は、松尾選手の独壇場です!

前半9分でまず1つ目のペナルティーゴールを決め3対0。さらに38分にも相手の反則からペナルティーゴールのチャンスを得て6対0。

大漁旗を振る釜石の応援団、4台のバスを連ねて150人あまりのファンが国立競技場に応援に!松尾選手連続ペナルティーゴールに大興奮!さらに…

パスを受けたボールを直接蹴ってゴールを狙うドロップゴール!!低い弾道で見事決め、前半はすべて松尾選手のキックによる得点で9対0!

後半も松尾選手ペナルティーゴールで12対0と新日鉄釜石がリードを広げた後、
今回録画テープを提供してくれた千田選手がこの試合初めてのトライを決めます!
「この突進ばかりは日体大も抑えきれませんでした!1メートル83センチ、87キロ。今年20歳という若手の千田、見事な突破!」

日体大は後半、新日鉄釜石の陣内で見せ場を何度も作りましたが、終わってみれば完封の24対0で新日鉄釜石が2年ぶり2回目の優勝!7連覇への一歩を踏み出したのでした。

◆1980(昭和55)年 松尾さんの母校、明治大に快勝し連覇!

翌年の1980年1月15日に放送した明治大学との日本一決定戦です。

なんと試合開始直後、キックオフしたボールを、レフリーがホイッスルを1回も吹かないまま新日鉄釜石トライ!いわゆる「ノーホイッスルトライ」で先制。

2日前に東京に降った大雪の影響でグラウンドはかなりぬかるんで、両チームともにドロドロになりながらの試合。新日鉄釜石が一方的なリードのまま後半のロスタイム。

明治大がこの試合初めてのトライを決め、2年連続の学生代表完封負けを防ぎました!

◆1981(昭和56)年 7連覇で釜石が最も苦しんだ好ゲーム!

史上初の3連覇を目指して学生チャンピオンの同志社大学と対戦した1981年。この試合は同志社大が学生らしい積極的な攻撃を見せ、試合開始から押され気味の新日鉄釜石です。

前半10分、同志社大のスタンドオフ・森岡選手の意表を突く思い切ったドロップゴールで先制、先取点は同志社大!新日鉄釜石は、この試合唯一のトライで逆転しペナルティーゴールで点を重ねましたが、終始、同志社大に押され気味。勝ったとは言え、10対3。7連覇中、もっとも小さい点差でした。

苦戦の末、史上初の3年連続優勝!釜石から来た応援団も大喜び!キャプテンとして初めて日本一の座に就いた松尾キャプテンのインタビューもありました。

松尾キャプテン「最初、ずいぶんボールが取れなかったもんですから、やはりバックスとしてはあせっちゃって。まあしかし、負けるという気は実はしなかったんです。同志社は頭から鋭い突っ込みで、学生らしくぶつかってきたという感じで、それをうちは受けてしまったという形でしたね。…トライを取りたかったんですが、今までの学生とは違ってなかなか取らしてくれなかったです。」

◆1982(昭和57)年 残り6分まで1点差!4連覇を脅かした明治!

1982年は再び松尾キャプテンの母校・明治大学との日本選手権。試合は新日鉄釜石が先手、しかし明治大もトライとペナルティーゴールを決めて逆転!さらに新日鉄釜石も反撃して再逆転!

後半にも1トライ、1ペナルティーゴールを決めて明治は1点差に迫ります!しかも強い当たりを何度も見せ試合は明治大の流れに…。

ところが…!残り6分、松尾選手がインターセプトからグラウンドの半分ほどを駆け抜けてトライ!緊張の糸が切れたのか、明治大はわずか5分ほどの間に2つのトライと1つのペナルティーゴールを許し、終わってみると30対14のダブルスコア。

実況の土門正夫アナウンサーと、解説を担当した日比野弘さんも…

土門アナ「去年の同志社、今年の明治と、(社会人との)差はそう無いんだよ、いけるんだよ、射程距離なんだよという感じがハッキリしましたよね。」
日比野さん「このスコア、30対14という記録に残すときには、印をつけて、6分前までは1点差だったと書いてほしいくらいですね。」

そして勝利監督インタビューはプレイングマネージャーとしてチームを率いた森重隆監督

森監督「ちょっと焦りました、ひょっとしたらという感じが。…あれ(松尾選手のインターセプト)で、うちのペースに。セーフティーリード、7点差になったので思い切っていこうということになりました。」
アナ「全国のラグビーファンが、来シーズンも森さんのプレーを見られるのかどうか?心配している人もいるのですが。」
森監督「きょう、酒を飲みながらゆっくり考えます。やっと正月ですから。」

森重隆さんは当時30歳、このあと現役を引退しました。

◆1983(昭和58)年 松尾選手兼監督のもと、ついに5連覇!

新日鉄釜石の効果もあり、この頃ラグビーは大変な人気だったようです。成人の日の国立競技場は超満員!立ち見のお客さんも含めて6万数千人の観衆です。

同志社大学と対戦した、この年の試合の名シーンの一つがこちら…

プレイングマネージャーとしてグラウンドに立つ10番を付けた松尾監督。華麗なステップで同志社大のディフェンスをすり抜けトライを決めます!
実況アナ「松尾が右サイド!抜け出した、さあ、抜け出した!またサイドステップ、上手い!松尾独壇場、トライ!素晴らしいステップワークであります。…ステップの上手さ、スキーのスラローム、回転を見るようですね!」

21対8で新日鉄釜石が勝ち、5連覇!

松尾監督洞口キャプテンがインタビュー。華麗なステップワークについて聞かれて…
松尾監督「チームをリードしている立場から、自分が良いプレーができたということは、本当に嬉しいですね。」
アナ「必ず5連覇やってくれるというファンの皆さん、釜石市民の期待がずいぶんあったと思いますがプレッシャーは?」

松尾監督「正直言ってプレッシャーになりました(笑)もう来年からはあんまりプレッシャーをかけないようにお願いいたします。」
洞口キャプテン「もうプレッシャーがかかって…でも勝てて満足です。」
アナ「どうして5連覇なんてできるんですか?」
松尾監督「みんなラグビーが好きだからじゃないですか。」

新日鉄釜石の伝説は1984年の6連覇、1985年の7連覇へと続いていきます。

一つの試合の中継をまるごと見られる楽しみは、生で見ていた人たちと同じような臨場感をもう一度味わえることです。たとえ結果が分かっていてもドキドキしながら次の展開を期待してしまう不思議な楽しみがあります。

語り継がれている、名プレー、名シーンが発掘によってよみがえりました!

提供してくれた千田美智仁さん、本当にありがとうございました!
ラグビーワールドカップ2019が日本で開かれる記念の年、過去の名勝負を皆さんに楽しんでいただける機会を何かの形で設けたいと思っています!

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