発掘ニュース

No.218

2018.12.21

スポーツ

テニスのレジェンド、神和住 純さんから発掘!

今回の発掘はテニスで日本人ツアープロ第1号として活躍した神和住 純さんです!

現在71歳の神和住さん「エアーK!大坂なおみ!」とラケットを振りながら登場!

武内陶子アナ「エアーKは錦織圭さんの技ですよね?」
神和住純さん「今日はエアー“カミワズミ”です!(笑)」

おなじみ『ひるまえほっと』(関東甲信越のみの放送)の「発掘!お宝番組」で発掘番組の思い出を語ってくれました。

まずは、世界での活躍が素晴らしい錦織圭選手大坂なおみ選手について…
「日本人のプレーヤーでここまで活躍できるとは正直思ってなかったです。大坂なおみさんは今までになかった選手。伊達公子さんや、沢松奈生子さん、杉山愛さんのように、日本人の女子はフットワークでしつこく勝てたんです。ところが大坂選手は時速200キロ近いサーブで、錦織圭と同じくらいのスピード!入ったら取れないでしょ。…これに昔の伊達さんみたいにフットワークがすごく良くなったら、どれだけ勝つか分からない!まだ21歳ですからね。」

その50年近く前にテニス界のパイオニアとして活躍した神和住さんの歴史から…

石川県生まれ神和住さんは、ご両親ともに軟式テニスの全日本チャンピオンという、まさにサラブレッド!お父さまからラケットをプレゼントされ中学から軟式テニス、高校では硬式テニスに。先輩たちがインターハイで既に優勝しているテニスの強豪校で、厳しい練習についていくのに必死だったそうです。でも…

「ちょっと自慢していいですか(笑)2年半でインターハイ優勝しちゃったんです!すごくないですか?これプチ自慢なんです。大学ではインカレ3回とって、全日本でアマチュアで3連勝して、そののちに(プロで)賞金稼ぎ!」

そんなテニスのレジェンド・神和住 純さんの発掘映像、まずご覧いただいたのはこちら…

1972年放送の『テレビスポーツ教室「テニス」』、神和住さんのバックハンドのショットを分析しています。

解説「バックハンドが日本の選手の中で一番上手いのではないかということで出てもらったんです。非常に腰の回転とか、ボールの当たる位置、ラケットを引いた時の面、そういう使い方が上手いんです。ですからボールの当たる位置一つを見ても、ほとんど変わっていない。極端に言えば電子計算機よりも正確に、打つポイントが絶えず一緒であるということです。」

「軟式テニスというのはフォアハンドで打ったら、バックも同じ面で打つんです。硬式テニスはフォア打ったら、バックは反対側の面で打たなくちゃいけないんで全然打てなかったんです。それで朝練で授業始まる前にとにかくバックハンド、バックハンドで、他は打つなといわれて。バックばっかりやってるうちにバックが上手くなったんです。」

そして26歳の時に、日本人初のプロトーナメントプレーヤーに!

「昔はアマチュアリズムが凄くて、テニスでお金を稼いで賞金を取ったらいけないという…今じゃ考えられないですよね。そういうアマチュアリズムが徐々に崩れ始めて、テニスがオープン化してプロでもアマチュアでも出られるようになったんです。私は、その過渡期なんです。」

2本目の発掘映像は、そのプロトーナメントをNHKで中継した貴重な映像です。

1975年、神和住さんがプロ2年目の時に東京で開かれたプロトーナメントの試合。対戦相手は格上のイギリス人選手。第1セットを神和住選手が取り、接戦が続きます。

実況「神和住くんがプロになって一番痛感したのは、最後の最後まで試合をあきらめないということ。最後まで執拗にやるということだと言っております。」

マッチポイントから相手のミスを誘い、2-0で2回戦進出を決めます!
実況「文句のない勝利ですね。」

「カッコイー!素敵~!」とスタジオの武内アナと島リポーター。

アマチュアとプロの違いとは??
「プロは勝って賞金が倍になる、負けたら半分、ポイントランキングも半分。ウィンブルドンなんかでも、予選落ちすると自分で地下鉄の切符を買って帰る。本戦に入ったら車で迎えに来る。

シードプレーヤーにならなきゃいけない、勝たなきゃいけないというのをプロになって初めて感じました。足を怪我していても、やればポイントをもらえる、プレーすればお金がもらえる。痛い痛いといいながらずいぶんやりました。」

さて次の発掘番組は、ガラッと変わって“旅番組”!

自分の苗字“神和住”のルーツを探るため、石川県の能登を訪ねた当時28歳の神和住さん。この日は大雪でバスが動かなかったため峠道を歩いたそうです。するとバス停に“神和住”の文字

雪道を歩いているおばあさんに「このあたりに神和住という人は住んでいますか?」と聞くと、「そんな名前の人はいないわ。」

この地区の歴史に詳しい人に尋ねると、村を出た時に初めて“神和住”を名乗ることが出来るんだそうです

「私が5代目なんです。純、タダシ、キョウタ、ヨネキチ…、そしてモスケっていう人が第1号なんです。村から出たモスケさんが“神和住”を名乗ったんです。…能登の民話で、悪いサル鬼を退治して神様が平和に住むようになったので、“神和住”。」

最後にご覧いただいたのは、この番組…

1986年放送の『連想ゲーム』です。

吉川精一アナ「テニスでお馴染みの神和住さん、初登場いかがなご気分でしょうか?」
神和住さん「ドキドキしております。テニスの方が楽ですね~。」

「コーチ」という問題に正解!コーチしやすいのはどんなタイプの人ですかと聞かれ…
「やはりクセのない方ですね、素直に聞くことですね。」

神和住さんにとって映像を残しておくことの意味合いとは?
「私たちの時代はテニスの中継がほとんどなかったんです。ですからデビス杯をNHKが中継したりしたものをベータマックスで録ったり、とにかく自分のプレーを録っておきたいのと、ショットがどういう感じかと、相手の戦略がありますよね。どういうところで勝って負けたのか。私は割と几帳面でいろんなのを録っておいて、役に立って良かったです。」

テニスのレジェンド神和住純さん、テニス中継はじめ貴重な番組をご提供いただき、さらに楽しいお話をありがとうございました!

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