No.216
2018.11.30
音楽
『のど自慢』日本一チャンピオンから発掘!
アーカイブスでの保存が少ない番組のひとつに『NHK のど自慢』があります。このホームページの「発掘重点番組」のコーナーにも書いてあるように保存率は33%(現在も続いている番組なので1990年度までの数字)。特に70年代までは多くが残っていません。
今回提供いただいたのは1977年3月13日、青森県八戸市からお送りした放送回です。
司会は金子辰雄アナウンサー。1970年に『のど自慢素人演芸会』から『NHKのど自慢』にタイトルが変わり、その年の8月から金子アナが司会を担当、その後17年間にわたって“のど自慢の顔”として全国を旅しました。
この回のゲストは二葉百合子さんと新沼謙治さん。お二人と一緒に烏帽子の巨大版がステージに登場!「八戸えんぶり」という春を呼ぶ郷土芸能で被るのだそうです。
今も昔も『のど自慢』ではまず、その土地の名物や特徴をご紹介します。
そして今回、映像を提供いただいたのはこちらの方!
「20番、『さざんか』」
緊張した雰囲気も無く、にこやかに登場したのは松尾進さん。
歌った曲は森進一さんの『さざんか』です。優しい声で歌い始め、サビになると力強く熱唱。見事に鐘を鳴らし合格!
金子アナ「力いっぱい歌ってくれました!おところと、お名前を聞かせてください。」
松尾さん「八戸に住んでおります松尾と申します。」
金子アナ「松尾さん、お仕事は何でございますか?」
松尾さん「バスの運転手をやっております。」
金子さん「とっても一生懸命やってくださいました。ありがとうございました!」
そして、この回の合格者8人の中からチャンピオンに!これが快進撃のスタートです。
ほぼ1年後の1978年3月12日放送、『NHKのど自慢 東日本大会』です。宮城県の宮城県民会館で行われました。
「こんにちは。今年はテレビが放送を開始いたしましてから25周年になります。それを記念いたしまして特に今年は『のど自慢 日本一大会』が3月21日にNHKホールで開かれます。今日は、その準決勝ということで東日本大会でございます。」
関東地方から北の24人のチャンピオンが集まり、日本一大会の7つのイスをめぐってしのぎを削る“準決勝”。松尾さんは22番目に登場。
八戸での『のど自慢』の時よりやや緊張した表情でしたが、見事に「さざんか」を歌いきりました!歌い終わった後のインタビューでは、青江三奈さんからバスの運転手のお仕事の話を聞かれていました。
審査委員長の藤山一郎さんが「日本一大会」に出場する7人を発表。民謡3人、歌謡曲4人が順に呼ばれ、松尾さんも無事、代表に入りました!
「いやー、夢のようですな。」という松尾さんに金子アナが「夢じゃないですよ。ほっぺつねってご覧なさい。」「痛いですね。」と笑顔がこぼれました。
そしていよいよ1978年3月21日放送『NHKのど自慢 日本一大会』!会場はNHKホールです。昭和52年度、全国の予選に参加した皆さんは合わせておよそ2万人。その頂点を目指す14人の一人として松尾さんは出場。どんどん、おしゃれに、格好良くなっていますよね!
歌も、素人の私が聞いていても、どんどん上手くなっているのがわかります!
東日本大会で代表に選ばれた時に「夢のようだ」と話したことを聞かれると、「NHKホールで歌えたことも夢のようです」と答え、またほっぺをつねっていました!
そして…
ついに日本一に!!
やはり最後も!
金子アナ「松尾さん!夢じゃないですね?もういっぺん、つねりますか?」
松尾さん「思いっきり…痛いです!応援してくれた皆さんのおかげだと思っています。」
貴重な『のど自慢』のビデオを提供してくださった松尾さんは現在69歳、今もバスの運転手を続けていらっしゃいます!
「当時は29歳でした。日本一になったあとは、職場はじめ地元でお祝いをしてもらいました。当時はカラオケがまだ無かったので地域のバンドの演奏で歌っていたのですが、イベントなどで何十回と歌いました。もちろん『さざんか』です。カラオケが世の中に出回るようになってからは、“カラオケ大会”の審査員兼ゲストとして呼ばれることが多くなりました。」
情報提供してくれた同じ会社の福士博輝さんと
最近でも年に何回かは審査員やイベントの司会も務めていらっしゃるという松尾さん。
これからも素晴らしい歌声を響かせくださいね。貴重なビデオテープを提供してくれた松尾さん、そして松尾さんがビデオをお持ちだということをホームページに投稿してくれたバス会社の同僚の福士博輝さん、本当にありがとうございました!
さて、実は最後にご紹介した日本一大会のビデオには続きがあるんです!?
ここから先は次回に…。