発掘ニュース

No.188

2018.03.30

ドキュメンタリー/教養

唱歌「ふるさと」のルーツを探る『スポットライト』

教科書では語られない出来事に“スポット”を当てたユニークな歴史番組『スポットライト』から、またまた興味深い発掘です!

1975年放送のこの回、テーマは文部省唱歌でお馴染みの「ふるさと」当時、ようやく作詞者と作曲者が明らかになった「ふるさと」のルーツを探ろうという1本です。午後7時30分に放送開始なのですが、残念ながら最初の10分ほどが欠けています。

司会は漫画家の赤塚不二夫さん『スポットライト』は初代のフランキー堺さんはじめ、永六輔さん米倉斉加年さんなど個性豊かな皆さんが司会をつとめましたが、赤塚さんの司会は極めてレアで貴重な発掘です!

番組は何人かの関係者が、赤塚さんのインタビューに答える形で証言し進んでいきます。

まず作曲者・岡野貞一さんについて

証言者の一人、東邦音楽大学教授(放送当時)の小出浩平さんです。自分の著書に「ふるさと」の曲について書いたことを岡野貞一さんに話したときの様子を語っています。
「“ふるさと”を歌っていると、つい涙ぐまずにはいられないものである。上品な作曲だ、云々…というのを(岡野)先生にお目にかけたんです。そうしたら『それはお前、あんまり俺の肩を持ちすぎるよ…。いや、しまった!俺が作ったんじゃない、他人のもんだ!』それ以降、私たちは(“ふるさと”を)先生の曲としたんです。」
では、岡野さんは何故自分が作曲者であることを隠していたのでしょうか??

岡野貞一さん『ふるさと』の作曲者であると正式に認定されたのは、亡くなって25年以上経った昭和42年のこと。当時の事情について…

日本音楽著作権協会の委員の一人として作曲者の解明に尽力した長谷川良夫さんは。
「作者の氏名を隠していた事情の一つには、“著作権”に対する認識が今とまるっきり違って遅れていた。もう一つは、公の機関で編さんした著作物の場合には個人の名前を出さないという習慣がずっと以前からあって、これは昭和10年頃まで残っていました。滅私奉公みたいな、公のことには自分を捨てるという精神的なものも無かったとは言えません。」

続いて作詞者・高野辰之さんについて

証言者は娘の高野弘子さんです。

赤塚さん「高野さんが“ふるさと”のことをお父さんから聞いたのはいつ頃のことですか?」
高野さん「小学校の5、6年頃、歌を習いました時に、家で歌っておりましたらそんなことをちょっともらしました。」

赤塚さん「お父さんが、私が作ったんだよということをですか?」
高野さん「はい。それでも口止めされまして。その頃、文部省のことを“お役所”と言っておりまして、“お役所”のことは一切、口にしてはいけないと口止めをされておりました。」
赤塚さん「それで全然おっしゃらなかった。最近になって公になさったということは?」
高野さん「もういいんじゃないかと。お弟子さんたち、井上武士先生たちのお勧めもありまして。」

赤塚さん「実は長谷川先生は、東京音楽学校当時、高野辰之先生の教え子だったそうですね。どんな人だったんですか?」
長谷川さん「でっぷり太ってね、磊落(らいらく)な方でしたね。ただ口を開いてお話をしますと、たちまち本領発揮でご自分の専門の話になるわけです。…国文学のほうで独自に新しい領域を開拓されました。これが『日本歌謡史』というんです。」

赤塚さん「当時、教え子に唱歌のことは何か言ってらしたんですか?」
長谷川さん「唱歌そのものについてはおっしゃらないんです。生意気な音楽学校の学生たちに、一方で学者としての業績を持っている方で、子供の歌を作ったということを改めて口にするというお気持ちも無かったのでは?決して軽く見ていらしたわけでもないと思いますが。」
赤塚さん「少しは照れていらっしゃった?」
長谷川さん「少しどころか、だいぶそれはあったかもしれません(笑)」

正式に“ふるさと”の作者として認定された2人、このコンビは他にも私たちが口ずさんでいる唱歌を作っています。

『おぼろ月夜』『春の小川』『春がきた』『もみじ』…

娘の高野弘子さんが何より印象に残っているのが『春の小川』だと語っています。
「よく父と散歩いたしました。そのあたりを歌ったそうでございます。私が小さい頃、(東京の)代々木は“代々幡村代々木”でございまして、静かな寂しいところでした。今の小田急線の参宮橋駅から西のあたりはずっと田んぼでして、NHKの下あたりまで田んぼがあったんじゃないかと思います。その傍らを流れていたのが小川で、春になりますとスミレやレンゲが咲いて小鮒やメダカが泳いでおりました。あの歌の通りでございます。」

番組では最後に“ふるさと”の舞台となった場所はどこなのか?高野辰之さんのふるさと、長野県を訪ねています。

辰之さんの甥にあたる方に、“かの山”そして“かの川”を案内してもらいます。
歌ができた頃は小鮒、ハヤ、カジカがたくさんいたそうですが、取材当時でも、すでに小魚が少しいる程度に姿が変わっていたそうです。

番組中、今回発掘された20分弱の中に『ふるさと』が3回流れます。おそらく欠落している10分ほどの間にも当然使われているでしょう。何度聞いても心に響く不思議な力を持った唱歌です!

今回の発掘は、岐阜県にお住まいの視聴者の方から提供いただいた、お父様が録画したUマチックテープに残されていた1本です。ありがとうございました!

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