発掘ニュース

No.127

2016.10.28

情報番組

“小鳩くるみ”から大学教授へ~鷲津名都江さん

月に一度放送している『ひるまえほっと』「発掘!お宝番組」(関東地域のみの放送です)、今回のゲストはこの方!

“小鳩くるみ”さん、当時18歳です!1963年から4年間放送された『ドレミファ船長』の映像、NHKに残る“小鳩くるみ”さんの最も若い姿です。

その後、『おかあさんといっしょ』では10代目・歌のお姉さんに。

またNHK初の高齢者向け生活情報番組『お達者ですか』では司会に抜擢されました。子供からお年寄りまで大人気だった“小鳩くるみ”さんです!

現在は本名の鷲津名都江(わしづ なつえ)さんとして、大学で教授をなさっています。
「恥ずかしいですね、昔のものが出ますと…(笑)」

鷲津さんから提供いただいたビデオテープは全部で51本!

「一番最初の頃はUマチックという、大きい、このくらいのカセットで当時のお値段で1本1万円だったと思います。とてもお高くて、そのまま保存しておくということが大変でした。それで、自分で見て“ここは気をつけなきゃ”とか反省をして、すぐに上に録り直してしまうということが多かったので…。

自分でVHSに編集をして…、ですから自分のところだけしか残っていないものも。申し訳ないです(笑)」

番組では写真を何枚か使って鷲津さんの子供時代の活躍を紹介しました。
ホームページは特別編!番組では紹介しなかった貴重な写真も公開。“小鳩くるみ”誕生の歴史を振り返ります。

まずは、舞台デビューとなった日劇『秋の踊り』<1952年>。当時4歳!史上最年少での出演でした。

そのきっかけとなったのは…

NHK名古屋放送局の公開ラジオ番組『声くらべ腕くらべ子供音楽会』への飛び入り出演でした。当時3歳、家族で外出した際、“当日受付けあり”との看板を見た母親が兄妹全員を申込み、急きょ出演が決まりました。結果は47人中ただ1人だけ合格の鐘!華麗なキャリアをスタートさせた瞬間でした。

天才童謡歌手の登場は瞬く間に噂となり、本格的なレッスンを受けるよう勧められ上京。
『くるみ芸術学園』へ入学しました。この学校の名前が芸名“小鳩くるみ”の由来になりました。

NHKテレビデビューは何とテレビ試験放送の番組<1952年>への出演でした。
大人の中に交じり、膝の上に座って可愛がられていますね!当時の人気ぶりがうかがえる貴重なひとコマです。

テレビ初レギュラー出演となったのが、先ほどご紹介した幼児向け音楽教育番組『ドレミファ船長』<1964年>。歌の上手なドレミファ船長とその仲間が、航海途中で出会った人々に音楽を披露するという冒険音楽劇です。高校に通いながらの出演でした。

そんな鷲津さんが、人生の中で最も影響を受けたという番組がこちら!

『ドレミファ船長』の後継番組として1966年にスタートした『なかよしリズム』。その初代お姉さんとして6年間出演しました。

「はーい!みんな元気?」
「きょうは何して遊ぼうかな?」
「今日はね、これなのよ。いいでしょう!」

『なかよしリズム』はそれまでの子供向け音楽番組からイメージチェンジを図ります。
大人と同じテンポやリズムで音楽の楽しさを伝えようという新しい試みです。

プロのダンサーを起用し、振り付けに4日間かけて綿密に練り上げられたプログラムでした。

Q 歌にダンスに楽器の演奏まで!収録は大変だったのでは?
「子供のころから歌ってきた童謡や日本の歌とは全然違いました。初めて日本の幼児番組にバート・バカラックだとか、ビートルズやロックナンバーを取り入れたものでした。」

「今までの幼児番組と全く違うものを作りたいというスタッフのポリシーで、子供が見るといっても大人が見て満足出来るようでなくてはいけない。踊りも、子供が真似をできる踊りよりも、真似ができなくても本場のミュージカルのように大人が“あっスゴイ”と思える番組にしたい。」

「ですから私にとってものすごく大変で…でも今までの私の路線だけでは決して打ち破れなかった色々なことに挑戦させていただけて、本当に貴重な良い体験をさせていただきました。」

この日スタジオには、当時『なかよしリズム』の演出を担当した五十野惇(いそのあつし)さんが…。竹澤リポーターが突撃インタビュー!

「たとえばタンブリン。タンブリンは子供たちの遊び道具になっている。マイクだって遊びにしちゃう。それを私たちは音楽に仕立てた訳です。そして伝えるのは小鳩くるみさん、一番“遊ぼう”という気にさせてくれる。最後に小鳩くるみさんがバイバイ!っていうと『みんな愛してるよ~』って聞こえるんです。最高のエンターテナーでした。」

「当時、ああいう幼児番組はありませんでした。ですからこの番組が評判になって、追いつけ追い越せというので民放でも似た子供番組が出来たんです。」

鷲津さんは現在、目白大学外国語学部英米語学科の教授です。実は今の仕事へのきっかけとなったのも『なかよしリズム』だといいます。

番組を通して、幼児教育を自分でもしっかり学びたいと思う気持ちが日に日に増していき、当時通っていた英語学科から教育学科に編入、幼稚園・小学校教諭の免許を取得しました。
英語学科時代の恩師からはこんな言葉を…
「君は画面に出る仕事より子供を教育する仕事の方が合っている。」
この言葉が現在の仕事へと繋がっていくきっかけとなりました。

さて、今回の『ひるまえほっと』は、コーナー終了の2分ほど前に地震情報で中断!あと少しだったのですが残念…そこで鷲津さんからラストメッセージをいただきました!

「小鳩くるみは私の大切な想い出です。またこの世に送り出してくれたもう1人の自分でもありました。小鳩はちいさいながら、今もどなたかの心の中で羽ばたいているとしたらとても嬉しく思います。」

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