発掘ニュース

No.120

2016.09.09

情報番組

発掘!家族を愛した初代・林家三平さん 幻の番組

今回の発掘ニュースの主役は落語家の初代・林家三平さん。朝のニュース番組「おはよう日本」で先日、三平さんからの発掘映像の数々が特集されました!

「こちらが、昭和を代表する落語家、初代・林家三平さんの自宅で先月(7月)見つかったビデオテープです。家庭用のビデオデッキが普及し始めた1970年代から80年代の初めにかけてNHKで放送した番組が録画されています。…今回、林家三平さんの50代の頃の貴重な映像が数多く見つかりました!」

発掘作業は暑さが厳しくなってきた7月下旬、東京・根岸にある三平さんの自宅の倉庫で行われました。

フィルムや1/2オープンリール、ベータテープなど、あわせて100本近くを発掘。

確認作業を経て8月上旬、三平さんの家で上映会が行われました。集まったのはご家族、そして三平一門の皆さんです。

まずこちら!

昭和54年10月に放送された『お好み演芸会』。昭和48年にスタートし、18年間にわたって親しまれた番組でしたが、初期のものはNHKにほとんど残されていません。

「花の落語家六人衆」と題したこの回には、昭和を代表する落語家たちが勢ぞろいしていました!

Q 昭和20年、皆さんは何をしていましたか?
談志さん「まだ東京に帰って来ませんでしたね、疎開先にいたんで。
      仙台の山奥から埼玉県の深谷市という町に。」
円楽さん「僕は中学行ってました。田舎の中学ですけどね、疎開がてら。」
枝雀さん「私も疎開です。鳥取県倉吉市。」

大喜利のトリをつとめたのが三平さん!

三平さん「帝国陸軍。九十九里沿岸の防備隊です。」

客席からはどっと笑いが…。実は三平さんは戦時中、実際に陸軍に徴兵されていました。三平さんは生前、陸軍時代のことをほとんど語っていないのですが、大喜利のオチでさらりと笑いにしている貴重なシーンです。

続いて発掘された番組は1979年にスタートした人気番組『ばらえてい テレビファソラシド』。メインパーソナリティーは先日亡くなられた永六輔さんです。

実はこの放送は、53歳の時に脳出血で倒れた三平さんが、9か月ぶりにテレビ番組に復帰した時のものです。

「私の人生の中で一番暑い長い夏の日を送りました。」

左半身のマヒで、うまくしゃべることができなくなった三平さん。復帰も危ぶまれましたが、伊豆のリハビリ施設で懸命な訓練を行い、回復しました。

番組の後半、三平さんはお世話になったリハビリ施設の人たちにメッセージを伝えていました。

「中伊豆リハビリセンターのみなさん、元気ですか。僕はこのように立派になって、今日この番組に出させていただいております。口も割合はっきりしてまいりました。…
(ともに病気と闘った)戦友のみなさん、これから、寒い寒い伊豆高原は寒い雪が降って、寒い冬が来ますけど、どうぞ自分に負けないで頑張ってください。そして一日も早く社会に出てきて、僕たちみたいに働いてくれることをお願い致します。思ってることの万分の1も言えないですけど、みなさんがんばってください、お願いします。」

孤独なリハビリの苦労を知るその目には涙がにじんでいました。
林家三平さんの素顔が見える貴重な映像です。

永六輔さんは…

「帰りに三平さんは、“噺家が泣いちゃいけない。三平が泣くなんてことをしちゃいけない。恥ずかしかった“と言いながら帰っていきました。でも、三平さんの涙は、いま中伊豆で、そして日本中で病気と闘っているみなさんへの男の友情のあかしっていう気がして、“恥ずかしい”って言いながら帰った三平さんの後姿にほっとするものを感じました。」


九代 林家正蔵さん

「初めてね、父親がテレビで泣く姿を見ました。
…不思議ですね、53歳の父親と、今テレビの画面を通して、53歳になったせがれが、しかも同じ噺家でいる。」

そう話す長男の林家正蔵さん、三平さんが復帰したときは16歳でした。

高校生、こぶ平時代の正蔵さんが、父の芸を必死で学ぼうとする姿が記録された映像も見つかりました。

21年間、生放送でお送りしていたお昼のバラエティー番組『ひるのプレゼント』です。

三平さん「(小声で)落ち着いて。もっと大きな音出して。ただいま“ときそば”の稽古をしております。こぶ平でございます。」

「いやー、父親と一緒に落語をやっているという記憶がなかったんですよ。とても緊張していたんでしょうね、たぶん。父親は、修行している時は厳しい師匠だったので、あの時の表情を見てお分かりの通り、緊張の連続ですね。ですから記憶からすっぽり抜けてしまってましたね。」


二代 林家三平さん

「兄がコメントしているときは心配そうに見てる父がいるっていうのが、やはり一人の父なんだな、“おとっつぁん”なんだなっていうところは感じましたね」

最後にご紹介したのは、三平さんが亡くなる前に繰り返し見ていた映像です。

母・歌さんと一緒に出演した、こちらも『ひるのプレゼント』
三平さんは、家族が楽しそうにしている様子を、喜んで見ていたといいます。

歌さんは当時83歳。この番組に出演した4ヶ月後に、息子の死を看取ることになります。

上映会の間、ほとんど泣いていた妻の香葉子さん…


海老名香葉子さん

「三平が何度も何度も見てました。喜んで見てました。家族っていいねなんて言いながら見ていました。」

昭和の爆笑王といわれた初代・林家三平さん。自分自身が出演した番組とともに、家族が出演したビデオテープを大切に何度も繰り返し見ていたことを知り胸が熱くなりました。

貴重な映像、そして偉大な落語家・林家三平さんの知られざる一面をかいま見た発掘でした!妻の香葉子さんはじめお弟子さんの皆さま、ご協力本当にありがとうございました。お預かりした映像は末永くアーカイブスで大切に保管いたします。

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