発掘ニュース

No.115

2016.07.15

情報番組

追悼・永六輔さん NHKバラエティー“生みの親”

放送作家、作詞家、司会者、タレント…様々な肩書きを持った永六輔さんが今月7日、亡くなりました。83歳でした。今回は『バラエティー番組“生みの親”』としての永さんの素晴らしい仕事の数々を、アーカイブスに残る映像の中から見ていきます。

まずNHKのアーカイブスに保存されている永六輔さんの映像の中で、最も昔の映像を探してみました。バラエティー番組の元祖「夢であいましょう」でのひとコマ。
このとき永六輔さん29歳です。

1961(昭和36)年から5年間にわたって毎週土曜の夜に生放送された音楽バラエティー。歌やコントの人気コーナーから構成され、出演者は若き日のスターたちが目白押し。上の写真は左から坂本九さん、黒柳徹子さん、渥美清さん、田辺靖雄さんです。

「今月の歌」のコーナーからは「上を向いて歩こう」「帰ろかな」「遠くへ行きたい」など数々のヒット曲が生まれました。

この「今月の歌」全ての曲を作詞したのは永六輔さん。作曲は中村八大さんが担当しました。1963(昭和38)年12月7日放送の回では、中村八大さんがピアノを弾き、永六輔さんを横に梓みちよさんが「こんにちは赤ちゃん」を歌っています。

マイクを向けられた永さん、「♪こんにちは赤ちゃん、あなたの笑顔~」の“笑顔”の部分を歌っていました。

永さんが出演している「夢であいましょう」は、この回しか見つからず貴重な映像です。(ただしNHKに保存されている14回分の中では…のことで、他にも200回以上NHKに保存されていない放送があります。)

さて、永さんの名前は出演者としてよりも、“作”あるいは“構成”という表示で、番組の最初や最後に字幕で登場する場合が多いです。「夢であいましょう」の“作”も、もちろん永六輔さん。

学生のころにNHKのラジオ番組「日曜娯楽版」にコントを投稿したことをきっかけに、ラジオやテレビの番組を企画・構成する放送作家になった永さん。

「ラジオの方が楽しい」という理由から一時期テレビの出演を控えていましたが、再び大型バラエティー番組を手掛け、出演者としても登場します。

それが1979(昭和54)年にスタートした「ばらえてい テレビファソラシド」です。
永さんはというと…

なんと、ご覧のように“アシスタント”として出演。
司会進行は加賀美幸子アナウンサーと頼近美津子アナウンサー。そのほか数々の女性アナウンサーが出演し、永六輔さんはあくまでもアシスタントという演出でした。

女性アナウンサーが前面に出て、フリートークをしたり歌を歌ったり、時にはコントやピアノの演奏も…当時としては画期的なバラエティーでした。

アシスタントとは言っても、そこは永さん。番組の冒頭には毎回、その日のテーマについて永さんならではトークがあります。ある日の冒頭です…

「一昔前ですけど、このNHKでコント55号というコンビのオーディションの審査をしたことがあります。その時、審査員でした。コント55号の動き方を見て、この無名の若者たちを僕はダメだと、これはテレビのブラウン管の中からはみ出してしまう。枠を飛び出してしまっているからこの2人はダメだと、ハッキリ決め付けたことがあります。
そして十数年がたちまして、今日、その若者のうちの一人をゲストに迎えるのは大変肩身の狭い思いです。」

そう、この日のゲストは“欽ちゃん”こと萩本欽一さんでした。一瞬、「そんなことを放送で言ってしまっていいの??」とドキッとするのですが、永さんならではの語り口で欽ちゃんへの最大限の敬意を払っている…そんな印象を受けます。

本編では民放の人気番組『欽ドン』のパロディーを…。加賀美アナウンサーも投稿ハガキでのコントに挑戦しました。

番組の“作者”として様々なチャレンジをすることでNHKの枠を壊そうとしているようにも見えますが、実はNHKらしさを上手く利用してNHKでしか出来ないバラエティーを作り上げてしまったところが永六輔さんの凄さではないでしょうか。

もうひとつ「ばらえてい テレビファソラシド」から、永さん自身が実験台となってアナウンサーの技を紹介しようという回です。

鈴木健二アナ「なぜかテレビカメラの中心をにらんでしまうのね。そうすると記念写真みたいになって目が固定され、肩が固定され、体の動きが無くなってしまう。

あのレンズというのは、中心から上15cm、両横10cm、下5cm、これをつないだところを見ていれば、テレビをご覧になっている方は『永六輔は自分の方を向いているな』と分かるんです。」
永さん「えー、こんなに(テレビを)やってるのに誰も教えてくれないよ~」

そしてインタビューの実践です。
内海桂子さんを相手に『80歳のおばあさんが虎の子の生活費3万円をひったくられた』という設定で永さんが聞こうとすると…

鈴木アナ「いくら優しそうに肩に手をかけても、突き出したマイクロフォンが冷たければどうにもならないの。隠すようにして聞きなさい!」
永さん「これ(マイク)をですか?…」
と、自分の背中を通して。マイクを向けようとする永さんを見て鈴木アナは大笑い。

永さんは番組スタート当時、「最近テレビではやっているスピーディで刺激的なギャグや笑いではなく、子どもからお年寄りまで楽しめるような、どこかあたたかいほのかな楽しさを、画面に出していきたい」と語っていたといいます。

全部で110回あまりの放送があった「ばらえてい テレビファソラシド」ですが、発掘されNHKに保存されているのは現在のところ48回分です。後にレギュラーとなるタモリさんとのやり取りなど、まだまだ皆さんに見ていただきたいシーンが盛りだくさんです。

“作・永六輔”という番組はこの先新しく作られることはありません。しかし番組発掘によって永さんが作り上げた作品の数々をもっともっとアーカイブスに残していきたい…プロジェクトのメンバー一同、心からそう願っています。

<<永六輔さんの次女でフリーアナウンサーの永麻理さんからのメッセージです。>>


永 麻理さん

「父の原点は、NHKラジオの『日曜娯楽版』にコントの投稿をしては面白いように採用されるようになった中学生時代に遡ります。
そこからずっと、世の中を誰も思いつかない切り口から見る目をもち、どんなことも面白がる好奇心と、人を楽しませたいというサービス精神を持ち続けた人でした。
テレビにおいてもラジオにおいても、まずは電波の飛んでいく先、日本中のあらゆるところを自分の目で見て歩き、出かけて行った先で話を聞く。そして持ち帰ったものを自分の切り口で語ることを信条としていました。
歳を重ねても、好奇心と知恵の働かせかたは全く衰えませんでした。
そんな父の若き日からのテレビ作品を観ることができることは家族としても大変嬉しく思います。」

麻理さん、ありがとうございました。永六輔さんのテレビ作品「夢であいましょう」などは番組公開ライブラリーでご覧いただくことができます。

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