発掘ニュース

No.110

2016.06.17

音楽

『ステージ101』最終回のリハーサル風景!

今回は、伝説の音楽番組として、今も根強いファンが数多くいる『ステージ101』!
1970年から74年まで4年3か月 にわたって放送された大型音楽バラエティー番組です。

番組のために選ばれた40人ほどの男女『ヤング101』のメンバーを軸に、有名歌手やコメディアンをゲストに迎え、歌と踊りを軽快なMCでつなぐ若さ溢れるショーとしてスタート。番組名・グループ名の“101”は、TVスタジオでは東洋一の広さを誇るといわれた「101スタジオ」からとられています。

まだ知られていない若い個性豊かな歌い手たちがレギュラー出演者としてオーディションで選ばれ、厳しいレッスンを積みながら息のあったコーラスやダンスを披露しました。

曲は海外の最新ポピュラー音楽が数多く取り入れられた一方で、この番組のためのオリジナルソングがいくつも作られていきました。

初代の司会者は俳優・関口宏さん、2代目は黒柳徹子さん、3代目はマイク真木さんと前田美波里さん。その後は『ヤング101』のメンバーたちが司会も担当しています。

『ヤング101』が放送とともに成長し実力をつけていくに連れ、メンバーの人気も次第に高まります。視聴者から数多くのファンレターが寄せられると同時に、「自分もヤング101に入りたい」という希望が殺到したといいます。

1971年7月には、900人が応募した一般オーディションによって選ばれた15人の「2期生」メンバーが加わり、さらに人気が高まります。オリジナルソングからもヒット曲が出て、「涙をこえて」や「怪獣のバラード」は、小中学校でのコーラス曲として今でも歌い継がれています。

…という『ステージ101』ですが、NHKに保存されている映像は4本だけ。うち2本は部分的な録画や映像が大きく乱れている不完全なものです。

ベータやVHSが発売される前ということもあり、家庭用録画機がまだほとんど出回っていない時期だけに発掘も困難を極めています。

つまり『ステージ101』は幻の音楽番組なのです!

その『ステージ101』に関して今回、番組発掘プロジェクトのホームページの投稿コーナーに、なんと『ヤング101』のメンバーだった方から情報が寄せられました!

「ステージ101の最終回の日、リハーサル風景などを8ミリフィルムに収めた映像を持っている」

その方は…

八月真澄さんです!22歳から25歳まで「ヤング101」2期生の一人として出演していた青木マスミさんです。3オクターブの音域とパワフルな歌声の持ち主で、今もその声を生かし現役のシンガーとして活躍中です。また、“ベルティング・ボイス”と呼ばれる発声法やヨーデルの指導者としても活動しています。

Q. 2期生というとたくさんの中からオーディションで選ばれたんですね!
「実は、オーディションを受けた時には『ステージ101』がどんな番組かよく知らなかったんです。そのころ毎日銀座のある会員制のクラブで歌っていて…仕事で。だから『ステージ101』の放送時間はテレビを見られなかったんです。

オーディションに合格した時は嬉しかったです。“101”のことはよく知りませんでしたが、試験に合格したっていうことがとにかく嬉しくて!」


オーディション風景(一番手前が青木さん)

Q. 3か月の特訓のあとデビューだったとか?
「オーディションに合格してからは3ヶ月間みっちりと練習しました。その期間、とにかく楽しかったんです。見ることやることすべてが、健康的で明るくて…でも特にレッスンの内容というのは覚えていないんです。週何日練習したのかも…。私にとってみればその3ヶ月間は謎です。何をやっていたのか、でも楽しかったんです。今までと違う世界に飛び込んでいろんな種類の歌を歌うっていうのが。」

Q. ヤング101の生活は?
「3年間は走り抜けていったという感じです。外の仕事は土曜日もあったので週6日、『ステージ101』が週4日。とにかく両方を続けようと思いました。20代の頃は3日くらい寝なくても大丈夫でしたし、鍛えられましたからね。休みの日は歌詞や台本を覚えていました。年中、音楽生活で満たされていました。」

Q. 3年間で何か変わりましたか?
「いろいろ変わりました。まず振り付け通りに踊れるようになったこと。ロボットダンスのようだったのがエイトビートに乗せて踊ったりポーズをとれるようになりました。そして譜面が読めるようになったことです。歌を歌っていたけど譜面が読めなかったですから。録音の時はマイクの前をふさいで『入れない』って言われたり…。ヘンな音が聞こえてくるからあなたは後ろでって。それは意地悪では無く当たり前のことなんです。譜面が読めるようになって、だんだん前に入れてもらえるようになって。厳しいですけど当たり前の世界です。3年間で学びました。」

その青木さん、最終回の放送の日に自分が持っていた8ミリカメラでリハーサルの様子を撮影しようと考えます。

Q. 最終回の日にフィルムで撮影しようと思ったのは何故?
「私はいつも後ろの方で、中心になったことは一度もなかったな…と。私はあまり目立っていなかった。最後くらいは自分のフィルムで目立ってみたい、残しておきたいと思ったんです。ステージ101という番組が3年間で好きになったんです、最初は知らなかったけど(笑)。これは私の青春時代の基礎を築いてくれた、音楽の基礎を築いてくれた番組だから、ここがなかったら勉強する時間もなかった。こんなすごい仲間たちと知り合えた、そのなかで音楽的にも体力的にも鍛えられたって、最後に思い出にしておきたいと。

8ミリフィルムの世界でグランプリをとった児島範昭さんという人が、NHKの美術部にいるというのを知っていて、当日探しに行ったんです。自分でもよく出来たなと思うんですが(笑)。『撮影をお願いしたいのですが』と言ったら快く受けてくださって。

番組のカメラさんは絶対にやらない、例えば天井に登ったり斜めに撮ったり…。 お願いしたのはただ一つ、“私中心に撮って下さい”というだけ、あとはお任せしますからって。図々しいですよね…。」

では1974年3月の最終回のリハーサル風景、
動画でご覧いただきましょう!
(下の画像をクリックして下さい!)

※この8ミリフィルムはサイレントです。音声は『ステージ101』の市販CDを使用しています。

Q. この映像をどんな風に見てもらいたいですか?
「“こういう番組があったんだよ”と残しておきたい気持ちは絶対にあります。それと、ここが私の出発点なんだという気持ちもあります。仲間たちがもしこれを見て、ちらっとでも映っていたら何かメッセージをくれるかなというのを期待しています。ただほとんどの人たちがネットをやっていないかもしれないんです…。」

八月真澄さん、貴重な映像をありがとうございました!
そして『ステージ101』の出演者の皆さん!もしこのページをご覧になったら、メッセージをお寄せ下さい。お待ちしています!

さらにビッグな情報です!『ステージ101』はこのあと大きな発掘が続きそうです!どうぞご期待ください!

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