発掘ニュース

No.105

2016.05.13

スポーツ

“さわやかイレブン”選抜決勝中継発掘!

皆さんは“さわやかイレブン”をご存知ですか?11人ということはサッカー?違います。
高校野球の歴史に残るチーム、総勢11人で全国大会の決勝戦まで勝ち残った徳島・池田高校のメンバーのことです。

その“さわやかイレブン”が戦った歴史的な試合、1974(昭和49)年の第46回春の選抜高校野球決勝戦「池田高校 対 報徳学園高校」が発掘されたのです。

兵庫県にお住まいの視聴者の方が提供して下さったビデオテープは6回の裏、兵庫・報徳学園の攻撃から始まっています…。

実況アナ「ついこの間まで冬支度で日陰のネット裏でブルブル震えていたのがウソのようです。“一陽来福”の甲子園、ちょっと言葉が古いですかね。決勝戦も互角に四つに組みまして6回の裏の報徳学園の攻撃…」

さあ、ここまで0対0の投手戦!

報徳学園の打線は池田のエース・山本に1安打に押さえられていましたが、6回裏2アウトから…

報徳学園が均衡を破り、2本のヒットで1点を先制!

追う池田は2回から毎回安打。そして8回裏、池田は2アウト2塁から粘りに粘った2番・泉岡選手のライト前ヒットで1点を返します。

ついに1対1の同点!試合はふりだしに…。

池田高校、わずか11人の部員を率いるのは、このあと何度も甲子園を沸かせ3度の全国優勝に導いた蔦文也監督、当時50歳。

報徳学園は、その後、NHK高校野球の解説者としてお馴染みとなった福島敦彦監督、当時33歳です。

試合は8回裏、報徳学園がノーアウト1塁3塁のチャンスを上手く生かし集中攻撃で2点を入れ、3対1で勝ち越します。

実況アナウンサーが語ります。

池田ベンチは11人の選手ですので、当然ベンチに残る選手は2人しかいません。懸命に声をからして声援を送ります。」

しかし9回表の池田の追撃もならず、結局3対1で報徳学園が初優勝、池田の11人での全国制覇はなりませんでした。

さて、70年代の高校野球中継を見ると“懐かしい!”と感じる映像が色んなところにあります。例えば…

★ラッキーゾーンが!
「ラッキーゾーンって何?」という方は、きっと若い皆さんですね…。

映像は、ライトのライン際のスタンド周辺。外野フェンスの手前に金網でできた柵がもう一つあるのが分かりますか?他の球場に比べて広かった甲子園球場で、ホームランが出やすいようにと設けられた外野の柵で、フェンスと柵の間に入ってもホームランです。

★手書きのスコアボードが!

そして甲子園といえば、一人一人の名前や学校名が全て手書きだったスコアボード!1984年に電光掲示板になりましたが、惜しむ声が多かったですよねぇ…。

さて本題に戻ります!
ビデオには閉会式もしっかりと残っていました。

閉会式の段取りはほとんど変わっていないのですね!

大会会長のあいさつ、優勝旗や準優勝旗の授与、メダルの贈呈、そして大会旗や国旗の降納があり、最後に2校でグラウンドを行進します。

閉会式で目を引いたのは、やはり整列した時の池田高校の人数です。

現在、春夏の甲子園はベンチ入りの最大人数が18人、今回発掘された1974年の時点では14人でした。11人の池田“さわやかイレブン”やはり少なく感じますね!

県や地方の代表になって甲子園に出場する高校野球チームというと、何十人もの部員を抱えている学校が多い中、わずか11人で勝ち抜いてきたというのは驚きですよね。

高校野球100年の歴史の中でも、実況中継の映像が残っていない名試合はたくさんあります。実況中継は、短いニュースの映像では分からない“臨場感”がビシビシ伝わってきます。今回のような発掘が今後も現われますように!!

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