発掘ニュース

No.097

2016.03.11

バラエティー

追悼・西田善夫アナ スポーツ実況を語る

今回は先日亡くなられた元NHKアナウンサーの西田善夫さんです。オリンピックをはじめスポーツ実況の顔として長年活躍した西田さん、発掘されたバラエティー番組の中で見せたユーモアあふれる姿をご紹介いたします。

その番組とは『ばらえてい テレビファソラシド』。当時45歳の西田アナがスポーツ実況について永六輔さんやタモリさんと語っています。

『ばらえてい テレビファソラシド』は1979(昭和54)年から3年間にわたって放送されたバラエティー番組。永六輔さん、そして加賀美幸子アナウンサーをはじめとしたNHK女性アナウンサーが司会をつとめました。女性アナがフリートークをしたり、コントをしたり、ピアノの連弾をしたりと、当時としてはかなり斬新な演出が人気になりました。

1981年3月5日放送のこの回は「春・スポーツ最前線」と題して、いきなり入場行進から番組がスタート。

「おなじみ古関 裕而作曲のNHKスポーツテーマ。思えば遠く昭和22年から、このテーマに乗って数々のスポーツの名ドラマが生まれてきました。今夜は『テレビファソラシド』レギュラーの皆さんの堂々の入場行進です!あまり堂々でない人もいます…

先頭はこの番組の旗手をつとめます永六輔さん、以下お馴染みの顔・顔… “春・スポーツ最前線” 今夜のテーマです。」

東京オリンピックの開会式はじめ、様々なスポーツ中継を担当した鈴木文弥アナウンサーが入場の実況をしました。体操の“ウルトラC”の名付け親でもある名アナウンサーです。

その鈴木アナウンサーと西田善夫アナウンサーがスポーツ実況の裏話や秘話を披露しました。そのひとコマ…

永六輔さん「テレビとラジオの違いというのをうかがいたいんですが?」
鈴木文弥アナ「ラジオの場合はご存知のように“即時描写”といって時に即して描写する、遅れてもいけないし早くてもいけない。状況をビビッドに、事細かに描写しなければいけません。ところがテレビの場合は喋っていいアナウンスと喋っちゃいけないアナウンスとあるわけです。」

永さん「西田さんは、どの辺で基準になさってますか?」

西田善夫アナ「量と質の問題、ようするに質なんですよね。質が良ければ量が多くても、うるさくないわけです。テレビの場合は、アナウンサーはいらないっていう声もありますし、そういう場合もあると思うんですが…“もう一台のカメラ”だと思うんです、アナウンスは。ポッと画面に出ましてね、その一つの焦点にアナウンスがいく…。それが僕はテレビのアナウンスだと思うんです。」

永さん「現場にいる時は、僕らが見ているブラウン管を見ているんですか?それともグラウンドそのものを見ているんですか?」
西田アナ「8割ブラウン管ですね。そうじゃないと茶の間で見ている人の方が、現場にいる人間よりも良く現場を見ているということになりますから。」

また、スタジオ内に特設されたゴンドラと呼ばれるスポーツ実況の放送席での加賀美幸子アナウンサーとのトークでは…

「西田さんは歌番組の司会というのはなされますか?」
「1回もやったことが無いんです。ただNHKに入って2年目くらいに『声くらべ歌くらべ』という番組を地方局でやったんです、子供音楽会。可愛いので頭をなでたらリボンを引っ張ってしまって泣きだして、あわてて抱きあげたらマイクロフォンをボンと蹴りあげて…生放送で“ワーン、ボーン、ボワン”で、それから声が一度も…」

「きょうは、せっかくですから近藤真彦くんの歌を紹介していただけますか?」
「いいんですか?これは嬉しい!」
と言って、ノリノリでマッチの歌を紹介します!

「履いているのはもちろんスニーカー、マッチが歌います。テレビをご覧の皆さんには初めての曲です!『ヨコハマチーク』!」

このあとも架空実況を披露したり、永六輔さんが大好きなアイスホッケーの話で盛り上がったり、西田アナの幅広いスポーツの知識とユーモアたっぷりの語り口に引き込まれます。

スポーツ選手の真剣勝負が生み出すドラマ、それを演出するスポーツ実況。アーカイブスの中には西田さんの名実況の数々がしっかりと残されています。スポーツの歴史を語り継ぐ文化遺産として、末永く大切に守ってまいります。

思い出・コメントはこちら

ページTOP