発掘ニュース

No.095

2016.02.26

スポーツ

マラソンの瀬古利彦さん、福岡国際マラソンを語る!

胸に“W”のマーク、そしてあの走り!懐かしい~と思われる方が多いことと思います。

今回の発掘ニュースは元マラソン選手の瀬古利彦さんです!
2月12日オンエアの「ひるまえほっと」(関東地域のみの放送)、『発掘!お宝番組』のゲストとしてご出演いただきました。

番組冒頭ではランニングのポーズで大サービス!

まずはこちら!

実況「36.3キロ地点で、瀬古がついに先頭に躍り出た!」

1978年に行われた福岡国際マラソンの映像です!当時、瀬古さんは早稲田大学3年生。

「あと20メーター、日本人選手として8年ぶり2回目の優勝です!よくやりました瀬古!感激の涙です、見事に招待選手としての役目を果たしました。嬉しそうです、本当に嬉しそうです。おめでとう、瀬古選手!」

ニュースの短い映像は残っていましたが、レース全体の中継番組映像は保存されていませんでした。提供して下さったのは、もちろん瀬古さんです!

井上リポ「こうしたスポーツ中継、保存がほとんど無いんです…昭和の名選手の活躍が見られないのは残念ですよね。」
山本アナ「瀬古さん、男泣きでしたよね?」
瀬古さん「中村監督の顔を見て泣けちゃいました。普段あまり泣かないのに。号泣してたんです、あれ。」
井上リポ「このときがマラソン初優勝だったんですよね?」
瀬古さん「自分でも優勝すると思わなかったので、嬉しいというよりはビックリしちゃったんです。“ビックリ泣き”ですね。」

ゴールで泣きながら抱きついていたのが瀬古さんの恩師・中村清監督です。実は瀬古さんから提供いただいたビデオテープは、中村監督が録画してくれたものなんです!

こちらはそのベータテープ。

瀬古さん「娘さんが録ってくれたんですけどね、監督はグラウンドにいましたから。当時はあまりビデオデッキがある時代では無かったので、わざわざ私がテレビに出るというので買ってくれたんです。多分スゴイ値段だと思います、当時は。」

「中村監督は、優しいところもありましたけど、厳しかったですね…。妥協を許さない人でした。365日、日に2回練習していました。マラソン選手ってね、休んでいる時が一番不安なんです。練習してると安心するんです。走るのはそんなに好きじゃなかったんですけど、負けるのが嫌いでずっと練習していました。」

山本アナ「走るの好きじゃなかったんですか?」
瀬古さん「きょう70キロいくぞっていう時に…あのね70キロ走るんですよ、ノンストップで。楽しいわけがない(笑)」

続いては初優勝の翌年、同じく福岡国際マラソン。こちらも瀬古さんから提供いただきました!

実況「全く表情も変えずに、これがマラソンわずかに5回目のランナーとはとても思えません。」

「宗猛がちょっとスパートであります。バーニー・フォードちょっと遅れました。宗茂が続いております。瀬古はどうでしょうか?瀬古はピタリと付いております。」

レース最終盤、スパートをかけた宗茂、猛兄弟と瀬古さんに優勝争いは絞られます。

瀬古さん「途中30メートル近く離されました。…ここであきらめようと思ったんですけど、宗さんが後ろを見たんですよ。後ろを見るっていうことは宗さんスタミナを消耗しているなっていうことで、これは追いつけるかもしれないと…」

そして競技場には、なんと3人が並んで入ってきます!

実況「瀬古がスパートしました!ゴールまでは、あと200メーターにかかりました。スパートを見せました!2年連続の優勝を目指します早稲田の瀬古!」

「あと10メーター!瀬古が今1着でゴールイン!第2位が宗茂、第3位が宗猛…」

瀬古さん「モスクワオリンピックの予選会ですからね、この回は。前の年に勝ってますから、もの凄いプレッシャーがかかって…。」

山本アナ「コンディションはどうだったんですか?」
瀬古さん「また勝たなきゃいけない!っていう思いがあって、ちょっと練習をやりすぎたんです、直前に。宗さんスパートするな~、ゴールまでそのままいけーって。そうしたら40キロでスパートされて、“しまった”と思いました。」

山本アナ「“しまった”と思って、しかも体調悪いと、ダメかと思うじゃないですか?」
瀬古さん「もう負けたと、やられたと思いました。でも最後追いつきました。人間はあきらめちゃいけないなと思いました。これでネバーギブアップを覚えました!23歳の時に。」

この優勝で1980年モスクワオリンピックの切符を手にした瀬古さん。しかし幻の五輪代表に…。ソビエト(今のロシア)のアフガニスタンへの軍事進攻に反発、日本を含め西側諸国の多くがオリンピックをボイコットしたのです。

瀬古さん「当時はまだ24歳だったので、別に出なくても次の4年後があるから。大丈夫だと思ってましたね、若いですから。自分が年を取るなんて考えられない。そのままの力でいくと思ってますから。でもやっぱり4年後は年取っていましたね…

もし出てれば…、“たら”“れば”はダメですけれども、出てれば宗兄弟、瀬古、この3人の中で誰かが金メダルを取ってましたね。僕だったかもしれないし…」

瀬古さんの強さの秘密 その1
ライバルは宗兄弟!

この次の年も福岡国際マラソンを優勝した瀬古さん、その強さの秘密、ひとつはライバルの存在だといいます。

瀬古さん「2人は超ライバルですね。私の今があるのは宗兄弟がいたからです。ホントに宗さんを目標に何事も練習しました。
東京で雨が降るじゃないですか、寒い今ごろの雨。40キロ走にいくぞっと中村先生が…。でも先生雨が…というと、『バカ者!宗兄弟の宮崎は晴れているぞ、宗兄弟は40キロやっているかもしれないから行くぞ』といわれて、ハイ!っと。」

「私が80キロ、フルマラソンの倍を走ると、宗兄弟は120キロ行くわけです。(私の)ウワサを聞いて。お互い、良いライバルでした。

やっぱり自分だけでは、なかなか人間というのは苦しいことは出来ないです。ライバルがいて、負けてたまるか!負けるんだったら練習しようという気持ちでお互いやってきましたね。」

瀬古さんの強さの秘密 その2
NHK特集「永平寺」

そして瀬古さんが大きな影響を受けた番組がこちら!

NHK特集「永平寺」。厳しい寒さの中で修業を続ける若い修行僧たちに密着した番組です。

瀬古さん「中村監督が“永平道元”が大好きで『正法眼蔵』っていう本があるんですけれど、それを読み聞かされて、私も本を買って読みました。」

「座禅をしに行きましたね。“走禅一致”という中村監督の言葉があるんです。走ることと禅は同じだと…。自分と向き合ってね、色んなことを考えるじゃないですか。でも余計なことは考えちゃいけない。集中力を養うのに丁度よかったです。

我々の“修業”と禅の修行をくらべると、我々は甘いです。ホントに甘い。同じ年代の人が苦労してるんだなと、すごく勉強しましたね。」

山本アナ「さて、今年はリオデジャネイロのオリンピック。日本の代表選手はこれから最終的に決まるんですが、どういう期待を?」
瀬古さん「当然メダルでしょう!選手はプレッシャーありますけれども。女子は期待できますね。男子はケニア選手が強いですからね、なかなかメダル取るのは厳しいかもしれませんね。

…“平常心”ですね。あまり自分の力以上のことを出そうとか、勝たなきゃいけないとか思わないこと。私は思いすぎて。ロサンゼルスオリンピックで、色んな事を考えすぎちゃって。朝から晩まで“頑張って、頑張って”って言われますからね。このプレッシャーは平常心ではいられないです。」

山本アナ「息抜きが必要?」
瀬古さん「息抜きは少しのビールですね~。ビールは私の息抜きでしたね。走るとビールが美味いの分かるでしょう?」
山本アナ「はい、レベルは違いますけど(笑)」

とにかく明るい瀬古さん、貴重なお話と映像をありがとうございました!選手としての数多くの経験を生かして、素晴らしい選手を育ててくださいね!

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