発掘ニュース

No.081

2015.11.13

スポーツ

マラソンの伊藤国光さん「ヒーローを作りたい」!

今回の映像提供者は『発掘ニュース』初のスポーツ選手!この方…

元マラソン選手の伊藤国光さんです。
瀬古利彦さん、宗茂・宗猛兄弟とともにマラソンの一時代を築いた選手。
首を振る独特の走りを覚えている方も多いと思います。

提供していただいたのは1979(昭和54)年に行われた第14回福岡国際マラソンの生中継を録画した映像です。

この年の福岡国際マラソンは、翌年に行われるモスクワオリンピックの代表選考に大きく関わる試合として注目されました。モスクワオリンピックといえば、日本がボイコットした大会です。当時まだロシアではなく『ソビエト社会主義共和国連邦』だった時代、ソビエトのアフガニスタンへの軍事進攻に反発して西側諸国の多くがボイコットしたのです。

生中継の中でも…

羽佐間正雄アナ「先日、ソビエトの選手に会いましたら、国情が色々違うということもありますが、『日本という国は我々にとっては謎に包まれた国で非常に興味深い』と話していました。」

解説者「それは逆じゃないですかね…」

と、やり取りに当時の時代背景を感じます。

…幻の五輪代表に選ばれたのは1位の瀬古さん、2位の宗茂さん、3位の宗猛さんでした。
伊藤国光さんは残念ながらこの年のレースは8位。ただ翌年には3位、翌々年には2位と、順位を上げています。

伊藤さんの現在の姿はこちら…

専修大学の陸上競技部で監督を務めていらっしゃいます! せっかくの機会、インタビューさせていただきました。

なぜマラソン選手に?

「小学校4年のときに、体育館で観音開きのテレビで東京オリンピックを見ました。アベベが走るのを見て、いや!すごいなーと。
その日から小学校までの片道3キロを、肩かけカバンをぶらさげて走り始めました。その頃、『巨人の星』が始まったので、小学校から帰るときに見える金星を勝手に『アベベの星』として、“アベベの星になるんだ!”と…。

中学校は陸上部が無かったので、バスケット部に入っていました。校内マラソンで1位を取って、2年生のときには(長野県)上伊那郡の駅伝大会で大会記録で優勝しました。」

「マラソンは考えるスポーツです。今みたいにストップウォッチとか無いですし、当時はすべてを自分で把握するしかなかった。自分に入ってくる情報だけを頼りに、今、何キロ辺りだろうとか考えて走っていました。

宗兄弟や瀬古さんに勝つことを考えて、考える事が楽しかった。走っている最中も練習の時も常に“考えて”やっていました。」

「あの頃の思い出は、ヨーロッパ遠征とか合同練習とかで宗兄弟と1年の半分くらい一緒だったことです。嫁さんよりも長く一緒にいるんじゃないかって冗談を言っていました。勝ち負けより、一時代を走れた。一緒にやれた事が良かった。良い時代でした。」

レースのビデオは録画を?

「昭和53年に結婚して、それ以降はNHK、民放を問わず全部録ってもらってました。民放さんには、テープを貸して欲しいと言われたこともありますが、NHKさんならもちろん全部保存しているだろうと思いましたので、連絡があったときはびっくりしました。」

「1万メートルは走って勝つ。それだけですが、マラソンは中途半端なのです。マラソンは集団になるので駆け引きになる。だから勝つための研究をビデオでやりました。ビデオを見返して、ここでもう1回、瀬古さんを引き離したら勝てていたなとか思いました。宗兄弟、瀬古さん、彼らの表情、スピードを研究しましたね。

また、子どもたちに自分のやってきた事を見せたいとも思って残しました。子どもは私が現役のときを知っているからいいけど、孫にも見せられますね。まだ孫はわかる年ではないけども見て欲しいです。」

指導者として夢は?

「僕が教えた選手が金メダルを取って欲しいという思いはあります。でも、それよりも、社会人とかになっても、走れなくなるまで走っていて欲しいと思います。それで終わる時、最後にやっててよかったと思ってくれるのが一番です。

今度の東京オリンピックは子どもたちが生で見られるオリンピックです。そこにヒーローがいないと野球でもサッカーでもマラソンでも競技は先細っていく。ヒーローを作りたいし、ヒーローが出て欲しいと思います。」

指導者としてヒーローを育て上げようとする伊藤国光さん。東京オリンピックで光り輝くヒーロー、期待しています!

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