テレビは灼熱地獄で熱く生まれた
70年前のテレビ放送開始。草創期の現場では強烈な照明で出演者の髪や服が燃え、「テレビ行きは左遷」と避けられた。後に「昭和のテレビの顔」となる宮田輝アナウンサーや高橋圭三アナウンサーは、そんな世界にいち早く飛び込んだ。「テレビって何なのか」「何をどう映せばよいか」、正解のないその問いに、経験も知識もゼロで挑む日々。今から見ると冗談のような抱腹絶倒の失敗を繰り返しながら、新しいメディアの形を少しずつ探っていった。その宮田が残した言葉「テレビとはあついものなり」。熱い現場に熱い思いで挑み続け『紅白歌合戦』や『のど自慢』のような人気番組を生んでいった。「TV創世記」の知られざる挑戦の物語をひも解き、海図なき航海に挑む全ての挑戦者にエールを送る。