
※研究者の所属・職位は閲覧当時のものです。
小林直毅(代表者)法政大学 社会学部 教授
李美淑東京大学大学院 学際情報学府 社会情報学
堀江秀史東京大学大学院 総合文化研究科 超域文化科学専攻
金廷恩上智大学大学院 文学研究科 新聞学専攻
稲津秀樹関西学院大学大学院 社会学研究科 社会学専攻
柳原良江東京大学大学院 人文社会系研究科 グローバルCOEプログラム「死生学の展開と組織化」 特任研究員
小林直毅(代表者)法政大学 社会学部 教授
大岡聡(代表者)日本大学 法学部 准教授
町村敬志(代表者)一橋大学大学院 社会学研究科 教授
井口高志(代表者)奈良女子大学 生活環境学部 准教授
渡邉友一郎(代表者)早稲田大学 大学院政治学研究科 ジャーナリズムコース(現・日本テレビ)
松本明日香日本国際問題研究所 研究員
設樂馨武庫川女子大学 文学部日本語日本文学科 助教
岩間優希立命館大学 衣笠総合研究機構研究員
川島高峰明治大学 情報コミュニケーション学部 准教授 情報基盤本部副本部長
河原啓子日本大学・武蔵野美術大学・立教大学ほか 非常勤講師
好井裕明日本大学 文理学部 教授
Merklejn Iwona(メルクレイン・イヴォナ)東京大学 社会科学研究所研究員
水島久光東海大学 文学部 教授
関礼子(代表者)立教大学 社会学部 教授
舩戸修一(代表者)静岡文化芸術大学 文化政策学部文化政策学科 講師
津田好子東京女子大学大学院 人間科学研究科 生涯人間科学専攻
本橋仁(代表者)早稲田大学 創造理工学研究科 建築学専攻
崔銀姫佛教大学 社会学部現代社会学科 准教授
轟里香北陸大学 教育能力開発センター 准教授
山崎晶四国学院大学 総合教育研究センター 准教授
上原健太郎大阪市立大学大学院 文学研究科
田村篤史関西大学大学院 総合情報学研究科
山本卓法政大学 法学部 政治学科 准教授
亀井修(代表者)独立行政法人国立科学博物館 産業技術史資料情報センター 参事
丸山友美法政大学大学院 社会学研究科 社会学専攻
武田尚子武蔵大学 社会学部 社会学科 教授
梶原倫代(代表者)帝京大学 医療技術学部 看護学科 助手
廣内大助信州大学 教育学部 准教授
舩戸修一(代表者)静岡文化芸術大学 文化政策学部 講師
齋藤理恵早稲田大学大学院 文学研究科 人文科学専攻表象・メディア論コース
松井茂東京藝術大学 芸術情報センター 助教
大島律子静岡大学 情報学部 教授
小池 安比古東京農業大学 農学部農学科 教授
稲生 衣代青山学院大学 文学部 准教授
小林 田鶴子(代表者)共栄大学 教育学部 教授
宇仁 義和(代表者)東京農業大学 学術情報課程(オホーツクキャンパス)嘱託准教授
甲斐 信好拓殖大学 国際学部 教授
李 旼冑(イ ミンジュ)東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 学際情報学専攻 修士
竹下 正哲拓殖大学 国際学部 准教授
岡田 知子一橋大学大学院 社会学研究科 社会心理学専攻
森 暢平(代表者)成城大学 文芸学部 准教授
斉藤 こずゑ國學院大學 文学部 教授
北澤 毅(代表者)立教大学 文学部 教授
辻 泰岳東京大学大学院 工学系研究科 建築学専攻
小杉 亮子東北大学大学院 文学研究科 人間科学専攻社会学専攻分野
吉岡 有文立教大学 文学部教育学科 特任准教授
丸山 友美法政大学大学院 社会学研究科 社会学専攻
杉本久未子大阪人間科学大学 人間科学研究科 教授
木村至聖甲南女子大学 人間科学部 講師
川野佐江子大阪樟蔭女子大学 学芸学部 被服学科 化粧学専攻 専任講師
長志珠絵神戸大学大学院 国際文化学研究科 教授
前田拓也神戸学院大学 人文学部 講師
後藤美緒>筑波大学大学院 人文社会科学研究科 社会科学専攻
平井芽阿里國學院大學大学院 文学研究科 日本学術振興会特別研究員(PD)
有田節子大阪樟蔭女子大学 学芸学部 国際英語学科 教授
崎田嘉寛広島国際大学 工学部 講師
茂山(善竹)忠亮立命館大学 先端総合学術研究科 表象領域 学士
木村 至聖甲南女子大学 人間科学部 講師
川野 佐江子大阪樟蔭女子大学 准教授
笹部 建関西学院大学 社会学研究科 社会学専攻
板倉 史明(代表者)神戸大学大学院 国際文化学研究科 准教授
本研究の目的は、1980年に放送開始されたNHK教育テレビ「趣味・技能講座」の内容分析を通して、余暇活動を楽しむことが、どのように「教育」メディアのコンテンツに取り込まれたのかを明らかにすることである。先行研究は、1970年代から1980年代にかけてのレジャー多様化を、既存の教育メディア(学校放送、婦人番組、伝統文化番組)が衰退した一因として位置づけている。だがアーカイブスに保存された映像および講座テキストの分析によって、この時代は余暇活動を社会教育の対象として積極的に位置づけた、新しい教育メディアの萌芽期でもあったことが示される。特に「趣味・技能講座」は従来の講座番組形式を維持しつつ、題材として趣味を取り入れ人気を博した点が興味深い。このことへの注目は教育メディアが伝える〈知〉のありようを学校教科や学術分野、生活改善や教養主義的教養に関連づけてきたメディア研究の視座を拡張する意義を持つ。
本調査はNHK教育テレビの学校放送『幼稚園・保育所の時間』において、幼稚園教育要領・保育所保育指針に基づき制作された『うたってオドロンパ』(1996〜98年)から『あいのて』(2006〜7年)までの音楽番組を対象に、テレビ放送が視聴覚メディアの特性をもって幼児教育と音楽教育にいかなる役割を果たしたか、実態の解明を目的とする。
本調査はNHK番組アーカイブス学術利用トライアル2018年度第4回および2020年度第3回に続く、「教育テレビ番組『幼稚園・保育所の時間』の音楽番組の内容分析」の第3回目にあたる継続調査である。今回の調査の目的は、「幼保の時間」の音楽番組のうち2番組を対象としている。すでに番組テキストより抽出したデータを参考に、音楽アレンジやキャストの演出・パフォーマンス等を実際の映像と音・音楽要素を分析する。
本研究の目的は,人々と自然や社会の相互関係の理解を深めるために,自然と文化に関する過去の景観情報を探求することである.その新しい方法として,テレビ番組の映像の視聴により,撮影当時の人々の暮らしの背景となる自然や文化/社会に関する景観情報を抽出する.このとき,生態系資源を利用する人々の生業の時空間分布の変動の理解は,重要なテーマのひとつとなる.なぜなら,人々の生業は,自然や社会の影響を直接的に強く受け,あるときには,何らかの行動変容や適応を迫られるからである.
テレビ番組の映像から切り取られるスナップショットの解析は,個別事例という点では,民族誌や社会学の事例研究と類似する.けれども,学術調査を制作意図とはしない(一般視聴者を対象とした)映像から抽出される情報は,これまでに蓄積されたモンゴルの遊牧研究の知見に対して,新たな視点や議論を提供するという相乗効果が期待される.
本研究は、NHKテレビドキュメンタリー番組を中心に、青年海外協力隊がどのように扱われたか、どのように表象されていたかを分析する。1965年に発足した青年海外協力隊は70年代から80年代にかけて興隆し、特に90年代から00年代において応募者数はピークを迎えた。青年海外協力隊は知名度を高めるために、マス・メディアによる広報活動を重視しおり、特に発展途上国の貧困をより「リアル」な姿を映し出すことのできるカラー・テレビは、メディアの中でも大きな意味を持っていたと考えられる。また、このピークの時期における青年海外協力隊は、若年層を引きつける強い魅力をはなっていた。本研究では、青年海外協力隊のテレビにおける表象の分析を通して、いかなる要素が提示され、受容されたのか、またそれが受容された社会的背景はいかなるものであったのかを解明したい。
本応募者は今まで帝国日本における朝鮮映画の横断や戦後日本の映像メディアにおける「在日」象に就いての研究に取り組んできた。本研究を進めていく上で、映画やテレビ映像を大いに参考資料に使うことができた。ここでは市販されている映像や国立フィルムアーカイブセンターに所蔵されているフィルムを主な対象として研究を取り組んできたが、テレビ映像まで視野を広げようとし、学術利用トライアルに申請することにした。とりわけ、NHKの映像は戦後日本において日韓関係がどのように社会に映られ、認識されてきたのかを如実に表す「写されるメディア」であったと考えられる。本研究では戦後の日韓関係をテレビがどのようにとらえてきたのかについて主に「在日」象というものをキーワードにして探っていきたい。
感じたことや考えたことを自分なりに表現する力は感性や創造性の基礎となる。音楽表現活動は歌う、弾く、聴く、動くなど様々な表現活動が含まれるが、学習者の言葉や反応を指導者がどのように受け止めて声かけするか、また効果的な説明や具体的な指導・援助が学習者の意欲や取り組みに大きな影響を与える。これまでの日本の音楽教育は技術の習得に比重が高く、実践力、教師力の育成は十分ではない。
今回、主体的な音楽表現活動を育む指導者の言葉かけと援助を検討することを目的とし、番組「ピアノのおけいこ」を対象とした。この番組では、ピアノで音を表現しようとする成長過程が1年にわたり継続的に観察することができる。様々な指導場面において、指導者と学習者の関わりを、発話のみでなく、音声、視線、表情、身振り、行為などを映像で確認しながら多面的に分析する。
警報や避難指示など,災害から身を守るための避難行動を促進するために出される防災情報は顕著な効果を発揮してきた一方で,近年は住民の「情報待ち」「行政依存」の姿勢を助長するなどの弊害や逆機能も指摘される。送り手側に情報の拡充を求め,受け手側には情報に関する知識の向上を求めるだけの一方向的・二項対立的な考え方には限界があり,防災情報のあり方は抜本的な見直しを迫られている。こうした問題意識を踏まえて,本研究では,人々の防災意識や避難行動に一定の影響を与えてきたと考えられるテレビの災害報道番組を対象に,避難と防災情報のあり方についてどのような視点から報じてきたのかを内容分析し,言説の通時的な変遷を明らかにする。テレビメディアの提示してきた視点を検証することを通じて,避難・防災情報の再考を巡る研究や社会的議論の深まりに寄与するとともに,ジャーナリズム活動の改善に向けた知見を得るのが目的である。
コロナ禍により現在、全国各地の祭礼は中止や大幅な規模縮小を余儀なくされている。災禍はいまだ出口が見えず、多くの祭礼で継承や存続が危惧されている。その中で京都祇園祭の関係者たちは復興を揺るぎなく確信している。なぜなら応仁の乱以降、何度も戦乱や災禍で中断されながら復興した経験―復興「神話」が存在しているためである。近年では、幕末の大火で山鉾の大半が焼失し、約2割の山鉾が戦後まで復興できずにいた。しかし昭和50年代に相次いで3基の山鉾が復興を成し遂げた。そのひとつ、蟷螂山は1981年に約110年ぶりに復興している。NHKアーカイブスに残る当時の京の町衆、復興のキーパーソンへのインタビュー等を分析することで、復興の状況を分厚く記述し、当時の復興にかんする支援と社会的ネットワークを分析することが本研究の目的である。分析結果は現在、苦境に立たされている全国各地の祭礼関係者に復興へのヒントと勇気を与えるだけではなく、千年後にも残る貴重な史料となるに違いない。
表象するとき、されるとき、お互いをどう認識しているのか。本テーマの合わせ鏡は、分析、考察の軸となるものを表す。サイードは、1978年に「オリエント」を再定義し、西洋中心主義を批判した。本テーマの中心的な分析軸は、サイードに倣い自文化/他文化の表象とする。私たちは、外国人技能実習生をどのように表象しているのか。またその表象は、この国の労働やそれをも含んだ私たちの生活に関わる表象とどのように連続しているのか、あるいはしていないのかをアイデンティフィケーションという観点から考察する。日本放送協会の番組において外国人技能実習生は誰として扱われ、そのことによって広義の意味での受け入れ側は自分たちを誰と位置付けているのかを番組の調査と分析を通じて明らかにしたい。双方向的で、横断的な調査と分析を実施し、合わせ鏡のような複雑なアイデンティフィケーションのあり様の一端を掴みたい。
本研究の目的は、『バラエティー生活笑百科』における漫才の分析をつうじて、そこでの漫才の機能――当番組で漫才という表現形式が用いられていることの意味は何か、その漫才は視聴者に何を伝達するのか――を考察することにある。『バラエティー生活笑百科』は「法律相談」を扱う情報番組であるが、最大の特徴は「相談者」(=法律に精通していない視聴者)の代弁として漫才師による漫才を用いている点であろう。その意図は、漫才という大衆的な表現形式によって専門的な知識(への問題提起)をわかりやすく伝達することにあるといえるが、ここで着目したいのは、そこでの漫才が「法にまつわる知識」(本筋のストーリー)に限定されない様々な社会規範をも伝達するという点である。本研究では、法律相談という漫才の本筋とそこに描かれる周辺的な情報の双方に目を配り、メッセージ伝達という点から漫才の機能を探る。
本研究は2023年に70年という節目の年を迎える奄美の復帰運動に注目し、メディアがどのように奄美の「復帰」を捉え、伝えたのかを明らかにするとともに、奄美復帰が本土在住の奄美出身者にどのような影響を与えていたのかなど、映像資料をもとに奄美の復帰とは何であったのか再考することを目的としている。これまで、奄美の復帰は奄美の島々内で行なわれた復帰運動や、同じく米軍統治下におかれた沖縄からの視点で語られることが多く、本土におけるメディアの報道や本土在住の奄美出身者に焦点を当てた研究はほとんど行なわれていない。復帰70年を迎えるいま、メディアという視点から復帰を再考することは、改めて復帰の意味を考える契機となろう。
本研究では、2010年代から始まる第4波フェミニズムの中でも主題の一つとなっている「性暴力」という問題について、1980年代から現代までのNHKにおけるその表象の変遷を捉える。性暴力・セクシャルハラスメントに関する問題は、常に社会に存在し訴えられてきてはいるが、それぞれの時期、それぞれの番組では「性暴力」はどのような定義・表象をもって放送されているのか、社会的、法学的な定義との差異の有無について分析することが目的である。性暴力のカテゴリーは、国や国際的な公共政策によって増加していき(Htun et Weldon, 2012)、時代や社会的文脈によって変化するからこそ(Lochon, 2021)、1980年代から今日に至るまでの変遷をたどることは、2010代に入ってNHKにおいて性暴力問題を取り上げる番組数の大きな増加の説明に対しても有意義であろう。
本研究は、テレビが白黒からカラーになるプロセスで番組の表現がどのように変わったのかを、美術の教養番組である「日曜美術館」を題材に考察するものである。色が表現できるようになることで、取り上げるテーマや作品が多様化したり、番組の構成が多層化したりと、さまざまな面で変化が起きたと考えられるが、メディア研究において色はほとんど考察の対象にされてこなかった。「日曜美術館」は白黒時代の1965〜66年に放送された後、カラー時代になった1976年に放送が再開された番組であり、アーカイブスにも白黒時代の番組とカラー化以降の番組が一部保存されている。これらを比較・分析することで、カラー化が引き起こした変化を明らかにできると考える。
本研究は、幼児教育番組「おかあさんといっしょ」の番組内容をジェンダー平等や多様性の尊重への配慮の視点から検証し、幼児の価値観形成への影響を検討することを目的とする。先行研究により、性別役割等へのステレオタイプは幼児期から形成されることが示されている。男女平等社会への変革が迫られる日本において、幼児が視聴するメディアの内容が幼児のジェンダー観に与える影響について考える必要がある。
本研究では、長年にわたり放映されている日本の代表的な幼児教育番組「おかあさんといっしょ」の番組内容に着目し、番組編成、出演者、登場キャラクタ―の設定等におけるジェンダー観や多様性の尊重に関しての通時的変化を検討する。本研究を通して、幼児が視聴するメディアの内容に着目することの重要性が明らかとなり、男女平等社会の実現に貢献できると考える。
本研究は、花街の芸能について、特に戦後から現在までの活動実態と変容史を明らかにすることを目的に、花街の多様な事例収集と芸能の固有性・音楽性の解明を行うものである。
花街の芸能は、地域性が多様で芸態も一様ではない。しかしながら、口伝での継承であることや、芸の披露の場は宴席という閉ざされた空間を主とするため、公的資料での記録が乏しい。アーカイブにおける花街に関する映像資料の希少性は高く、これらをもとに各地の花街の芸能の地域性と歴史的変容、芸能及び音楽としての固有性と特性を解明する。
花街は現在、芸妓の減少や高齢化等による存続の危機にあり、今では披露されなくなった芸能も少なくない。本アーカイブの活用から、花街のかつての実態や芸能の音楽性の探求が可能となる。この作業は、花街史の解明と日本芸能史における花街の再定置を可能とするとともに、今後の花街の芸能の消滅を抑止する活動につなげる意義も持つと考える。
1960~70年代の公害関連番組の構成や表現に着目し、事件や犠牲者への責任といった倫理的問題をどう描写しているのか分析する。公害は、原因企業や国政の担うべき表面的な加害責任の裏で、その企業に支えられた労働者市民や、犠牲に報いるよりも発展がもたらす豊かさを優先しがちな国民の経済的願望が絡んでくるため、扱いの難しい政治的な事件でもある。そのため公害番組には、告発姿勢が欠けているようにみえながらも、映像表現などの工夫で犠牲に寄り添うように問題を描写する複雑な作品も多い。数多の公害番組を制作してきたNHKには、手法の傾向などを分析できるほどの作品の量的集積があるため、本研究ではこれを用い、それらが事件関係の周知や犠牲者への配慮・責任の喚起などにどう役立ったのかを分析したい。本研究の成果は、過去よりも深まった環境問題をめぐる政治対立と置き去りにされる犠牲に向き合う一つの方法論として役立つだろう。
落語に使われている方言の資料は、「日本語歴史コーパス」に収録されている「SP盤落語レコード」と「上方はなしコーパス」がある。SP盤は、明治~大正期に録音・販売された東京分70余・大阪分50余が納められ、上方はなしには、1936年~1940年に発行された5代目笑福亭松鶴の速記落語が納められている。これらを対象とした研究では、主に、言語運用の東西差について述べており、それぞれの方言における時代差まで言及されていない。しかし、古典落語であれば、演じる時代によって、古めかしい方言は避けられる可能性がある。実際の方言は世代毎に変化するため、本調査では、その影響を受けて落語の中の方言に変化が見られるかを、1971年~2021年の間にさまざまな落語家によって演じられた古典落語から確認する。
本研究は音楽家、山田耕筰の人物像形成を、NHKのアーカイブスを用いて明らかにすることを目的とする。山田は日本における西洋音楽導入の草分け的存在である。しかし一方で、戦時下ではジャズ排撃論、ユダヤ人陰謀論に走り、戦後は「戦争犯罪人」と非難を受けた。このことの歴史的な位置づけ、総括は山田研究の課題である。前記の通り「戦争犯罪人」と非難されはしたが、山田は現在もなお「童謡の作曲家」として知られる。こうした山田像がマスメディアで本格的に問い直されるのは2015年にNHKで放送された『時代を楽譜に刻んだ男 山田耕筰』を待つ必要があった。この間に存在した、(1)戦後社会における「戦争犯罪人」論の語られ方、あるいは語られなさ、(2)戦後社会で山田像が組み上げられる過程、これらを通覧できるところに本アーカイブスを利用する有効性がある。
研究のねらい
湾岸戦争への対応として、日本政府の策定した国連平和協力法案が廃案となった原因を論究する。先行研究は、国外で軍事力行使の懸念がある場合に生じる反対世論によって説明している。法案への圧倒的な反対世論が野党の反対を決定づけた。しかし首相は、法案の非軍事性を強調しており、反対世論の形成を十分に説明していない。ベトナム戦争後の米国では、国外出兵を忌避する世論が席巻していた。しかしブッシュ大統領はメディア・世論の支持を獲得し、「ベトナムを中東の砂漠に埋めた」と話した。
本研究は、湾岸戦争への我が国の対応と、メディア・世論との関係を論じる。
研究意義
冷戦後の我が国の安全保障政策が国民に受容される過程について理解を深める。
アーカイブス利用の有効性
新聞報道が中心だった本事例の研究対象の拡大により、従来見落とされていたテレビ報道の影響力を見出す糸口が得られると期待
研究の目的は二点ある。第一に、清水幾太郎のメディア露出における肉声での自己演出の特徴を捉える。第二に、清水がメディアの中で展開した教養論の特徴を把握する。まず一点目については、清水は言論人として出版メディアに限らず講演、集会での演説、ラジオ・テレビなどの出演を通じて活躍していたという記録が残されている。とりわけ彼の弁舌の巧みさについては同時代人により多くの証言が残されている。にもかかわらず、彼のメディア露出や肉声での訴えかけにいかなる特徴が見られたかの検討はなされていないため、NHKアーカイブスに残された映像資料を通じてこの点の調査を行う。第二に、清水が出演した番組が読書論や教養論である。これらの番組は、清水の言論人としての主戦場であった出版メディアに対する彼の見方を捉える上で重要な検討材料であるため、同じくアーカイブス資料を通じて清水の読書観・教養観の検討を行う。
本研究は、ブラジル国際ハイクのトランスカルチュラルな展開を、座の文学が越境しているという視点から分析するものである。ブラジルのハイクは、ポルトガル語で詠まれるブラジルハイカイと日本からの移民が日本語で詠んだコロニア俳句(日系ハイク)が両立していたが、1980年代にその二つが融合した、伝統を重視した有季ブラジルハイカイの流れが生まれた。そのグループ(結社)がグレミオ・ハイカイ・イペーである。この結社は、日系人や非日系ブラジル人が参加し、日本の俳句結社と同じように毎月句会を行い、雑詠選集や本格的な歳時記を刊行した。日本の文化を受け継ぎつつブラジル的なハイカイを詠むこのようなグループの誕生には、結社活動が大きな役割を果たしたと思われる。文学作品の分析だけでなく、アーカイブスを利用することによって、グレミオ・ハイカイ・イペーの句会活動の実態が明らかになることを期待している。
日本における社会学、とりわけ戦争社会学や軍事社会学の射程を拡大する意図も持って、特に現代日本の自衛隊に焦点をあてる。そのなかで、航空自衛隊の広報専任部隊であるブルーインパルスについてのメディア言説/表象の収集を通じて、自衛隊が市民社会にどのように受容されているか、また両者がどのように相互作用しているかの一側面を明らかにするのを目的とする。
2022年後期のトライアル研究(テレビのカラー化による番組表現の変化に関する考察ー「日曜美術館」を題材に)では、諸事情のためモノクロ/カラーを比較できなかった「日曜美術館」の代わりに、美術系番組であるモノクロ番組「日本の伝統」(66年度分)と、カラー番組「日本の美」(67年度分)の保存分の大半を見比べた。そこで分かったことは、①「伝統」では「動き」に焦点を当てる制作法が、「美」では「表現・表情」に焦点を当てる制作法がそれぞれ多いこと、②「伝統」は色について説明したり、触れたりすることがほとんどない一方、「美」は映っている色について説明している場面が多いこと(特に初期)、③カラーになると空撮が多用されていることーなどだった。23年前期では、これらの特徴を踏まえた上で、60年代の前半(64〜65年度)と後半(68〜69年度)の同番組を比較することを通して、こうした傾向の時間的広がりについて調べたい。
戦後日本の外国人受け入れは1951年の『出入国管理令』の公布と施行に始まり、それまでのGHQ関係者や外交官、宣教師といった特別活動者以外の在住が本格開始された。直後にスタートしたテレビ放送では、日本の各地域に移り住んだ外国人たちを迎える人々の不安や期待、好奇心が行政・学校・仕事・生活などの複数の視点から描かれている。そして、そこには、外国人受け入れが持つ意味や、期待する役割も描かれ、60年代のビジネスパーソン受け入れ、70年代の留学生受け入れ、80年代の難民と中国帰国者の受け入れ、90年代の日系人受け入れ、00年代以降の技能実習生や研修生、特定技能者の受け入れの文脈の中で、政策や支援の根拠となる重要な価値が形成されてきた。本研究はNHKアーカイブ所蔵映像の分析を通して、テレビが描いた外国人受け入れを考察し、対立から定住支援、共創へと至るプロセスを明らかにすることを目的とする。
かつて日本は金、銀、銅、石炭などの鉱物資源を多く産出し、採鉱、精練法などの鉱山技術が発達した鉱山国として世界的に注目されていた。しかしながら、1960〜70年代には、資源量の枯渇、高度経済成長に伴う人件費の上昇や鉱物の輸入自由化等の要因により鉱山の多くが閉山に至り、人々が培ってきた「鉱山文化」が失われつつある。一方、石見銀山の世界遺産登録などに代表されるように、鉱山文化を未来へと繋ぐ活動が旧鉱山各地域で展開されている。本研究は、鉱山に関わるNHK番組のうち、『新日本紀行「閉山の里」―愛媛県・別子山村―(1972年)』『リポートにっぽん「別子山村はいま」(1991年)』等の閉山時・閉山後における鉱山文化に対する視点とその変遷を抽出・比較することによる「失われつつある地域文化を未来へ繋ぐアイディア展開への可能性」「テレビが地域文化の伝承や新たな創生に果たした役割」等の考察を目的としている。
国家ブランディング戦略によって創出されたコスタリカ・イメージが、日本のマスメディア(特にNHK)においてどのような要素の影響を受けて、どのように変化したのかについて分析する。本研究は、まず「エッセンシャル・コスタリカ」を中心とする国家ブランディングの意義とその戦略の限界を明らかにしたうえで、現在の日本におけるコスタリカ・イメージの創出過程とその特色について明示しつつ、今後コスタリカがどのように日本へエッセンシャル・コスタリカに基づく国家ブランディング戦略をなすべきかについて提案するものである。日本の主要メディアにおいて「平和国家」・「人権大国」・「環境大国」として報道されることが多いコスタリカ・イメージが、実際にはコスタリカの国家ブランディング戦略と日本独特の政治・社会・文化的特色とぶつかり合い、混じり合って創出されている過程について明らかにすることは本研究の意義である。