テーマ別の証言

生死を分けたチリ地震の記憶

昭和35年(1960年)、チリ地震が引き起こした津波は太平洋を横断し、三陸海岸にも達した。しかしながらその被害は沿岸各地によってはまったく異なり、伝えられてきた記憶にも大きな違いが生まれていた。

チリ地震津波とは…

昭和35年(1960年)5月22日にチリ近海を震源とした地震は、マグニチュード9.5という、観測史上最大級の地震といわれている。
これによって引き起こされた津波は、ハワイ、オーストラリア、アリューシャン列島など太平洋全域を襲い、地球の反対側にあたる日本にも到達。
津波の被害は北海道から沖縄までの太平洋沿岸地域に及び、三陸沿岸では、リアス式海岸の湾奥に位置する岩手県大船渡市、宮城県志津川町で死者を出す被害が発生した。

チリ地震津波とは… チリ地震津波とは…
三宅信幸さん(66)
福島県新地町

母を救えなかった悔い

“もう一回、時を戻してくれと思います。
そうすれば、急いでおふくろの所に行ったと、いつも思っています。
助けられなかったというのが、
ずっと悔いが残っているよね、
いまだに”

外出先で激しい揺れに襲われた三宅さんは、自宅の母に避難しようと呼びかけた。
しかしチリ地震でほとんど被害を受けなかったことを覚えている母は、その話に取り合ってはくれなかった。

渡邊英莉さん(20)
宮城県七ヶ浜町

おばあちゃんの手を
離してしまった

“周りの方に「生かされてるのはおばあちゃんのおかげなんだから、一生懸命生きなさい」っていうふうにすごく励まされたので、やっぱり前を向いていきたいなって”

祖父母との買い物帰りに地震に襲われた渡邊さん。
チリ地震の経験があった祖父母が津波を恐れたため、裏山に避難するが、そこにも電柱をはるかに越える黒い波が押し寄せてきた。

阿部𣳾兒さん(80)
宮城県気仙沼市

過去の津波の教訓が救った
多くの命

“この家は残して、津波の恐ろしさというものも反省することもあるでしょうから、いつか「あの屋上で助かったんだ」ということが話されると思うんです”

チリ地震による津波で全財産を流された経験から、鉄筋コンクリート3階建ての自宅に外階段をつけた阿部さん。
震災当日、この外階段が多くの命を救うこととなった。

大須賀賢之さん(65)
福島県南相馬市

潮が引いても逃げなかった
ことが悲劇を招く

“チリ地震がなかったら、今回逃げていたかもしれないですからね。
やっぱり何よりも一番伝えたいことは、地震とか災害が起きた時には、いち早く避難っていうことですね”

揺れが収まったあと、大須賀さんは仲間と一緒に海の様子を見に行った。
潮が引いていくのが見えたが、チリ地震でも同じ光景を目撃していた彼らは避難しようとはしなかった。

髙橋正宜さん(50)
宮城県南三陸町

素早い判断が
従業員の命を救った

“子どもの頃からですね。
津波に関しては、ことあるごとに
教えられてきました”

水産加工場を経営している髙橋さんは、およそ70人の従業員をとっさの判断で無事に避難させた。チリ地震を経験している両親から、津波の恐ろしさを常に聞かされていたことが迅速な行動につながったのだ。

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