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なぜ甘い?青森の赤飯
梅本一成(記者)
2021年12月24日 (金)

質問を寄せてくれたのは弘前市の中村正道さんです。
私は岐阜県出身ですが、以前勤務していた北海道でも甘い赤飯が食べられ、コンビニエンスストアなどでも売られていることは知っていましたが、食べたことはありませんでした。今回の取材で、青森県でも甘い赤飯が食べられていることを知り、初めて食べてみようと心に決めました。
2種類の甘い赤飯
取材の結果、青森県では主に2種類の甘い赤飯が食べられていることが分かりました。ひとつは小豆を使い、小豆の煮汁でもち米に色をつけた赤飯。もうひとつは小豆を使わず、甘納豆を使った赤飯です。
青森の赤飯が甘いのはおもてなしの心
まずは、小豆を使った甘い赤飯の作り方を専門家に教えてもらうことにしました。教えてくださったのは青森中央短期大学の食物栄養学科で講師を務める池田友子さんと、浜中幸美さんです。2人は青森の郷土料理などを教えています。
まずは4人分の材料です。
もち米…400グラム
小豆…40グラム
砂糖…80グラム
塩…4グラム
酒…40グラム
小豆の煮汁…60ミリリットル
一見すると、甘くない赤飯と材料は変わりませんが、大きく異なるのが砂糖です。見た目の印象では砂糖80グラムは多いのではないかと感じましたが、1人当たりの分量にすると、20グラムほど。大さじ山盛りで2杯分だということです。
下準備として、もち米は前日から一晩、水に浸しておきます。小豆は洗って一度煮立てた後、煮汁は捨てます。その後水を加えて、30分煮て、小豆と煮汁を分けておきます。
いよいよ調理に入ります。水を切ったもち米と、煮ておいた小豆を混ぜて、強火の蒸し器で30分蒸します。その間に小豆の煮汁に砂糖と酒、塩をボールに入れて混ぜておきます。
そして蒸し上がったもち米と小豆をボールに入れて、よくかき混ぜて赤飯の色と甘みをつけてから、再び強火で30分蒸したら、完成です。
私も初めて甘い赤飯を試食させていただきました。口に入れた瞬間、甘いと感じました。ただ、見た目が甘くない赤飯と変わらないので、記憶の中の赤飯の味と違い、困惑してしまいました。ただ、味はおはぎに似ているなと感じました。
池田さんと浜中さんに青森の赤飯はなぜ甘いのか、理由を聞きました。
青森中央短期大学 食物栄養学科 池田友子 講師
おもてなしの心だと思います。津軽の人は甘い物を好みます。甘い赤飯はお祝い事やお祭りなど、特別なときにだけ食べます。特別なときに人をもてなすという意味合いで甘くしていたのではないかと思います。
青森中央短期大学 食物栄養学科 浜中幸美 講師
昔は甘い物がぜいたく品でした。特別な日にぜいたく品を使って、おもてなしをする。ごちそうをするということがあったのだと思います。
池田さんと浜中さんによりますと、青森県の赤飯が甘い理由は次のとおりです。
青森県、特に津軽地方の人は甘い物が大好きだということ。トマトに砂糖をかけて食べたり、茶わん蒸しの中に栗の甘露煮が入っていたりするのも知られています。さらに昔は砂糖がぜいたく品だったこと。赤飯はお祭りやお盆など、特別な日にだけ食べますから、ぜいたく品だった砂糖を使って、できるかぎりのおもてなしをしたということでした。
母親の愛情がこもった甘納豆の赤飯
次に甘納豆を使った赤飯についても調べたところ、北海道の料理研究家で、札幌市で短期大学や専門学校を運営する学校法人の創設者の南部明子さんが考案したということが分かりました。
南部さんの娘で現在、学校法人の理事長を務める南部ユンクィアンしず子さんによりますと、戦後間もない昭和20年代、働きながら子育てをしていた南部明子さんは忙しくても家族においしいものを食べさせてあげたいと、甘納豆の赤飯を考案しました。
甘納豆の赤飯の特徴は従来の赤飯の作り方に比べて、手間がかからないことです。炊飯器でも炊けるように米ともち米を半々の割合で混ぜて使ったほか、小豆で色をつける代わりに食紅を使って、米をピンク色に染めるということです。そして、南部明子さんは子どもの頃、母親が甘くない赤飯の上に甘納豆をのせてくれたことを覚えていて、それをヒントに甘納豆の赤飯が生まれたということです。
光塩学園 南部ユンクィアンしず子 理事長(南部明子さんの娘)
私の母は働きながら子育てをして、学校を創ったという人でした。家族にはおいしいものを食べさせてあげたいということで、作りたいと思った当日に、さっとできる赤飯を考案しました。私もときどき作りますけど、変わらずおいしい。甘すぎず、優しい味がします。
甘納豆を使った赤飯は、小豆を使った赤飯と違って、米は甘くなく、甘いのは甘納豆だけだということです。紅しょうがを添えたり、ごま塩をかけたりして食べるということです。
甘納豆の赤飯のレシピはテレビなどを通じて紹介されたことで、北海道各地に広がり、店から甘納豆の在庫がなくなるほど、人気を集めたということです。青森県と北海道は人の行き来も多いですから、何らかのかたちで、甘納豆の赤飯が伝わってきたのではないかと考えられます。
山梨県だけ飛び地の謎
では青森県と北海道のほかに、甘い赤飯を食べる地域はあるのでしょうか?赤飯文化啓発協会によりますと、甘い赤飯を食べる地域は北海道と東北地方の広い範囲、それに山梨県だということです。
北海道と東北地方は隣接した地域なので、食文化が伝わるというのは考えられますが、なぜ、山梨県だけ飛び地のようになっているのか、気になって調べることにしました。
青森県の人を通じて伝わった?
山梨県で甘い赤飯が広がった背景には諸説ありますが、青森の人が関わっていたという説もあります。
山梨県南アルプス市の櫛形中学校で、1963年から25年にわたって管理栄養士をしていた森岡千代野さん(81)によりますと、青森県から嫁いできた保護者から甘い赤飯のレシピを教わり、昭和40年ごろから給食で出すようになったことがきっかけで山梨県内に広がったということでした。
このほかにも、平安時代から鎌倉時代にかけて山梨県から青森県に移った南部氏の子孫を通じて、伝わったという説もあります。青森県と山梨県は歴史的にも深いつながりがあるのは事実ですから、こうした説もうなずける気がします。
甘い赤飯を知らない世代も
いっぽうで残念なこともあります。青森中央短期大学の池田さんと浜中さんによりますと、県内出身でも甘い赤飯を食べたことがない学生が増えているということです。
昔ほど甘い物がぜいたくではなくなっていることや、甘すぎる味付けが若い世代に好まれないなどさまざまな背景が考えられるということです。
食文化はいったん途切れると、復活させるのは大変だと聞きますので、郷土の味として、ぜひとも継承していってほしいと思いました。
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