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弘前公園の堀の水はどこから?意外な事実も明らかに

執筆者梅本一成(記者)
2021年07月13日 (火)

弘前公園の堀の水はどこから?意外な事実も明らかに

視聴者の皆さんの疑問に答えるナノコエ。
今回は弘前市の「あーさん」から寄せられた質問に答えます。

あーさんは弘前公園を毎日見ているということですが、堀の水について、学校で習った記憶も、周りで知っているという人もいないということでした。

三重の堀が特徴

青森県に転勤して、ことし8月で3年目に入る私も、弘前公園は何度も訪れたことはありますが、堀の水がどこから流れているか、考えたこともありませんでした。

まずは、弘前公園の堀がどうなっているのか、概要や歴史を調べることにしました。

空から見た弘前公園

弘前城の城郭は岩木川を望む崖の上にあり、岩木川は弘前公園から西におよそ600m離れたところを流れています。

本丸の東側には内堀、中堀、外堀と三重に堀がめぐらされているのが特徴です。

本丸の東側には内堀、中堀、外堀と三重に堀がめぐらされているのが特徴です。

本丸の西側には西堀と蓮池があります。

弘前公園の標高

さらに弘前公園の標高を調べてみると、最も低い西堀がおよそ30m、最も高い本丸がおよそ46mで高低差はおよそ16mもあります。

時代とともに姿を変えた西堀

次に弘前公園の堀の歴史について調べてみました。

1645年ごろの弘前城の絵図

築城からおよそ30年後、1645年ごろの弘前城の絵図を見ると、今とは大きく違っていることに驚かされます。

西堀のすぐ外側を川が流れていたのです。

岩木川は当時、2筋の流れに分かれていて、そのうちの1つ、樋の口川が西堀のすぐ外側を流れていたということです。

岩木川は当時、2筋の流れに分かれていて、そのうちの1つ、樋の口川が西堀のすぐ外側を流れていたということです。

1756年に描かれた絵図

およそ110年後、1756年に描かれた絵図では、さらに姿が変わっています。

樋の口川の川筋がなくなり、西堀には草が生えているのがわかります。

1756年に描かれた絵図

樋の口川の水量を減らす工事が行われ、西堀も水の量が減って湿地になっていたということです。

明治初期に描かれたとされる絵図

そして、明治初期に描かれたとされる絵図では、西堀は再び水をたたえて、現在に近い姿になっています。幕末のころには水をたたえるようになったということです。

明治初期に描かれたとされる絵図

こうした古い時代の弘前城の堀が、なぜ、このように姿を変えたのか。

専門家に取材したところ、平和な時代が続き、軍事拠点としての意味合いが薄れたことなどが考えられるということですが、軍事機密ということもあり、詳しい資料が残っておらず、わからないということでした。

また、当時の堀の水がどこから流れ、どの順序で流れていたのかも同じ理由でわかりませんでした。

弘前公園の堀の水は岩木川から

いきなり取材に行き詰ってしまいましたが、では、現在の弘前公園の堀の水がどこから流れてくるのか、公園を管理している弘前市公園緑地課に取材しました。

答えてくれたのは堀の水の管理を担当している藤田勝治さんです。

堀の水の管理を担当している藤田勝治さん

藤田さんは現在の弘前公園の堀には、岩木川から水を引いていると教えてくれました。

弘前公園から直線距離でおよそ6キロ離れた岩木川にかかる里見橋上流にある取水施設から水を取り入れています

具体的には弘前公園から直線距離でおよそ6キロ離れた岩木川にかかる里見橋上流にある取水施設から水を取り入れています。

そして、最終的には弘前公園に隣接する藤田記念庭園の横を流れる用水路を通り、西堀に直接つながっています。水路の総延長は7キロにも及ぶということです。

藤田記念庭園の横を流れる用水路を通り、直接つながっています。

立ちはだかる標高の差

西堀以外の堀には藤田記念庭園横の用水路からポンプを使って、水をくみ上げています。

その理由は、用水路と弘前公園の標高の差です。

用水路はおよそ31mの高さにありますが、堀の中で最も高い位置にある外堀はおよそ43m。実に12mもの高低差があります。建物で言えば、4階に相当する高さになります。

12mの高低差がある

くみ上げられた水は地下の配水管を通って、堀の2か所から流されています。

1か所は市民会館近くの外堀で、水中にある2本の配水管から流れています。もう1か所は市立博物館近くの中堀に水が流れています。

堀を流れた水は再び岩木川へ

堀をどのような順序で堀に水が流れているのか、図で説明します。

堀をどのような順序で堀に水が流れているのか、図で説明します。

ポンプでくみ上げられた水は、外堀は市民会館の近くから青色の矢印に沿って、中堀は市立博物館の近くからピンク色の矢印に沿って、それぞれ流れていきます。

中堀を流れた水は北の郭付近まで流れつくと、再びポンプでくみ上げられて、今度は内堀に流れていきます。

内堀を流れた水は、低い位置にある蓮池へと流れていきます。

堀を流れたあとは、市街地の用水路などを流れて、最終的には再び岩木川へと戻っていくということです。

人気の花筏は岩木川の水と人の手で

今回の取材で、もう1つわかったことがあります。

弘前さくらまつりで人気の花筏が生まれた背景にも、岩木川から水を引いていることが大きく関係していました。

花筏

かつての弘前公園は水不足に悩まされ、水の流れが滞って、悪臭や水質悪化の問題に長年悩まされていました。岩木川の水が農業用水としても使われ、堀に水を引くことができなかったからです。

その後、岩木川の上流に津軽ダムが建設されたことで、農業用水の確保にめどがたち、堀に水を引くことができるようになりました。

このため、水質が改善しただけでなく、堀の水の量をコントロールできるようになりました。桜の開花の時期には花びらがきれいに集まるよう、外堀の水量を調整するバルブを閉めて、水の流れを止めるということです。

弘前市公園緑地課 藤田勝治さん
「三重の堀に水を満たしていくには、やっぱり岩木川の水がないと、弘前城の堀は存在しないということになる。岩木川の水があっての花筏です」

母なる川 岩木川の恵み

今回、古い時代の弘前城の堀の水がどこから流れているか、どのように水を満たしているかについては、わからなかったのが心残りですが、現在の弘前公園の堀の水を満たす苦労を知るとともに、弘前さくらまつりで人気の花筏が自然にできているのではなく、岩木川の水と人の手によって生み出されていることを知りました。

岩木川は米やりんごなどの恵みをもたらしてくれるだけでなく、観光でも大きな役割を果たしていると知り、まさに津軽地方にとっては母なる川なのだと実感しました。

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