77歳の“若手芸人”「おばあちゃん」が教えてくれた 人生を楽しむヒント
「何か好きなこと見つけて、まずはやってみてほしいのね。そしたらいくつになってもできるから!」
そう語るのは、おばあちゃん。と言っても、私のおばあちゃんではありません。70歳を過ぎてからお笑い芸人の養成所に飛び込んだ、お笑い芸人の「おばあちゃん」です。御年77歳にして、芸歴はたった5年。後期高齢者と若手芸人の“二刀流”という、異色のセカンドライフを送っています。
私は番組ディレクターとして、おばあちゃんの活動やプライベートに4か月間密着。底抜けに明るい姿から教えてもらったのは、つらい現実や不安にくじけず、“自分だけの人生”を楽しみ尽くすヒントでした。
(NHKグローバルメディアサービス ディレクター 飛田 陽子)
77歳の“若手芸人” おばあちゃんって何者?
Dearにっぽん「いま わたしの舞台(ステージ)で ~77歳の“若手芸人”~」
2024年3月25日(月)NHK総合 夜7:30~7:55 ※NHKプラスで1週間見逃し配信
英語版(29分間):Grandma Takes the Mic
おばあちゃんと私の出会いは、2023年の夏にさかのぼります。
仕事帰りの電車内、YouTubeでお笑いの動画を見てリフレッシュしていると、関連動画の欄に「おばあちゃんのリズムネタ」という動画が流れてきたのです。リズムネタ…?お、おばあちゃんの…?と全く理解が追いつかないまま再生。すると、私のスマホには、スタンドマイクの前で体を揺らしてビートを刻む、高齢の女性の姿が。
画面越しに伝わってきたのは、高齢者がお笑いをやっている…という、もの珍しさだけではありません。そのときの私には、動画のなかのおばあちゃんが、きらきらと光って見えたのです。
ほかのどんな芸人さんよりも楽しそうに、おどけたり、ツッコんだり。おばあちゃんはカメラも気にせず、大口を開けて笑っていました。
どうしてこの人は、こんなに楽しそうにお笑いをやっているのだろう。
どんな人生を過ごして、いまがあるのだろう…。
気付けば私は、電車を途中下車。番組の企画書と取材依頼のメールを書いていました。
そうして始まった、お笑い芸人・おばあちゃんへの密着取材。
まずは おばあちゃんのホームグラウンドである「神保町よしもと漫才劇場」に通い始めました。
4人組のお笑いユニット「ぼる塾」さんや、ギャルメークでおなじみの「エルフ」さんなど、いま気鋭の若手芸人たちが所属し、しのぎを削り合う、若手の登竜門のような劇場です。
まず驚いたのは、おばあちゃんがオーディションを勝ち上がり、みずからの力でこの劇場に所属する権利を勝ち取ったという実績です。オーディションに参加するのはおよそ500組から600組の芸人たち。それだけの人数が、わずか60組ほどの「劇場所属」を目指して、日夜 競いあっているのです。
お笑いの世界の厳しさを痛感しましたが、当のおばあちゃんは あっけらかんとしていました。
「去年の6月に神保町のレギュラーメンバーに選ばれてから、色んな人が『すごいですね!』って声をかけてくださるんですけど、私はオーディションの仕組みも何も知らずにただひとつひとつの舞台を楽しませてもらっていて、気付いたら受かっちゃってたんです。だから、いまだに自分がどういう立場なのかよく分からなくって。困ったもんですよね、あっはっは」
みずからを笑い飛ばすおばあちゃんですが、ピン芸人としてのネタは、すべて自分で考えています。そのテーマは「高齢者の日常」。自分の暮らしのなかから、高齢者ならではのエピソードを見つけてシルバー川柳に落とし込み、漫談として披露しています。
たとえば、宅配便のインターフォンが鳴ったのに、とっさに足腰が立たず 受け取れなかった…という失敗談は「チャイム鳴り やっと出たのに 不在票」。
家電量販店に出かけた夫が若い店員の営業トークに負け、身の丈に合わない高性能のヘアドライヤーを買ってきてしまった!というハプニングは「丸刈りに 乾かす髪は どこにある」。
日常の何気ない瞬間を味わい深いユーモアに変え、お笑いとして届けるのが おばあちゃんのスタイルです。
しかし、この劇場にお笑いを見にやって来るのは、ほとんどがおばあちゃんの孫でもおかしくない若者たち。お客さんにはどう思われているのか気になって話を聞いてみると、すっかりその魅力に惹きつけられているようでした。
「初めて見たときは衝撃でしたが、ホンモノのおばあちゃんでもあるおばあちゃんにしか、できないお笑いがあっていいと思う。何より、超かわいいです!」
「私は大学生で、まだ自分のやりたいことが決まっていないんですけど…おばあちゃんはあのお年になってからやりたいことを見つけて、お笑いやってると思うと、すごくかっこいいです。あこがれます!」
家族のため生きる毎日 心を支えてくれた「お笑い」
おばあちゃんこと、沖原タツヨさん。 横浜市内で、ひとつ年上の夫とふたり暮らしです。64歳まで造船関係の仕事を勤め上げ、夫も定年退職を迎えたとき、この先の生き方について夫婦で話し合う機会があったそうです。
「もともと、老後は何か好きなことをしていきたいね、と決めていました。それで、ついにそういうタイミングがやってきて…。うちのお父さんは大の釣り好きなので釣りを楽しみたいと。『分かった、じゃあお父さん、私は…吉本行くわ』って言ったんです」
…いやいやいや、ちょっと待って、おばあちゃん!
どうしてそこで、突然「お笑い」が出てきたのでしょう?
掘り下げて話を聞いてみると、そこには、幼いころの日々が大きく関わっていました。
昭和22年(1947年)に生まれたおばあちゃん。きょうだいで唯一の女の子でした。
好奇心旺盛で、勉強熱心。学校の先生からは公立高校への進学を勧められましたが、母親に反対されたといいます。
「母は病気がちで、私が小さいころから入退院を繰り返していました。なので、私が食事の支度から洗濯、掃除、すべてやっていました。『とにかく女の子は家のことをやっていればいいんだ』みたいな感じでね。仕方がなかったんですよ、当時は男性が台所に立つような時代でもなかったですから…。でも、本当は大学まで行きたいと思っていたので、悔しかったですね」
子どものころから家族のために自分の時間をささげ、進学も断念。おばあちゃんは、15歳で大手企業に就職し、事務職として働き始めました。毎月のお給料をすべて家に入れ、わずかなおこづかいも、ほとんど貯金に回していたといいます。
そんな日々のよりどころが、ラジオから流れてくる「お笑い」でした。
「あの頃はね、電器屋さんだとか、町なかから そういう音が聞こえてくるんですよ。そういうので ふっと、お笑いに触れるんですよね。とはいえ、まだまだ子どもですから、漫才の内容なんてほとんど理解できていないんです。でもね、道具を使わないのに人の感情を揺さぶるなんて、すごいなあと心底感動していました。とにかくお笑いが好きっていうか、心がほっとしたんですよね」
体ひとつで舞台に上がり、観客を魅了するお笑い芸人たちに感じたあこがれ。
おばあちゃんは、まるでつい最近のことを思い返すように、いきいきとした表情を浮かべながら 当時の思いを聞かせてくれました。しかし、この気持ちは、実際にお笑いの世界に飛び込むまで、誰にも打ち明けられないものだったといいます。
「できればやってみたいと思うけど…押さえつけられていましたからね。それに当時は、例えば同級生に『私お笑い芸人になりたいの』なんて言ったら『あんた、おかしいんじゃないの』とばかにされてしまうような時代でしたから。だから自分にそんなことできるはずもないと思っていたし、口には出せませんでした」
その後、おばあちゃんは24歳で結婚。親が決めた結婚でした。
“やりたいこと全部やってみたい” 乳がんとの闘いが転機に
追いかけることさえ諦めた夢を胸に秘めたまま、おばあちゃんは、30代を仕事に打ち込んで過ごしていました。
共働きで家計を支え、朝から晩までがむしゃらに働いていた38歳のとき、自分の生き方を見つめ直す出来事に直面します。突然、ステージ4の乳がんが発覚したのです。
医師の見立てでは、あと半年持つかどうか分からない状況でした。
「ある時から、左腕から胸にかけてピリっとした痛みが走るようになって。違和感はありましたが、仕事が立て込んでいたし、ストレスのせいかな?ぐらいにしか捉えていなかったんです。それまで風邪ひとつ引いたこともなくて、健康な私が、どうしてって…。受け入れたくないのと、受け入れなきゃいけないのかな、というので 心がコロコロ変わるんですよね。乳がんがなんなのさ、生きてやる!と思ったり、もう仕事には復帰できないだろうな、いつまで生きられるんだろう…って 死の恐怖を感じたり。自分が自分じゃないような感じでした」
おばあちゃんは、気持ちの整理がつかないまま、左胸を全摘出。抗がん剤治療を受けました。
しかし、がんは卵巣や子宮にも転移。約8年にわたり、入退院を繰り返しました。
自分の命と向き合った時間は、おばあちゃんのその後の生き方に大きな影響を与えているといいます。
「生きているのは当たり前ではないということを痛感しますよね。自分はいつこの世を去るかもしれないと思ったら『やりたいこと全部やってみたい』という気持ちになった」
それからおばあちゃんは、自分の“本当はやりたかったこと”に挑戦し始めます。
47歳で、通信制の大学に進学。“学びたい”という夢を実現させ、乳がんの術後の生活に関する研究にのめり込みました。
仕事も定年まで勤め上げ、そしてついに、お笑い芸人の養成所の門を叩きます。
71歳の、春のことでした。
「玉手箱を開けるみたいな、封印してた気持ちがマグマのようにあふれ出すというか(笑)だから周りが若い人ばかりだとか、自分は年寄りだとか、気にならなかったんですよね。なんで70代過ぎてお笑いなんか始めたんだって皆さん言うんだけど、70過ぎたから行けたんですよ、私の場合。ようやく自分にそういう条件が整ったから。だからいま、なんでも楽しいんです、私。やりたいことができる喜びを知っているから」
そう言って微笑むおばあちゃんの瞳の奥には、お笑いに活力をもらっていた、かつての少女の姿が見えた気がしました。
“やりたいこと”を追いかければ、人生はもっと楽しくなる
かくして、人生の最終盤とも呼べる年齢になって、ようやく青春をつかみ取ったおばあちゃん。
その喜びを味わいながら、プロの“若手芸人”として 鍛錬を重ねる日々を送っています。
お笑いの道は、決して簡単な道ではありません。おばあちゃんが所属する劇場では2か月に一度の「メンバー入れ替え戦」があり、ネタが評価されなければ、舞台に上がる回数が減ってしまいます。
ピン芸人として、常に新ネタを作り続けなければならないプレッシャーにもさらされています。でも、70代のおばあちゃんにとっては、考えることも、覚えることもひと苦労。
私は何度か、おばあちゃんがネタ作りの作業をする姿を隣に座って眺めていましたが、ひとつのフレーズを思いつくのに、1時間でひらめけばいいほう。納得のいくネタを作りあげるまで、途方もない時間を費やしていました。
命の危機に直面して価値観が変わった経験があるとはいえ、どうしてここまで、「自分のやりたいこと」のためにがんばることができるのか…。
私がぶつけた疑問に、おばあちゃんはこう答えてくれました。
「人間、自分がやりたいことをやっていれば、どんなにつらいことだって忘れちゃえるよね。私の場合はそれがお笑いだったということだけど、皆さんにもきっと何か、そういうものがあると思うんです。それを見つけて、まずは自分が楽しもうとすることによって、ほかの人にも楽しみが伝わっていく。誰にだって、自分が生きてる「いま」を思いきり過ごして、明るくなってほしいのね。私なんてたいした人生を送ってきたわけじゃないんだけど、年齢や時代は関係ないですよ。70代になっても自分の好きなことをやってる人がいるんだなあ、世の中にはって。じゃあ自分も何かできるんじゃないかなって思って、ちょっとだけでも行動する…それで、こういう人生もありって考えてくれる人がいればうれしいです」
自分のやりたいことを しっかりととらえる。そして、まずは自分が楽しむために、ひたむきに突き進む。
そうすれば、おばあちゃんのように 何歳からでも“自分の人生”を自分で切り開いていくことができるのかもしれません。
Dearにっぽん「いま わたしの舞台(ステージ)で ~77歳の“若手芸人”~」
2024年3月25日(月)NHK総合 夜7:30~7:55 ※NHKプラスで1週間見逃し配信
英語版(29分間):Grandma Takes the Mic