LGBTQ+の友だちの力になりたい
『虹クロ』は性に揺らぐ10代、自分らしくありたい10代、LGBTQ+の人を応援したい10代の皆さんがさまざまな分野で活躍するLGBTQ+当事者のメンター(助言者)たちと、セクシュアリティーやジェンダー、多様性について語り合う番組です。
今回は「悩んでいるLGBTQ+の友だちがいたときに、その人のために自分は何ができるのか」考えたいという10代がスタジオに集まりました。
(『虹クロ』ディレクター 杉山 舞)
【関連番組】虹クロ『LGBTQ+の友だちの力になりたい』
2024年5月7日(火) <Eテレ>午後8:00~8:29
(再)2024年5月15日(水) <Eテレ>午前0:30~0:59 [※14日(火)深夜]
※本放送後1週間、見逃し配信(NHKプラス)でご覧いただけます
LGBTQ+の友だちのために何ができるのか、みんなで本音トーク!
今回スタジオに集ったのは7人。メンターは井手上漠さん(モデル&タレント)、ロバートキャンベルさん(日本文学者)、木本奏太さん(YouTuber&映像クリエイター)の3人。そして、自分はLGBTQ+当事者ではないけれど、悩んでいるLGBTQ+の友だちの力になりたいという10代の“相談者”2人。LGBTQ+の人を支援・応援する活動をしてきた20代の“先輩”2人にも話を聞きます。
“相談者”のモエさん(19)とコウガさん(19)は大学1年生。“先輩”のミミさん(20)、ミクさん(24)は大学でLGBTQ+への理解を広める活動を行ってきました。
悩んでいるLGBTQ+の友だちの力になりたい
コウガさんは高校生のときに、友だちからカミングアウトをされました。LGBTQ+当事者の人と出会ったのは自分の知る限りでは初めてのことだったといいます。以来、「悩んでいるLGBTQ+の友だちの力になるにはどうしたらいいか」と考えるようになりました。
(僕が知りたいのは)悩んでいるLGBTQ+の人に何ができるかなということです。高校生のときに「自分はLGBTQのQなんだ」と打ち明けてくれた友人がいたんですけど、そのときに初めて自分の周りでそういう当事者の方がいるという状態になって、逆に身近になったからこそ悩むというか…。
友だちとの出会いが考えるきっかけになったというコウガさんに、キャンベルさんは。
めちゃくちゃいいきっかけじゃないですか。自分の中でそれを考える、深掘りして自分で考えるきっかけにしていけば、その(LGBTQ+の)人とは関係ない場面でも、自分もやっぱりすごく成長する、育つような気がすごくしますね。
ただ、悩めるLGBTQ+たちが世の中にたくさんいるというふうにあまり思わないほうがいいんじゃないかなと思います。
“差別的な発言”に対して、何も言えない…
筑波大学の大学院で国際教育について研究してきたミクさんは、LGBTQ+への理解を広める活動を行う学生団体に参加してきました。LGBTQ+の友達がいたミクさんは、「何か自分にできることをしたい」「“アライ(Ally)”になりたい」という思いから、団体への参加を決めました。
アライとは、多様な性のあり方を理解し、LGBTQ+の人たちを支援・応援する人のことです。
そんなミクさんには忘れられない“苦い体験”があります。それは団体の活動以外のところで友だちと話をしていたときのこと。ある人がLGBTQ+の人たちに差別的な発言をしたのに対して、ミクさんは何もできなかったと言います。
「それ、差別的な言動だって分からないの?」と私自身、心の中では思っていたけど、私がこれをひと言を言ってしまうと“空気凍っちゃうな”とか“会話止まっちゃうな”みたいに思って。結局そのときは私は笑うだけしかできなくて。学生団体のみんなの前では差別的な言動をした人に対して、「その言動よくないよね」とか「社会を変えていかないといけないよね」とか言っている一方で、結局自分は何もできてないじゃんって…。
何も言うことができなかったミクさんは、“自分にはアライを名乗る資格はない”と感じたといいます。そして、次第に学生団体の活動に参加することができなくなってしまいました。
アライというのはLGBTQ+の当事者に寄り添って、当事者の方が幸せに自分らしく生きていけるような社会になっていけるように一緒に闘っていく人だと思っていて、私もそれを一緒にやりたいと思って学生団体に入りました。
でも、いわゆるストレート(異性愛者)の人たちばかりの中で恋バナとかをすると、「LGBTQ+って面倒くさいよね」とかいう発言をすごく聞いて。そうした発言をする人たちを目の前にしちゃうと、“それ(「差別的だよ」ということ)を言うことによって、私が嫌われたらどうしよう”という気持ちがあって…。
結局、(自分は)口先だけだなって、すごく悩みました。
ミクさんの体験を聞いたコウガさんとモエさんは。
特に自分のコミュニティーの中で、そういった(差別的な)発言を聞いたことはないんですが、多分そういう発言をする人って(それが差別的かどうか)分からないから発言できるというところがあると思います。どうしたらいいか難しいなと思います。
私も同じようなことになってしまったときに、ちゃんと「差別的な発言じゃない?」と言う勇気をもてるかと言われると、あまり自信がなくて。こういうときにどういう気持ちで、どういう接し方をしたらいいのかなと思いました。
帯広畜産大学に通い、LGBTQ+への理解を広めるサークルに所属しているミミさんも、何も言うことができなかったというミクさんに共感すると言います。
(何も言えないというのは)すごく分かるなというのが率直な感想です。日常生活の中で、その場で注意をできるかと言われると、なかなか毎回できないと感じます。
メンターの木本奏太さんは、自分はLGBTQ+の当事者であるものの、ミクさんと同じように悩むことがあると語りました。
“差別的な発言”について、メンターたちは…
僕もトランスジェンダー当事者で、オープンに話しているけど、そういう場にいたときに(「差別的な発言だよ」と)言えるかといったら言えないんですよ。
でも、その場で必ずしも言うことが全てではなくて、例えば後からその発言をした人に1対1で「あれってどういう意味で言ったのかな?」と聞いてみるだったり、その場に当事者の方がいて“多分傷ついただろうな”と思ったら、後から「あの発言、大丈夫だった?」と声をかけるのでも全然オーケーなんですよね。
多分ミクさん自身もその(差別的な)言葉で傷ついているはずなんですよ。ミクさんには自分のことを責めないでほしいしというのはちょっと伝えたいなと思いました。
キャンベルさんは「差別的」であることに気づくことが大切と言います。
やっぱり、(差別的だと)気づくことが、すごく大事なことだと思うんですよね。例えば、僕が育ったアメリカだとユダヤ人もいるし黒人もいるし、僕はアイルランド系で、それぞれの“あるある”があって、それを結構ジョークに割と平気でするんだけど、一線を越えると、それが間違いなく差別になるんですね。
その一線がどこにあるかというのがグループによって、時代によって違っていて。その辺にアンテナを張っていれば、僕は大丈夫じゃないかなと思うんですね。
LGBTQ+“当事者”と“非当事者”の違いとは…
“自分にはアライを名乗る資格はない”と悩んだミクさんは、その後、自分の思いを学生団体のみんなに打ち明けたといいます。そのときのミクさんの様子をそばで見ていた学生団体の仲間が、オンラインで話を聞かせてくれました。
ミクさんが所属するLGBTQ+への理解を広める学生団体を立ち上げ、代表を務めてきたアキラさんです。
ミクが涙ながらに「自分が本当にアライを名乗っていいのか、(アライとして)動けなかった」ということをすごく苦しそうに語ってくれて。素直にうれしかったです。僕だけが背負えばいい話を一緒に背負ってくれて、それを悔しんで苦しんでくれることは「すごく仲間だな」と思えた瞬間だったと思います。
それと同時に、何か大変なものを背負わせてしまったなというところで、(学生団体の)企画者として、すごく責任をその後も感じ続けてきたというのが率直な思いですね。
アキラさんは悩むミクさんに、ある言葉を伝えたといいます。
LGBTQ+を取り巻く問題に関することで悩んでいるという意味でいえば、「広い意味で(ミクも)当事者なんじゃない」と話したことを覚えています。
“当事者”という言葉はすごい曖昧(あいまい)で、“当事者”と“非当事者”の違いはその問題から離脱できるかどうかいうことかと思うんですよね。
当事者は、人生をかけて悩みの程度は変わるかもしれないけれど、その問題を抱えていかなければいけない。でもアライとか支援者、非当事者は、その問題に関わろうと思うときは関われるけれど、しんどくなったり、いろんな理由で離れることもできたりする。
(その差別的な発言は)ミクにかけられた言葉じゃないはずなのに傷ついて、そのことでずっと考え込んでしまって。「ミクは離脱できない。じゃあ当事者の一員なんじゃないか」という思いで声をかけました。
アキラさんの話を聞いたキャンベルさんは、アライの役割について自らの考えを伝えました。
アキラさんの「ミクさんも当事者じゃん」という言い方は、1つの例えとしては理解できますけど、でもさ、当事者じゃないよね。
「当事者ではない人」の立場はすごく大切で、例えば社会の中でLGBTQ+の人たちの生きづらさとか法整備(の問題)とか、いろんなことを伝えていく、世の中を動かしていく立場が当事者とはやっぱり異なっていて、そこで僕は頑張ってほしいなと思うんですね。
キャンベルさんの話を聞いてアキラさんは。
そのとおりだと思います。やっぱりその(当事者・非当事者という)線引きはあるんだけれど、「当事者」という言葉が持っている枠組みをどれだけずらしながら一緒に動けるかということを考えることは、一緒に動いていく上では重要なことだと僕は思っています。
だからミクにあのまま(活動から)離脱してほしくなかった。(学生団体に)いてほしかったし、一緒に動きたかったという僕の思いもあったので(そういう言葉をかけました)。
アキラさんに「ミクも広い意味で当事者なんじゃない」と言葉をかけられたミクさんは、もう一度アライとして頑張りたいと思えたといいます。
その言葉をかけてもらったときに、私も一緒に活動していい仲間なんだと思えて、すごく勇気づけられましたし、ちゃんと仲間に入れてもらえているということに対してすごく救われたなと思います。
LGBTQ+の人たちを支援・応援する“アライ”とは?
さらにスタジオでは、出演者それぞれが考える“アライ”について語り合いました。
“アライ”という言葉を知ったのもアキラから聞いたぐらいで、(最初は)全然分からなくて。私が最初にイメージしたのは、LGBTQ+の人に対して寛容で、あまり差別的な言動をしない人みたいなだけと考えていたけれど、ちゃんと行動していく。アライだからこそ、社会に対して言えることはたくさんあると思うんですよね。声を上げていくということが大事と思います。
行動していこうというアクションの思考は(アライにとって)重要な点かなと僕は思っていて。自分にあったやり方というのがあって、それを探していくことを常にできることが大事と思います。
私は一回も自分のことをアライだと思ったことはなくて。「思わないようにしよう」となんとなくちょっと思っているところもあったりして。(LGBTQ+への理解を広める)サークルに入っているのも、一生(アライを)追い求めているから。(LGBTQ+のことを)知ろうとしたり分かろうとしたりすることの先にアライがあるという感じで、考え続けたり活動し続けたりしていること自体に、すごく理由(や意味)があるかなと思います。
(LGBTQ+の人のために)何かをしたいという気持ちがある時点で、僕は“アライ”と名乗っていいと思っています。(LGBTQ+のことを)みんなの問題として捉えれば、自分だけが背負う問題じゃないんだなと思うので、(みんなでやれることを)分散させていくというのが1つの考え方としてあるのかなと。
メンターや先輩たちの話を聞いた10代のコウガさんとモエさんは…。
(皆さんの話を聞いて)難しさはすごく感じました。ただ、自分なりのアライというか、自分にあった方法でやっていくというのは、自分の中で納得できたというか。いろいろ複雑に考えてしまうからこそ、自分にできることを見つけてやっていくっていうのがすごく大事なのかなと、なおいっそう思いました。
やっぱり一人で全部背負おうとするんじゃなくて、木本さんがおっしゃっていたように、みんなで分散してやっていく、理解していくというのが大切なのかなと思いました。
“アライ”について、さまざまな意見を聞いた井手上漠さんは。
学生のときに殻に籠もっていたときの自分が、“アライ”という肩書をもって生きている人がいるということを知るだけでも、限界で詰まったときに「自分の逃げ道はここにすればいいか」という心の受け皿になると思うし。自ら手を挙げてアライ側になるのって、すごくカッコいいなと思う。
相手の気持ちは「分からない」。だからこそ…
収録の最後、コウガさんは「LGBTQ+の友だちの力になりたい」と考えながらも1つ不安があると話しました。
本当にLGBTQ+の当事者の気持ちや、当事者がどう考えているかというのが分からないかもしれないと思ったときに、(自分に何ができるか)いっそう考えてしまう、どう接すればいいのかなという悩みがあります。
コウガさんの不安に対して、いろいろな意見が飛び出しました。
私は、人の気持ちは分からなくて当たり前だと思って生きているんです。確かに、分かろうとすることは必要かもしれない。だけど、いちばん大切なのは、その人に対して愛をもって接するかどうかだと思うんですよね。
私は、本当の「肯定」は何かをとても考えてほしくて。私は「分かってあげる」ことが本当の肯定ではないといつも思っていて。分からないときは「分からない」と素直に言って、でも「その人の味方だよ」ということを何かで示すというのが本当の肯定だと私は思っています。
僕も分かり合えないことを前提にするべきなんだろうとずっと思い続けていて。例えば、僕は今、ミクとか一緒に学生団体で活動してくれているアライがいる。すごくみんなのことが好きだし、一緒に動いてくれてありがとうと思う中で、例えば、その子たちが結婚とか出産の話で盛り上がっていたりとかしたときに、自分は今、制度的な部分で日本では結婚ができない。そういうことで、モヤッとすることはどうしてもあるんですよね。だからやっぱり分からないとか分かり合えないということが頭にあって。
でも「モヤッとしたからバイバイ」というのは違うだろうとずっと思っています。その人と分かり合えないにもかかわらず一緒に居続けようっていうこと、そこがすごい大事なんだろうなと思います。
「分からない」という相手は多分「分かりたいな」と思うから言うと思うんです。親密になりたいなと思っていなかったとしたら、その場の空気にちょっと合わせたりとか流したりして、なんとなくかわしたりできると思うけど、そこであえて「分からない」と自分が言うとしたら、仲よくなりたいって思っているからこそ言うことだと思っていて。「分からない」と伝えたときに、初めてまた一歩前進するのかなと思います。
今月、僕のパートナーと出会ってちょうど25年になるんですね。最初の数年間は共通しているところ、食べ物の趣味とか、感覚とか、言葉の調子とか、重なっているという部分を求め合ったり確認していた時期が多かったと思うんです。
でも「これ全然違うね」、「分からない」というのは常にある。(「分からない」が)あるからこそ、いとおしいというか、人間って面白いなと思うんですね。
「分からない」ことを恐れたり、ましてや沈黙したり、分からないからちょっとスルーして静かにしておこうということでは何も変わらないし深まらないと思うんです。
言葉がすごく大事だと思っていて。僕自身は言葉を発する前に「ちょっと嫌だったら教えてほしい」とか「これを聞いても大丈夫?」とか、ちょっとつけ加えるというのをすごく意識している。本当にひと言ふた言でも、言葉で表現できる部分があると思います。
みんなの話を聞いたコウガさんは。
話を切り出すときでも何でもそうなんですけど、(相手を少しでも気遣う)ひと言を言うだけで、全然、雰囲気が変わるし、友人関係でも「ひと言あればよかったのに」と思う機会は何回もあって、その延長線なのかなと話を聞いて思いました。
みんなで語り合って
LGBTQ+の当事者であるメンターたちの考えや、かつて同じような悩みを抱えていた先輩たちの体験談など、いろいろな話を聞いたモエさんとコウガさん。最後に穏やかな表情でこう話してくれました。
“アライ”や“LGBTQ+”という言葉はちょっと難しいなというのが自分の中であったんですけど、(みなさんの話を聞いて)誰かのアライになれるんじゃないかなという希望も持てましたし、すごく誰かのアライになりたいと自分も思いました。
シンプルに思ったのは悩んだままでいいんだなということで。悩みながら相手と向き合っていくことが、よくないことだと思っていましたけど、むしろそれをちょっと大切にして、これからたくさんいろんな人と関わって生きていきたいなと思います。
取材を通して
今回、特に印象的だったのは「LGBTQ+の友だちの気持ちが自分に分かるのか」についてみなさんが本音で語り合った場面です。コウガさんの問いかけからスタジオで飛び交ったさまざまな意見。「分かり合えないにもかかわらず一緒に居続けることが大切」、「『わからない』と素直に相手に伝えたときに関係が一歩前進する」といった言葉に私自身もさまざまなことを考えさせられました。
そして同時に思ったのは、相手がLGBTQ+の人であっても、そうでなくても、どんな人間関係においても通ずる大切なことを出演者のみなさん一人一人が伝えてくれているということでした。そうした思いや経験をカメラの前でまっすぐに話してくれた20代の“先輩”たち、そして10代のコウガさんとモエさんに感謝しています。
誰もが自分らしく生きられる社会を目指して、これからも取材を続けます。
【放送予定】虹クロ『LGBTQ+の友だちの力になりたい』
2024年5月7日(火) <Eテレ>午後8:00~8:29
(再)2024年5月15日(水) <Eテレ>午前0:30~0:59 [※14日(水)深夜]
【見逃し配信】5月7日の放送後1週間はNHKプラスでもご覧いただけます