2023年02月16日 (木)YAMAGUTIC


アナウンサーの長野です。

 

今月(2月)10日、YAMAGUTICの放送がありました。

年に5~6回ほど。中国地方5県にラジオ第1で夕方5時台に出しています。

今回は初めて!公開収録でのYAMAGUTIC!

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ということで、




 

その顛末を記します。

 

 

話はYAMAGUTICを初めて担当した時にさかのぼります。

 

高知から山口に転勤をしてきてまだ間もないころ。

初めて私がYAMAGUTICを担当したのは去年9月でした。

県内のある「テーマ」を決めて、そのテーマにふさわしいゲストとレギュラーMCのちひろさん(シンガーソングライター)そして山口局のアナウンサーとトークをするという50分番組です。

 

山口県についてあまり知らなかった私は(今も詳しいとは言えませんが)、いきなりのYAMAGUTICで何をテーマに50分も話せばいいのか。

ともかくちひろさんに聞いてみよう!

 

お盆休みなどもあり、放送まで2週間あるかないか、ぐらいの時期にちひろさんを訪ねました。

私が用意したテーマは3つ。

 ① 金子みすゞの詩から楽曲制作をしているちひろさんなので「金子みすゞ」

 ② 私自身長く趣味にしていて、ちひろさんの専門分野「音楽」

 ③ 日本伝来150年の節目に山口県代表が甲子園で活躍した「野球」

 

ちひろさんと話をする中で、①は2023年が金子みすゞ生誕120年なので来年(つまり今年)やろう!②はいつでもできそうなので、また今度。③が今のタイミングで面白い!ということになり、野球解説者の中田英二さんをお迎えしての放送になりました。

この時の話がまた面白かったのですが(生歌で「栄冠は君に輝く」を歌ったり、トークが盛り上がりすぎて12月に続編で!となったり)またしても話が長くなるので、割愛します。

 

そんなこんなで、2023年は「金子みすゞ」で行こう!ということは去年の8月頃からスタートしていたのです。

実際に本気で動き出したのは去年の12月。前回のYAMAGUTICが終わって間もなくの頃でした。

みすゞの故郷、長門市仙崎をちひろさんに案内していただき、関連資料を読み漁り、金子みすゞ漬けになる中で思ったのは…

 

「仙崎から発信したい」

 

まずは場所。

金子みすゞ記念館、みすゞ通りにあるホールや寺院など、ゆかりの場所から放送できないかを探る中で、みすゞの母校「仙崎小学校」(当時は尋常小学校)が候補に挙がります。

ただ、現在も大勢の子供たちが通っている小学校から放送できるのか。

 

学校を訪ねました。

応対していただいたのが校長先生の阿波浩二さん。

初対面にもかかわらず2時間以上も話し込んで、快諾をいただきました。
放送当日は平日の夕方ということもあり、生放送ではなく土日などの休日に収録で。
さらに大きな教室であれば、観客を収容しての公開放送もできる!

 

出演交渉をすすめていた金子みすゞ記念館の矢崎節夫館長も「仙崎からの公開収録」に乗り気になってくださいました。

矢崎さんは、実は東京在住。金子みすゞの空白の50年(みすゞさんは死後「幻の童謡詩人」としてほとんど一般には知られない存在になっていました)から丹念に掘り起こし、金子みすゞの512編の遺稿集をはじめ、その人物像を明らかにした立役者です。

本業はみすゞさんと同じく童謡詩人。創作活動の傍ら、金子みすゞ関連の講演などを全国で行って「みすゞの魂」を日本中に広げています。

 

番組は矢崎さん、ちひろさん、私の3人でのトークに加え、ちひろさんの歌を随時お聞きいただく。という演出にしました。

うれしいことに、当日の放送がいつもと違って全国放送(一部地域を除いて)になるとの情報も入ってきました。
金子みすゞファンは全国にいる!これはうれしいことだ!と矢崎さんもちひろさんも意気込んでくださいました。

 

それにしても番組に向けての打ち合わせが長くなりました。
金子みすゞの詩の解釈やどんな詩が好きか。みすゞさんの言葉選びのセンスや物を見る目のすごさなどなど。
通算にすると10時間は軽く超えるぐらいです。まあ、その大部分は私が話していたのですが…。

 

トークの合間に歌を歌うために、手軽なギターの伴奏でやろう!ということで私がギターを持っていくことになり、ちひろさん作曲の歌の伴奏を猛練習しました。久しぶりに本気で練習に励みました。

ちなみに使った2本のギターはいずれも1970年代製造のかなり古いもの。
アコースティックギターは中古オークションで10年ほど前に手に入れた(かなりレアなハカランダという木材を使っています)ものですが、もう一本は私の兄が小学生時代に入門者用として買ってもらったクラシックギター(ほとんど弾けるようにならなかった兄からすぐに譲り受けました)。
40年以上、私に弾かれ続け、今ではなかなか魅力的な音になっております。
ギターの話になるととんでもなく長くなりますので、またいずれブログにでも書きましょう。

 

ともあれ2月5日の日曜日午後。一般公募のお客さんたちをはじめ、地元の子供たちや仙崎小学校の先生たちなど、50人ほどの前で収録が始まりました。

 

冒頭、みすゞさんの母校での開催に感極まった矢崎さんのうれし涙からトークがスタートしました。
実は、演奏する曲目と大きなテーマ以外、台本はほとんど用意していませんでした。
事前の打ち合わせでかなり話し込んでいたため、細かい決め事を作るよりも、その場の流れで話を進めるほうが楽しい番組になるとの思いからでした。

 

明治大正時代の仙崎について。金子みすゞがどんな少女時代を過ごしたのか。
話は次々に展開しました。話の中で、おもむろにギターを抱えてちひろさんが歌います。

「大漁」 「星とたんぽぽ」 「こだまでせうか」 「私と小鳥と鈴と」

ちひろさんの朗読もはさみつつ。詩の解釈や、どんな感銘を受けたのか。みすゞさんのメッセージは。次の世代にどうやってつなげていくのか。

 

放送は50分に編集しましたが、トークは90分以上続きました。放送された以外のトークも素晴らしい話ばかりで、時間の制限が惜しまれます。
収録を身にこられた方々の特典ですね、これは。

そしてもうひとつ。ミニコンサートをアンコール的に行いました。収録場所が音楽室でグランドピアノもあったことから、ちひろさんのピアノ弾き語りや私のギターとの合奏も。
なんと私も歌ってしまうという曲もあり(放送はしませんよ、もちろん)お楽しみ会的なイベントになりました。

 

30分ほどのミニコンサートも終わって。
「ガラにもなく緊張してたな~」と思いました。

 

人前でのギター演奏、という要因もあります。
それ以上に「いつも以上に失敗できない」という感覚がありました。
自覚したのは、収録の日の午前中にセッティングやリハーサルを終えて、お客さんたちが来始めたとき。
思いつきで始めた前例のない公開収録番組に、たくさんの人を巻き込んでしまったことに、ハタと気づいたのでした。

 

見に来ていただいたお客さん、ちひろさんに矢崎さん、仙崎小学校の阿波さんをはじめ先生方や子供たち、たくさんのスタッフ…。
失敗できないぞ!これは。

 

いつもの放送も失敗できないんですが、今回はプレッシャーに感じたのです。

そうそう、緊張って失敗を恐れたり、うまくやろうという気持ちから生まれるんですが、私の場合、緊張から逃れるために「失敗しても大丈夫!むしろ失敗したらそれを楽しんでもらえばいい!」ぐらいの気持ちで乗り越えることにしています。

 

でも今回はそんな気持ちになれませんでした。

たくさんの人の期待に心底答えたいと思ったからなんだと思います。

 

期待に応えられたか、と言われると…

放送が終わった今でも、正直自信はありません。

自分で編集をしていて「もっとうまくやれたな~」と反省する部分はたくさんありました。
ギター演奏も、大きなミスはなかったとはいえ完璧ではありませんでしたし。
何より見に来てくれた皆さんが本当に楽しんで帰ってくれたのか。

 

そんな気持ちはありながらも、自分としてはとても楽しめたと思っています。

やっぱり観客の皆さんと目を合わせながら、対話をするように進行する番組って楽しいんです。
普段のテレビやラジオでは味わえない感覚です。

 

また機会があれば、公開番組を企画したいですね。

その時にはぜひ来てください。

ガラにもなく緊張した長野が見られるかもしれません。

 

え?

ブログが長すぎる?

ここまで読んでいただいてありがとうございます。

こんな長文に最後まで付き合っていただける貴方はきっと少なからず長野を好ましく思ってくれているのではありませんか。直接見てみたいと思うほどに!?

 

そうです。

「また公開番組があれば、ぜひ来てください!!!」というメッセージだったのです。

 

投稿者:アナウンス | 投稿時間:16時15分

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