【記者特集】私たちにも目を向けて

 

「私は幸せになっていいわけがない」。

 

「自分よりきょうだいのほうが大事なんだろうなと思っていました」。

 

どちらも「医療的ケア児」のきょうだいが口にしたことばです。

 

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「医療的ケア児」は、生きていくために、たんの吸引や、チューブで直接、胃に栄養を送る「胃ろう」などが欠かせない子どもたちのことです。

医療の進歩で助かる命が増えている一方、障害などが残って医療的ケアが必要になる子どもは年々増加しています。

最新の推計では全国でおよそ2万人いるとされていて、大人になると「医療的ケア者(しゃ)」とも呼ばれます。

 

しかし、医療的ケア児やその家族への支援は不足しています。

親が睡眠時間を削ったり、仕事を諦めたりして24時間つきっきりでケアにあたっているケースが大半です。

 

このため、これまでは親の負担をどう減らしていくかが主に議論されてきましたが、実はその「きょうだい」にも影響が出ていることがわかってきました。

 

 

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山形県南陽市に住む松林まつばやし紗希さきさん(19)。

通信制の高校に通っています。1歳年上の兄・佳汰けいたさん(20)、そして妹の亜美あみさん(17)との3人きょうだいです。

 

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佳汰さんと亜美さんは生まれつき難病を抱えています。

話をしたり、自力で歩いたりすることができず、母親の瑠美子るみこさんが、入浴や食事の介助などを行っています。

特に佳汰さんは食べ物を飲み込む力が弱く、1日に何度も「胃ろう」などの医療的ケアが必要です。

 

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家族の“ムードメーカ-”は紗希さん。

妹が大好きな猫の人形で遊んであげたり、ひらがなや絵が書かれたカードを使ったりして頻繁にコミュニケーションを取っています。

 

松林紗希さん「鉛筆のカードを妹が私に差し出すと『勉強しろ』という意味なんです。

あとは、佳汰の『け』を出して『佳汰 大好き』とか言ってますね」

 

母親の瑠美子さんは「きょうだいの機嫌が悪いときも、紗希がうまくなだめてくれて、おむつ交換や着替えも手伝ってくれるので助かっています」と感謝を口にしていました。

 

 

母と離れ離れの日々

 

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そんな紗希さんですが、小さいころは、入退院を繰り返すきょうだいの付き添いで母親がたびたび家を空けなくてはならず、そのたびに1人祖母の家に預けられていました。

 

松林紗希さん「病院に向かう3人を見送るために、私は駅のホームで母方の祖母と並んでいたんです。新幹線には兄と妹が車いすで扉のそばに乗って、母が脇に立っていました。そして、扉が閉まっちゃって、私がすごく泣くという映像が自分の中でずっと残っていて…。

それがすごく寂しくて悲しかったという風に覚えています」

 

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紗希さんにさみしい思いをさせないようにと、6歳のクリスマスプレゼントに贈られたのが携帯電話でした。

 

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母・瑠美子さん「たっぷり一緒に寝たりとか、制限なしにどこかに連れて行ったりとか、時間も自由に使えるように過ごしてあげればよかったかなとは思っています…。

当時は、携帯のメールで『おやすみ』とか『おはよう』のやりとりもして、それだけでもちょっと安心した部分があればと思っていました。あとは、一晩だけでも紗希が病院に一緒に泊まれるように病院にお願いしたこともありました」

 

 

“幸せになっていいの?”

 

その後、きょうだいが入院する回数は少しずつ減りましたが、母親の瑠美子さんがケアに追われる生活は変わりませんでした。

そんな母親を見ているうちに、紗希さんは、自分が幸せになることさえ後ろめたく感じるようになったと言います。

 

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松林紗希さん「今はもう全然母も明るくしてくれているんですけど。私が小さい時は、常備薬を飲んでいるのを私が見て『それ何の薬?』と言ったら『死ぬための薬だよ』と言われたことがありました。

『もう嫌だ』と言っているのも見ていたので、そういうのが今も意識の中にあって。自分がすごく幸せだったり、気が休まっていたりすることに気づくと『こんなに幸せになっていいわけがない』というのが小さいときからずっとありました」

 

 

親だけでケアを担うことには限界が

 

母親の瑠美子さんは、きょうだい2人を、夜間や日中預かってくれる施設や、少しの間だけでもケアを代わってくれる人がいれば、生活も違っていたのではないかと話していました。

 

 

もっと僕の話を聞いて

 

自分の気持ちをいつの間にか押さえ込むようになっていたという、医療的ケア児のきょうだいもいます。

 

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山辺町に住む海保かいほ佑太ゆうたさん(17)です。

 

双子の兄の俊輔しゅんすけさんには生まれつき障害があり、たんの吸引や人工呼吸器、それに胃ろうが欠かせません。このため、母親の智美ともみさんがつきっきりでケアをしてきました。

 

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小さいころ、佑太さんが母親に話したいことがあっても、兄の世話で忙しく、なかなかすぐには応じてもらえなかったそうです。

 

海保佑太さん「しゅんちゃん(俊輔さん)のことで忙しいときは『ちょっと待って』という感じはありましたね。やっぱりもっと話を聞いてほしいとか、反応してほしいというのはありました。俺よりしゅんちゃんのほうが大事なんだろうなと思ってましたね」

 

やがて、佑太さんは次第に自分の気持ちを表に出せなくなっていったと言います。

 

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海保佑太さん「自分の書いた作文を親に見せるのがちょっと嫌になってきて、自分の思っていることを親に話すことに対して、いつからかわからないけど苦手意識を持っていましたね。親に認めてもらうために、いい子の自分だけを見てほしい…それ以外の面は見せたくないという気持ちもあったかもしれません」

 

 

気づいていても…

 

佑太さんの気持ちに、母親の智美さんもうすうす気づいていました。しかし、兄・俊輔さんのケアに追われるあまり、十分に向き合う余裕はどうしてもありませんでした。

 

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母・智美さん「佑太はなんでも自分でできるということもあって、なかなか手をかけてあげられなかったというか…。見ているくらいで何もしてあげられなかったなというのがありますね。振り返ると、もっともっと一緒に遊んであげたかったし、抱っことかもしてあげたかったなと思います」

 

 

将来への不安も

 

そしていま、佑太さんは将来への「ある不安」を感じています。

 

海保佑太さん「将来の進路を考えはじめた中学生のころ、ふと、しゅんちゃんはどうなるんだろうと思ったことがあって…お父さんお母さんが、しゅんちゃんを面倒みきれなくなったときは自分が世話をしてあげなくちゃいけないのかなとたまにですけど考えちゃったりしますね。でも、しゅんちゃんに必要なケアを自分ができるのか、1人で面倒をみられるのか、不安はあります」

 

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実は、こうした将来への不安は紗希さんにも共通していました。

紗希さんは、中学生のころから役者になりたいと思っていましたが、その夢をかなえるためには、県外に出なければいけないと考えていました。そこで頭をよぎったのが

「自分が家を出たら、家族はどうなるのか」

ということだったそうです。しばらく誰にも話せずにいましたが、勇気を出して母親に話したら「2人のことは気にせず、自分の好きなことをしていいんだよ」と言ってもらえたそうです。ただ、将来どうなるのか、先の見えない不安はいまでもあると話していました。

 

 

“きょうだい児”の実態も明らかに

 

紗希さんや佑太さんのように障害のある兄弟や姉妹がいる子どもは“きょうだい児”と呼ばれ、同じような悩みを抱えているケースが多いことは少しずつ知られてきました。

 

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中でも、医療的ケア児や、重い知的障害と体の障害がある「重症心身障害児」の場合は、自力で動けなかったり、常に命と隣り合わせだったりして、親が特に大変な状況に追い込まれています。そのため、ほかのきょうだい児に比べて、我慢したり、さみしい思いをしたりする子が多いのではないかと思います。

 

 

初の調査が…

 

ことし3月、ある調査結果がまとまりました。

 

厚生労働省の補助を受けて、民間のシンクタンクが行った全国調査です(「医療的ケア児者とその家族の生活実態調査」)。厚生労働省の担当者に聞くと、医療的ケア児の全国調査で、「きょうだい児」についての設問が盛り込まれたのは初めてではないかということでした。

 

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この調査で「きょうだい児がストレスを抱えているように感じる」と回答した家族は6割近くに上ることがわかったんです。

 

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きょうだい児はどんなストレスを抱えているのか。自由記述には、本人たちの切実な声が寄せられていました。

 

「いつもひとりぼっちか後回しにされる」。

 

「母に甘えたくても次にされて相手にされない」。

 

「習い事ができない」。

 

「遊びに行きたいところがたくさんあるけど行けない」。

 

こんな声がいくつも書かれていました。

 

ただ、今回、取材に応じてくれた紗希さんと佑太さんは「きょうだいがいなければよかったと思ったことは決してありません。むしろ、今の自分がいるのはきょうだいのおかげです」と話しています。

 

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どうする“きょうだい児”支援?

 

こうしたきょうだい児の悩みの原因は、やはり親にケアの負担が行き過ぎていることにあると思います。

 

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きょうだい児の当事者団体や支援をしているNPO法人の代表も「親に負担が偏りすぎている現状を変えられるよう、国や自治体が支援を充実させていく必要がある」と指摘しています。

 

例えば、医療的ケア児者を預かってくれる施設を増やすことや、親がいなくなってからも生活できる施設やグループホームなどの整備も欠かせないと思います。

 

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また、当事者団体などは、ふだんきょうだい児と接する機会が多い学校の先生や地域の人に加え、医療や福祉の関係者を対象に、きょうだい児の現状を知ってもらう研修会を開くことも大切だと指摘しています。

きょうだい児が気軽に気持ちを話したり、悩みを打ち明けたりできる場を作ることも重要です。

 

例えば、大阪にあるNPO法人「しぶたね」では、きょうだい児を支援したいと考えている人などを対象に、現状について知ってもらう研修会を全国各地で開いていて、参加した人は専門のサポーターに認定されます。また、きょうだいが主役になれる「きょうだいさんの日」を設けて、遊びながら同じ境遇の子どもが知り合える場も作っているということです。

 

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県内でもことし2月、医療的ケア児者・重症児者の「きょうだい児の会」が発足しました。ここには、紗希さんも佑太さんも参加しています。佑太さんは「自分だけじゃないんだという安心感がありました。あと、小さい子もいたので面倒をみてあげたいなと思いました」と話していました。ただ、残念ながらいまは新型コロナウイルスの影響で活動ができていないそうです。

 

 

いますぐ支援の手を

 

支援団体によりますと、きょうだい児のなかには、自分の気持ちをほかの人に話せないまま大人になり、将来の夢や結婚まであきらめて「生きているのがつらい」という状況まで追い詰められている人たちもいるそうです。

 

医療的ケア児への支援は、少しずつ前進してきましたが、自治体によっては、まだまだ遅れているところもあります。

支援が足りていないことが、きょうだいたちの人生にも大きな影を落としているということを、国や自治体、それに周りの人たちがしっかりと認識して、1日も早く支援の手を差し伸べて欲しいと思います。

 



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山形局記者 | 投稿時間:12:54