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※戦争の実体を伝えるため遺体の映像や写真が写ります。音量をONにしてご覧ください。




 


BATTLE OF OKINAWA

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70年前 亜熱帯の美しい島は

狂気の戦場と化した

本土防衛の最前線と位置づけられた沖縄

ひとたび戦争が始まると

」が顧みられることはなくなっていった

戦没者20万人

住民の犠牲は国内の地上戦で最大となった

あらゆる地獄を集めた」戦場で見たものとは…

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沖縄戦全記録 BATTLE OF OKINAWA

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INTRODUCTION

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太平洋戦争の当初、日本軍は広大な地域に進出した。

しかしアメリカを中心とする連合国軍はアジア太平洋の島を次々に制圧。

日本の「絶対国防圏」を突破して日本本土に迫った。

日本軍は沖縄に10万の兵を集め、本土への侵攻を食い止めようとした。

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日本軍の作戦
皇土防衛ノタメノ前縁ハ、沖縄本島
極力敵ノ出血消耗ヲ図ル…

天皇直属の最高統帥機関である大本営の作戦計画には、

『皇土防衛のための「前縁」は、沖縄本島』『極力敵の出血消耗を図る』と記載されている。

つまり沖縄を本土防衛の最前線と位置付け、現地の32軍には

1日でも時間を稼ぐ「持久戦」を求めたのだ。

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American forces landing

米軍 本島上陸

1945.04.01

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4月1日。

10万発を超す艦砲射撃とともに午前8時半、アメリカ軍が沖縄本島に上陸した。

のちに「あらゆる地獄を集めた」と形容された、壮絶な戦いの始まりだった。

侵攻するアメリカ軍の先にいたのは日本軍だけではなかった。

そこには50万もの住民が残っていた。

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上陸地での被害

死者のデータを解析すると、上陸地点で亡くなった住民は292人。

日本軍は上陸地点の周辺にはほとんど兵力を展開していなかった。

沖縄の32軍は大本営から持久戦を求められたため

限られた兵力を司令部周辺に固めるしかなかったのだ。

死者のデータについて

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ジェームズ・バーンズの陣中日誌

上陸作戦を指揮したのはアメリカ軍のバックナー司令官。

その側近として沖縄戦を記録した人物がいる。ジェームス・バーンズ元曹長だ。

アメリカ軍の機密扱いとなっていた陣中日誌には、当時の様子が次のように記載されていた。

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住民の死体の山が放置されている
殺害した4700人のうち2000人が沖縄の住民だった

戦闘の詳細を書き記す中に繰り返し登場したのは「住民」という言葉だった。

おびただしい数の住民の死を目撃した。

American forces landing

伊江島の悲劇

1945.04.16

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死者数が突出していた島

死者のデータをみると4月20日、北部の小さな島で死者数が突出していた。

わずか1日で島にいた住民の全犠牲者の半数を占める781人が亡くなっていたのだ。

そこには、戦闘に巻き込まれただけではない「死」の理由があった。

死者のデータについて

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大勢の観光客が訪れる伊江島。

この島に70年前

アメリカ軍が陸海空の全方位から攻撃を浴びせた。

4月16日の映像には上陸の様子が記録されていた。

アメリカ軍の狙いは伊江島にある巨大な飛行場。

日本本土への攻撃拠点のひとつにしようとしていた。

伊江島を守る十分な兵力はなく

32軍は飛行場を自ら破壊した。

島の命運は残留部隊と、残された住民3000人に委ねられていた。

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32軍のナンバー2
長勇(ちょういさむ)参謀長は
戦争の直前、県民にこう呼び掛けていた
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全県民が兵隊になることだ
すなわち一人十殺すの闘魂をもって敵を撃砕するのだ

戦争末期に「一億玉砕」を掲げた日本。

天皇を中心とする国家を守るため

軍人だけでなく一般の国民も命を顧みないという考えが広まっていた。

住民による斬り込み

米軍上陸から4日後の4月20日、日本軍の残留部隊は最後の攻撃をかけた。

「斬り込み」と呼ばれる手製の爆弾などを抱えて敵に突っ込む捨て身の攻撃に、島の女性たちまで加わった。

40年前、沖縄の本土復帰直後に記録された音声証言は

鮮明だった当時の記憶を生々しく伝えている。

私は指揮班の人なんかと一緒に「斬り込み」に出たかったわけ

20日の夜にみんなで飲んでね、恩賜の酒と言って

1人でもアメリカ殺しながら死のうねと

もう最期はみんな子どもをおんぶして弾あたって子どもに

おっぱいあげようとして下ろしたら背中で亡くなった

みんな戦死、最後の斬り込みで

最後、靖国神社にみんな兵隊と一緒に祀られるからと言って

もう全部死なないといかんと思うから、なんでもないですよ

あの時はうれしいんじゃなかったかね

天皇のために死になさい

国のために命を捧げるのは当然だと

捕虜になるということは一番恥ずべき行為だと

小さい時から言い聞かされ、そういう教えしか分からなかった

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集団自決

伊江島ではいわゆる「集団自決」も起きていた。

当時9歳だった大城安信さんが語る。

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伊江島では、

残っていた住民3000人のうち1500人が命を落とした。

逃げる場所もない小さな島。

「一億玉砕」が刷り込まれた住民たちにとって、

生きのびるという選択肢はなかった。

American forces landing

首里陥落

1945.05.31

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防衛召集による戦死

本島上陸からまもなく日米最大の攻防が始まった。

住民の死のデータを見ると、4月下旬までの死者は1万3800人余り。

首里を巡る攻防の1か月間ではさらに増え

2万1600人余りが犠牲となっていた。

その多くが沖縄戦の直前、軍に動員されていた、

「防衛召集」という制度で集められた沖縄の人たちだった。

防衛召集とは

防衛召集とは?

戦時に現地の人たちを軍に組み込んで兵力を補う制度のこと。

最終的には14歳以上の男子中学生が対象になり、2万2000人以上が防衛召集された。

これは本島に展開した兵力の「約2割」を占めた。

「根こそぎ動員」とも呼ばれるこの方針のもと

沖縄全体で「軍民一体」が推し進められた。

死者について

沖縄戦は国内の地上戦で住民の犠牲が最大となったが、

被害があまりにも大きかったために正確な全体像が戦後70年たった今も分かっていない。

NHKは、沖縄県が戦後唯一全世帯を対象に行った戦没者の調査記録のうち、

いつ、どこで、亡くなったのか、個人名を除いたデータを入手した。

そして膨大なデータから、亡くなった日付や場所が特定されている住民8万2074人の記録を解析。

住民の「死」がどのように積みあがっていったのか、1日ごとの死者数の推移が初めて浮かび上がった。

もう日が暮れてから「斬り込みに出されて、大体沖縄の人。

鉄砲もない、竹やりと手榴弾くらい。

爆破するときは抱いていって、戦車の下に入ってから爆発させる。

もう死にに行くわけさ。

弾薬は何回も運んでますから。夜は地雷埋めなんかしてました。

おにぎり握ったり、壕の入り口で(炊事を)そこでやった。

すぐ(砲弾が)直撃。後ろにポコッとみんなにあたった。

女の人が2,3名。首がなくなったり、体が切られたり。

日本兵と住民の証言

防衛召集を間近で見ていたという日本兵や住民の音声証言から、

防衛召集以外にも戦場に駆り出された住民がいたことが明らかになった。

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元上等兵

濱本俊則

元大尉

伊東孝一

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当時29歳

男性

当時18歳

渡慶次ミツ子さん

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軍民一体の掛け声のもと
兵力不足を減った日本軍
本土防衛のための戦いは
兵士だけでなく
住民の命と引き換えに続けられていた
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5月14日。アメリカ軍が日本軍の司令部の目前に迫った。

シュガーローフと呼ばれる丘を巡っては11回も攻守が入れ替わる激しい戦いが繰り広げられた。

アメリカ軍の報告書によれば海兵隊の死傷者は4000人に上る。

この頃の映像には精神に異常をきたす兵士の姿が映し出されていた。

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アメリカ軍の無差別攻撃

首里攻防戦の1か月で命を落とした住民は2万1600人。

その死には無差別化していくアメリカ軍の攻撃も影響していた。

死者のデータについて

専門家による映像分析

シュガーローフの周辺で撮影された映像を専門家と検証すると衝撃的な場面が見つかった。

アメリカ兵が銃撃を浴びせるその先に住民らしき人影が映っている。

「狙われやすい場所を移動するのは兵士ではあり得ない」と専門家は言う。

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ジョー・ドラゴ元伍長の証言

シュガーローフの戦いを生き延びた元海兵隊員

ジョー・ドラゴ元伍長が沖縄に送り込まれたのは19歳の時だった。

当時、日本兵と沖縄の住民を見分けることは難しく、常に疑心暗鬼の状態だったという。

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住民が隠れ蓑

アメリカ軍の疑心暗鬼をさらに深める事態も起きていた。

沖縄戦の最中、アメリカ軍が日本軍の戦術を分析した

報告書には、日本兵が着物をまとい住民に偽装している

写真が掲載されていた。

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日本軍の一部は、住民を隠れ蓑にしていた

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激化する無差別攻撃

アメリカ軍の無差別攻撃はさらに常軌を逸したものになっていった。

地下壕を見つけ出しては逃げ道を断ち

火炎放射器で中を焼き尽くす「馬乗り」攻撃を繰り返した。

しかしその中には住民たちもいたのだ。

150m前に来たらその戦車砲で(洞窟の)入り口をぶち壊す

火炎放射器というのもまかれた、壕の中で。

おじさんが もう生きていて焼ける

パチパチして

もう何十名こんなにして

みんな戦死なさって

伊智万里子さんの証言

この証言をテープに残した伊智万里子さん(91歳)

狂気を帯びたアメリカ兵の姿が今も頭から離れないという。

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5月31日

首里の日本軍司令部が陥落。

日米の激しい戦いは事実上の決着がついた。

バーンズ元曹長は

兵士や多数の住民の死を目の当たりにした。

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丘の斜面にはアメリカ人だけでなく、日本人の死体が投げ出されている

死体はバラバラで 黒く焼け焦げている

それは 沖縄で見た光景の中で最も凄惨なものだった

American forces landing

持久戦の果てに

1945.06.23

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事実上の

決着後も続く戦闘

沖縄本島最南端に司令部を移した32軍。

本土決戦に向け少しでも時間をかせぐため

持久戦を継続する決断を下した。

南部では、防衛召集などで動員された人たちや、

行き場を失った住民たちも殺到し

ひしめきあう状態が生まれていた。

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6月以降の死のデータ

首里が陥落した後の6月以降、4万6000人以上が犠牲となっていた。

事実上の決着がついていたにもかかわらず全体の6割近くが命を落としていた。

特に日本軍の組織的戦闘が終わる6月23日までの1週間では、

わずか1日で5500人が亡くなった日もあった。

死者のデータについて

南部での掃討戦

6月、アメリカ軍は南部で掃討戦を開始。沖縄戦は最終局面に入った。

海からも南部を包囲し艦砲射撃を浴びせ、犠牲が急激に拡大していった。

梅雨の降りしきる雨の中、逃げ惑う住民たちの頭上に絶え間ない砲弾が降り注いだ。

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日本の兵隊がきまして「おばあさん連中はみんな出て行け」と。

「あんたがた今来て出ろと言ってもね、

外は弾が降ってるじゃないか

出ろというのはすぐその場で死ぬじゃないか」と言ったらね、

「何、貴様」という

「何言ってるんだ」とすぐ拳銃出して撃とうとした。

子どもが泣いたらね「弾がこっちに来る、みんなの迷惑だから出て行け」と

人間ってそんなかねと思ったね

赤ちゃんのいる人は泣いたら外に出て

6つくらいの男の子が「かぁーちゃん」と泣いた。

この子のためにと親も前にして(祖父母が)口を塞いで圧迫して死んだと

もう怖くなってみんな震えて。

いくつもの悲劇

身を守るには地下壕やガマと呼ばれる洞窟に逃げ込むしかなかった。

そこではいくつもの悲劇が起きていたことが人々の証言から明らかになった。

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元上等兵

濱本俊則

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住民

渡慶次ミツ子さん

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当時33歳

男性

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当時18歳

島民女性

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当時18歳

島民女性

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グレン・ニュート元伍長の証言

沖縄最南端の喜屋武半島では逃げ場を失った住民たちが次々に断崖から身を投げた。

南部の掃討戦に従事したグレン・ニュート元伍長は

その時の光景が今も脳裏に焼き付いて離れないという。

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6月23日
牛島満 司令官 自決
日本軍の組織的戦闘は終わった

伊東孝一元大尉の証言

伊東孝一元大尉は組織的戦闘が終わった後も南部の地下壕に隠れてゲリラ戦を続けた。

アメリカ軍に投降したのは終戦後の8月末だったという。

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渡慶次ミツ子さんの証言

日本軍を手伝いながらガマを転々とする中で

砲撃で姉を失った渡慶次ミツ子さん。

「なぜ」あのような苦しみを味わわなければならなかったのか。今も問い続ける。

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沖縄戦後のバーンズ元曹長

陣中日誌を記したアメリカ軍のジェームス・バーンズ元曹長は

95歳でこの世を去っていた。

元妻のジャネットさんが、沖縄戦後の夫の様子を語った。

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陣中日誌の最後は、こう締めくくられている
戦場のすべてを見た。もう十分だ。

あの戦争から70年

遺骨さえ見つかっていない人は今も3000人以上に上るとされる

今年も沖縄では100体近い遺骨が見つかった

本土防衛のため国家が遂行した沖縄戦

ひとたび戦争が起きればひとりの命がいかに軽いものか

20万の死者たちが今に突きつけている

沖縄戦全記録

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GAMA 360°
VRで伝える沖縄戦全記録 Vol.1

沖縄に点在する、「ガマ」と呼ばれる洞窟。

沖縄戦では、住民や日本兵の避難場所として、また野戦病院として利用されました。

様々な悲劇が生まれたこの場所の一部を、

VR(バーチャルリアリティ)の技術を使って360度見渡せる動画を公開します。

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ナレーション:田中泯
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沖縄のガマを360度体感GAMA360°