担当:草野

2016   3   29   (火) 放送

安全への願いを込めて

 
草野

この春、橋本市内の3つの中学校が1つに統合されることに伴い、卒業した小学生も中学校へ通う通学路が大きく変わります。
そこで、小・中学校や児童館などで、新しい通学路に設置するパネルなどをつくりました。

6年生の児童が通う予定だった西部中学校が閉校になるため、新しい中学校への通学路に設置しようと手形を押し、名前を書き安全への願いを込めました。

この度、橋本市内にある西部、学文路、橋本の3つの中学校が閉校になり、橋本中央中学校に統合されることになりました。

そのため、小学生を含めた子どもたちの通学路が大きく変わることになります。

そこで、各学校で交通安全や防犯を呼び掛けるパネルを作り、新しい通学路に設置しようとしています。

この取り組みの中心メンバーの1人、市内の児童館の館長をしている前田和さんです。

前田さん:「ほとんどが自転車通学になると思います。ただ山間部から通う生徒にはスクールバスも出ると聞いています。大丈夫だろうかと、不安をもっているみたいです。地域の方もすごく不安を感じているみたいなので、交通安全の啓発、不審者などへの防犯の看板をつくりたいなと思いました」

 

中学2年生の井上暖さんと一緒に、今まで歩いたことのない新しい通学路を歩きました。

やはり、不安もあると井上さんは話していました。

井上さんの西部中学校は、全校生徒94人で今年の春閉校になります。

手作りのカレンダーに卒業証書や制服などを描き込んで、閉校までの一日一日を大切に過ごしています。

生徒は「寂しい気持ちでいっぱいです。残り少ない西部中学校の生活、時間を大切に過ごさせてもらっています」とか「橋本中央中学校に行って新しい発見があるんじゃないかなと思います」などと話していました。

 

西部中学校は、前身の中学校が昭和22年開校以来69年間、およそ5000人の生徒が巣立ちました。

しかし、ピーク時には200人以上いた生徒数も半分以下に減り、閉校が決まりました。

放課後、絵を描く美術部の生徒たちを訪ねました。

通学路を案内してくれた井上さんは美術部の部長です。

部員9人は、これまでの徒歩通学から、自転車やスクールバスなどで通学することになります。

新しい通学路に設置しようと、防犯や安全を呼び掛ける作品をつくりました。

部員は「他の学校も一生懸命作っていると思うので見るのも楽しみです」などと話していました。

こちらの作品は、閉校になる自分たちの制服を着た女子生徒と、地域の小学校の制服を着た男子児童を、安全への願いを込めて描きました。

井上さんは「安全に登下校できるようにと作っています。小学生のころから憧れていた中学校だったのでさびしいです」と話していました。

4月から新しい中学校に行く井上さんに今の気持ちを聞きました。

井上さん:「通りすがりの人とかに西部中学校の子なんやろ、向こうの学校に行ってもがんばりなさいと言われます。人数は少なかったけれど皆仲良くしていて、楽しかったよということを伝えたいです」

 

この取り組みで、4つの小学校、3つの中学校と児童館などが参加して、32枚のパネルをつくりました。

これらを紀北工業高校も参加して、新しい通学路に設置する予定だということです。

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担当:片山

2016   3   22   (火) 放送

しいたけで村を元気に

 
片山

和歌山県の認定した優れた県産品「プレミア和歌山」に、龍神村のしいたけが新たに選ばれました。
地元の人たちが過疎化する村の活性化を図ろうと、閉校した中学校で育てています。
若い世代にしいたけ栽培を引き継ごうという村の人々の思いも伝えます。

3月1日、和歌山県が認定した優れた特産品「プレミア和歌山」に、龍神村のしいたけが新たに加わりました。

県外からも注文が入るという、直径10センチほどの大きなしいたけ。

香りが強く、もっちりした食感が高く評価されました。

このしいたけ、9年前に閉校した中学校を利用して作られています。

これを中心となって作り育てているのが伊藤委代子さん。

本格的な栽培は60代になってから始めました。

過疎化が進む村を活気づけようと、初めて農業に挑戦。

龍神村では、もともと原木栽培が盛んでしたが、サルに荒らされる被害が相次ぎ、作る人が減ってきていました。

そこで、被害を防ぎ安定してしいたけを作ろうと、農業用ハウスでの栽培に踏み出しました。

使うのは、ブロック状にした木のおがくずに菌を植え付けた「菌床」。

原木栽培より効率的で一年中収穫できます。

 

伊藤さんたちが作るしいたけがこちら。

丸みがあり肉厚がおよそ10センチもある大きな傘が特長です。

普通のしいたけ(左)と、「プレミア和歌山」に選ばれた特大のしいたけ(右)を並べてみると一目瞭然です。

 

おすすめの食べ方は、シンプルに香りが楽しめるバター焼きです。

肉厚でもちもちっとした食感、かなり食べ応えがあります。

 

この高品質のしいたけに欠かせないのが、地元の地下水を1日に3~4回水をたっぷりやることと、どのしいたけにも均等に光が当たるように毎日手作業で菌床を入れ替ることです。

このように伊藤さんは、365日しいたけのことだけを考え作業をしているということです。

 

一方、校舎の中では出荷するための袋詰めをしています。

作業しているのは、幼稚園や小学生の子どもを持つ地元の主婦たちです。

伊藤さんは、村で子育てしながら働ける環境も作りたいと考えています。

 

さらにこれをより広めたいと、Uターンで戻ってくる人などに向けた、住み込みで栽培を学ぶ部屋も造りました。

わが子のように愛情がたっぷり込められた龍神村のしいたけが、地元の若い世代へと引き継がれていきます。

 

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担当:宮崎

2016   3   15   (火) 放送

一刀入魂!若き刀鍛冶

 
宮崎

今月13日、九度山町で大河ドラマ「真田丸」に合わせて「九度山・真田ミュージアム」がオープンしました。
その展示の中の、真田幸村が活躍した大坂 夏の陣のブースに、1ふりの日本刀が納められました。
刀を造ったのは、橋本市に住む29歳の男性です。この春から、自身の工房で新たに門出を迎えた彼の姿を追いました。

その炎を操るのは、濵川貞純さん。

4年連続全国各地の展覧会で入選した、新進気鋭の刀鍛冶です。

濵川さん自身がたたき上げた刀を、13日にオープンした九度山・真田ミュージアムに納めることになりました。

お披露目のこの日 緊張した面持ちで刀を磨き上げる濵川さん。

最後の仕上げにも力が入ります。

この刀は、4年前に行われた全国の品評会で新人賞を受賞した作品です。

光を集約するような研ぎ澄まされた刃先。

鉄の重みを感じる質感。

幸村への鎮魂の思いを込め、新たに幸村にまつわる刻印を刻みました。

 

濵川さんの刀鍛冶を目指すきっかけは高校1年生の頃です。

図書委員だった濵川さんは、書庫で偶然出会った本に刀の美しさを魅せられました。

「教科書みたいなものですね。これを造れるようになるのはいつかわからないが、超えたい」と話します。

高校卒業後、奈良県の日本刀鍛錬道場に入門。

始めの1年は刀を触ることができず、毎日掃除や材料の準備など下積み生活を送りました。

朝5時半から始まる修行生活を、8年間続けました。

小さな鉄の塊を「熱してはたたく」ことを繰り返す刀造り。

2年前に独立した後もなお、古巣の道場を訪ねる濵川さんが研鑽をつむ中で見出したものは、鉄から伝わる振動を繊細に感じ取ることの大切さです。

感覚を研ぎ澄まし、刀を造っていきます。

そんな濵川さんが来月、自分の工房を開くことになりました。

2年間、アルバイトでコツコツためたお金で、ようやく手にする自分の工房。

当面、一人で刀をたたいていくため、知人からある機械を譲り受けました。

包丁をたたき上げるために使われていたものです。

通常、人の手で鉄をたたく作業ですが、一人で行うため機械にその役割を委ねます。

「自分にしか打てない刀を生み出したい」 と話す濵川さん。

窯に火を入れるその時まで最後の調整が続きます。

 

 

<ちょっとウラばなし>

初めて、刀を造るところや真剣を間近で見させてもらいましたが、その迫力は言葉をなくすほどでした。

同世代の濵川さんが厳しい修行に励んだ話や、今抱える不安やわくわくした気持ちの話を聞くことができたのは貴重な体験でした。

 

今回で、私がお伝えする「WA!んだふるわかやま」は最終回です。

これまでたくさんの、スポーツや職人技、ロボコンを中心に3年間和歌山の頑張る人の姿を追いかけてきました。

 

その中で、和歌山の素晴らしさや人の力をたくさん感じることができました。

取材に協力してくださったみなさま、本当にありがとうございました。

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担当:草野

2016   3   8   (火) 放送

高校生の梅料理対決

 
草野

全国一の梅生産地みなべ町で、高校生たちの独創的な梅料理と、その売り上げを競うコンテストが開かれました。
地元みなべ町からは2チームが参加しました。

2月、高校生が南高梅を使って、レシピの独創性などを競うコンテストが開かれました。

半世紀にわたって全国一の梅生産を誇ってきたみなべ町ですが、梅の消費量が年々減り、特に若い世代への消費は伸び悩んでいます。

そこで若い人にも関心を持ってもらおうと、今年初めて開かれた「UME1グルメ甲子園」。

関西各地から高校生10チームが参加。

オリジナルの梅料理を作って、味やレシピの独創性を競います。

競技は、商品の売れ行きや接客態度も評価の対象になります。

審査員は10人いますが、高校生たちには誰が審査員か分かりません。

地元からは南部高校が2チームで参加。

梅ジュースで、野菜や鶏肉をトロトロに煮込んだ料理を出品した「南高ガールズ」。

梅を混ぜたあつあつのご飯の生地に、鶏肉と野菜を挟み込んだ料理を出品した「UME松」。

中には1時間以上待ちの人気店もありました。

南部高校の最大のライバルは、調理を専門に学ぶ京都の福知山淑徳高校です。

ペースト状にした梅を坦々麺のスープに入れ、胡椒の代わりにお好みで梅パウダーを使うのが隠し味です。

メンバーは、「南高梅は酸味が強く味もしっかりしていて、今回のうめ坦々麺にすごく生かせています」と話していました。

 

時には、ステージ上で商品を熱心に売り込むチームもありました。

「梅の味がしないんですよ、嫌いな人でも食べられるように。でも梅の効果は得られます」と、南高ガールズは意外な点をPR。 

南高ガールズの料理を食べた人は,

「甘くないです。お肉がやわらかいし。おいしいです」と話していました。

南高ガールズは1時間半ほどで完売、もっとも早く売り切りました。

長い行列ができていたのは、南部高校のUME松チーム。

お客さんは、「しその味もしてレンコンもしゃきしゃきでおいしいです」

「ご飯にしているというのが梅と合う感じですね」などと話していました。

いよいよ、審査結果の発表です。

第3位は南部学校、「梅ジュースdeチキン」の南高ガールズでした。

2位も南部高校のUME松。

メンバーは「来年も出たいと思います。次は優勝を狙っていきます」と話していました。

1位は京都の福知山淑徳高校「ウメェ~坦丹麺」。

味や独創性が優れているとして高い評価を得ました。

リーダーの側田順平さんは「南高梅じゃなかったら僕たちも賞が取れてなかったかもしれないですし、本当に感謝しています」と話していました。

実行委員長の稲見好明さんは「みなべ町と言えばグルメ甲子園、グルメ甲子園といえばみなべ町というぐらい有名になっていけばうれしいし、全国の高校生がここに参加してくれるようなイベントにしていきたいなと思っています」と話していました。

このイベントには、県内外から2000人以上が訪れ人気を集めました。

優勝したチームの料理は、みなべ町のホテルのメニューに採用される予定です。

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担当:片山

2016   3   1   (火) 放送

ブルネイ人をおもてなし

 
片山

日高川町では、町を活気づけようと外国人のホームステイ受け入れを続けています。
今回は、東南アジアの産油国・ブルネイの大学生や社会人が訪れた町の人々のおもてなしに密着しました。

林業と、清流のあゆ釣りで知られる日高川町。

人口1万人ほどの町ですが、およそ8年前から外国人に古き良き日本の暮らしを体験してもらおうと、ホームステイの受け入れを始めました。

 

今回はブルネイから22人の大学生や社会人が訪れました。

ここに来る前、東京や大阪で日本の水産業や製造業を視察してきました。

 

ブルネイ人との対面を緊張した面持ちで待つのは、10年前から受け入れを続けている大澤さん夫婦です。

大澤さんが受け入れるのは、ブルネイで水産会社などに勤める人たちです。

 

これまでマレーシアや台湾、韓国などから100人を超える外国人を受け入れてきました。

毎年ホームステイに来てくれるのが楽しみで、家族のように親しんでもらうのが一番の望みだと話す大澤さん。

外国人とふれあうのが生きがいだと嬉しそうに話します。

 

この日の夕食は、みんなで巻きずし作りに挑戦。

人口のほとんどがイスラム教徒だというブルネイ。

イスラム教徒では、豚肉やアルコールを取るのは禁止されているため、脂肪を含まない特別な調味料を用意し、野菜や魚の料理を中心にするなど配慮をしていました。

 

また、英語が苦手な大澤さん、翻訳ソフトなどで何とか会話を試みますがうまくいかないことがあります。でも、気持ちさえ通じ合えば仲良くなれると言います。

そして次の日、彼女たちが楽しみにしていたことが。

それは、大澤さんの若い頃の着物を着せてもらえることでした。

 

野菜農家の大澤さん、畑での作業も体験してもらいました。

この日は大きく育ちすぎたブロッコリーを刈る作業です。

ブロッコリーはほとんど輸入しているブルネイ。

都会育ちの彼女たちにとっては新鮮な体験となりました。

 

ブロッコリーは大澤さんがペットとして飼っているヤギの餌に。

ヤギのソラくんともすっかり仲良くなりました。

 

2泊3日の滞在を終えて、大澤さん夫婦とは家族のように打ち解けた3人。

東京や大阪とは違う地方での暮らしに魅力を感じられたのではないでしょうか。

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