下里駅(那智勝浦町)旅人:Shino 2015年2月9日(月)放送

今回は、那智勝浦町下里駅を出発しました(・_・ゞ-☆

下里駅

いい天気に恵まれ、青い空、青い海…の近くを歩いているお父さんを発見。

お父さんを発見

朝3時ぐらいに起きて、新聞配達をされているそうです。

散歩がてらにぶらぶらされているらしいのですが…

海を眺めながら、

海を眺めながら

「昔、学校を出てから貨物船に乗っていた。世界一周もしたけど、海外に行ってみたらやっぱり日本がいいな、地元がいいな」とおっしゃっていましたヾ(@^▽^@)ノ

地元がいいな

海岸の近くで、こんな看板を発見しました。

看板

ぶつぶつ川?

すごい名前ですね?

ぶつぶつ川

長さが13.5メートルの日本一短い川だそうです。

近くのお父さんたちにお話を伺いました。

近くのお父さんたち

昔は洗濯機がなくここへ洗いに来たそうです。

近くのお父さん

水の温度が一定で、夏場は果物などを置いたら冷えて食べごろになるそうですよ。

冷えて食べごろになるそう

ぶつぶつ川、名前の由来は…ここで物々交換していたからではなく・・・

名前の由来は…

全体重をかけて、石の上を飛んでみると…

ぶつぶつ泡が出てきた

ぶつぶつ泡が出てきた…一説には、これが由来だそうです。

私もやってみると…

私もやってみると…お父さんより泡がいっぱい出たような…

きっと気のせいですよσ(^◇^;)

私の方が泡がいっぱい出たような

午後のひととき、歩いているとオシャレな建物を見つけましたヾ(@°▽°@)ノ

オシャレな建物

訪ねてみると、ご夫婦がいらっしゃいました。

牧師さんと奥さん

ここはキリスト教の礼拝堂で、いらっしゃったのは牧師さんと奥さんでした。

キリスト教の礼拝堂

1925(大正14)年に建てられた教会で、設計したのは新宮市出身の西村伊作という方。

西村伊作

(写真提供:新宮市)

東京の文化学院という学校を設立した教育者として知られているそうですが、建築分野では、居間を中心とした住宅を設計した先駆者でもあるそうで、こちらが大正3(1914)年に建てられた新宮市にある自宅です。すごい雰囲気。

新宮市にある自宅

体面を重んじ、接客を中心とした間取りの家が多かった時代、家族を優先にと居間を中心とした住宅を設計したそうです。

今では日常的な空間となっていますが、当時としては斬新だったそうです。

居間を中心とした住宅

これまた驚きなのが、独学で建築を学び国内で百数十棟の設計を手がけたとのこと。そのうち教会で残っているのは、岡山県倉敷市にある教会とこの教会の2つだけだそうです。

実用的で簡素なデザイン

特徴は実用的で簡素なデザイン。教会内には、十字架が講壇にひとつあるだけでした。

伝統的な教会の建築様式

講壇の後ろのくぼみは、伝統的な教会の建築様式で、今ではこういうくぼみを設けた教会が少ないそうです。新しいものを生み出しながらも、良いと思ったものは取り入れていたんですね。

伝統的な教会の建築様式

牧師さんいわく、視線が集まりやすく、反響のことを考えて作られているのではないか?ということです。

伝統的な教会の建築様式

でも今は、高齢者の方が多くマイクでお話されているそうです。

ところが、牧師さん声がめっちゃ大きく、マイクなしでも届くような気がしました(・。・)

牧師さんと奥さん

今でも、まったく古さを感じない建物でした。

下里の町には、他にもモダンな建物がたくさんありました。

モダンな建物

新宮市出身の作家・佐藤春夫の父、豊太郎が生まれた家。谷崎潤一郎も訪れたといいます。

豊太郎が生まれた家

左は、江戸時代、右の建物は、大正13(1924)年ごろ増築されたもの。

佐藤家は代々医師の家系で、江戸から明治にかけて「縣泉堂(けんせんどう)」という私塾をここに開き、地域の教育に貢献していたといいます。

縣泉堂(けんせんどう)

下里は教育熱心な町で、多くの学者や教育関係者が出ているんだそうです。

ポカポカ陽気のなか、縣泉堂の前でお父さんに出会いました。

お父さん

また下里の町は、アメリカやカナダをはじめ、海外に渡った人たちも多かったとのこと。

なかでも、「ラッコ才兵衛」という人がラッコを商売にしていた…と。

ラッコって、まさかあのかわいい動物園にいるラッコ?なのか?

ラッコ

才兵衛さんゆかりのものがあるということで、歩いて数分。

下里小学校を訪ねました(^。^)

下里小学校

これが、そのラッコ猟に行った船の模型で、才兵衛さんが寄贈したものだそうです。

船

この船で才兵衛さんは千島列島やアラスカをはじめ 太平洋の北側までアザラシやラッコを捕りに行ったそうです。

千島国海獺採之図

(『大日本物産図会 千島国海獺採之図(明治10年)』 札幌市中央図書館蔵)

18世紀中ごろから毛皮を目的としたラッコ猟が盛んとなる中、ラッコ才兵衛は、移民として渡ったカナダで猟に携わり才覚をあらわしました。帰国後、新宮で船を新造して、下里から遠く北太平洋まで出かけます。そして、ラッコに近づくと、絵に描かれているようなボートに乗り換えラッコをしとめたんだとか。外国の狩猟船仲間からは「北太平洋の魔王」とも呼ばれていたそうです。

北太平洋の魔王

「その毛皮は高級なんですか?」とたずねると、僕も持っていないのでわからないですと校長先生…(・・;)

校長先生

「ラッコ才兵衛」さんのお孫さんがいるということで、お会いしました。

清水信郎さん

「ラッコはお金儲けがいいさかね」と話してくれたのは、孫の清水信郎さん。

清水信郎さん

ラッコの毛皮は、密度が高く高値で取り引きされたようで、東京の公立小学校の教員の初任給が8円の時代、ラッコの毛皮が1枚500円で取り引きされていました。ということは、今なら1000万円は軽く超すってことなんですか`s(・'・;)≫

ラッコの毛皮

清水さんが見せてくれた才兵衛さんの写真。

才兵衛さんの写真

子ども心に覚えていることと言えば、おじいさんは短気で腕には傷があって、飲み屋でけんかして切られたとのこと。また、大酒飲飲みで周りはみんな大変だったそうですが…お孫さんのお父さんもお酒は好きだそうです。

清水信郎さん

弱いんやけど、好き。

弱いぐらいがいいのかな…(~ヘ~;)

清水信郎さん

やんちゃで、血の気が多いラッコ才兵衛さんですが、物乞いに来た人に食事を振る舞うなど、心優しい人でもあったそうです。一度会ってみたくなりましたヾ(@^▽^@)ノ

才兵衛さんの写真

下里には昔から海外で働いていた人も多く、町並みも異国情緒にあふれ、どこか海外との距離がとても近い町に思えました。

…ラッコを捕る時代があったんですね、驚きの一言(;゜〇゜)

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旅人

わんだーらんど

わんだーらんど

和歌山住みます芸人として、県内のメディアやイベントで活動中。

2人とも和歌山生まれの和歌山育ち。
谷坂俊輔(右)は紀美野町出身、東岸誠(左)は美浜町出身。

県立向陽高校で、同級生だったことがきっかけでコンビを結成する。
和歌山県を、明るく楽しく元気に盛り上げるため奮闘中!

【コメント】

187cmのダテメガネです(谷坂)
ギャグや漫才、モノマネよりも釣りが得意です!(東岸)

Shino

Shino

和歌山をこよなく愛し、歌い続けるポップロックバンド「Shino+」のボーカルとして活動中

生まれも育ちも和歌山県印南町…かえるの国

明るい性格で、おばあちゃんおじいちゃん好き

時には、子どもの歌のお姉さんとして愛され、アニソンや童謡なども歌っています。

【コメント】

情熱の薔薇の色、赤が好きです
Shinoを町で見かけたら気軽に声をかけてくださいね