これまでの放送

2009年 11月7日 土曜 午後10時〜10時43分

松井秀喜 MVPへの道

これまでの放送一覧

大リーグ、ワールドシリーズの激戦の翌日、MVPに輝いた松井秀喜選手はNHKの単独インタビューに応えた。大リーグ挑戦7年目にしてつかんだ栄冠、奇跡ともいえる大活躍に、本人は「こんな素晴らしいことが起こるなんて、想像ができなかった」と語った。

シリーズの第2戦、フィリーズの先発は通算219勝の大投手、ペドロ・マルティネス投手。実は、松井選手はマルティネス投手を大の苦手としていた。過去のレギュラーシーズンでの対戦成績は1割4分3厘と、太刀打ちできていなかったのだ。
そして、MVPをきめた第6戦の第1打席。再び先発したマルティネス投手、今度はストレート中心に攻めてきたが、勝負はすでに決まっていたようなものだった。マルティネス投手が、攻めに苦しむ中で投げた甘く入ったストレート。松井選手は快音とともにスタンド2階席に叩き込んだ。敗れたフィリーズのマニエル監督は「松井選手はどんなボールも対応してきた。強打者を調子に乗せてしまった。」と松井選手のバッティングに舌を巻いた。

大リーグのワールド・チャンピオンという夢を追い求めてきた松井選手。しかし、ここまでの道のりは体の故障との戦いだった。
松井選手が膝の痛みと戦い始めたのは、2年前の8月。最初に右膝が痛み出し、シーズン後に手術を受けた。翌年、松井選手は巧みな流し打ちでヒットを量産し一時は首位打者に立った。足の筋力が回復していない中で、フルスイングにこだわらず、打率を稼いでいったのだ。しかし、納得はできなかった。「高校時代もジャイアンツにいたころも、走って、自分でスイングして、自分のバッティングを作ってきた。必ずその過程を踏まなくちゃ自分のいいものは出せない」。膝の状態が少しでもいい時に走り込みを繰り返し、いつもの自分を取り戻そうとしていた。ところが去年6月、今度は巨人時代に痛めていた左膝が悪化。満身創痍のなか迎えた、契約最終年となる今シーズンだった。
毎年正月になると松井選手を家に迎える星陵高校時代の恩師・山下智茂監督。「正月一緒に食事をした時は、体がすごく締まっていた。これまでで一番気合いが入っていました。」と、松井選手の姿に悲壮な決意を感じとっていた。松井選手も「ケガを境に衰えていくのか、それともケガをエネルギーにしてV字で戻っていくのか。これはボクの考え方と努力次第。」悲壮な決意を胸にしていた。

しかし、復活を期す今シーズンも開幕から左膝の痛みが取れず、不振にあえいだ。打率は2割台前半に低迷。出場機会も次第に減らされた。6月には地元の新聞が球団幹部の厳しいコメントを伝えた。「松井と来年契約する可能性はほとんどゼロ」。強い逆風にさらされた松井選手。「でもそれがヤンキース。ヤンキースの選手はそういうこともうまく対処しなくちゃ、グラウンドでいいプレーはできない。」復活の日を信じ、ひたすら下半身の強化を重ねた。

8月に膝にたまった水を抜く注射を受け「あとは祈るだけだ。」と膝の回復を待ち続けた松井選手。8月後半からようやく本来の調子を取り戻した。そして9 月、松井選手が大きな手ごたえをつかんだ一本があった。低めいっぱいに落ちる難しい変化球に対し、ようやく痛みの癒えてきた左足にしっかりと体重を乗せ、フルスイングできたのだ。「自分の中では新たに非常にいい状態をつかみだしたというか、そういう感じだと思います。」

そして、たどり着いたワールドシリーズ。シリーズの流れを変えた、第2戦の勝ち越しホームラン。この球も低めギリギリに落ちる変化球だった。しっかりと体重を左足に残し、ボールを引き付けて打った渾身の一発。3年間、苦しんだ末にたどり着いた、集大成のホームランだった。

ようやく栄冠をつかんだ自分にどんな言葉をかけたいか?その質問に松井選手はこう答えた。
「”何かいいことした?”って聞きたいですよね。自分にこんな素晴らしいことが起こるなんて、想像できなかったからビックリですけど、その半面”勘違いするなよ?”って自分には言いたい。またゼロからのスタートだよっていうことですよね。」

キャスター日記