2009年 10月24日 土曜 午後10時〜10時43分

7月、国連は北朝鮮に対する制裁リストに、個人として初めて一人の男の名前を加えた。ユン・ホジン(65歳)。北朝鮮の貿易会社の代表として、核開発に必要な機材や情報を世界各地から密かに調達してきたとみられている。
核開発に欠かせないのは、高度な技術、機材、そして情報。北朝鮮はこれらを海外から調達してきたと考えられているが、ユンはその調達活動の中で中心的な役割を担っているとみられている。取材班は半年前から世界各地でユンの足跡を追い、北朝鮮の「核の闇ネットワーク」の実態に迫った。
取材班はまず、ユンの名を世界に広めることになった調達未遂事件が起きたドイツに向かった。2003年、北朝鮮のウラン濃縮疑惑が深まっていた最中に、ユンは高強度アルミニウム管2百本をドイツの貿易会社を通じて調達しようとした。しかし、船で運びだした直後に捜査当局によって押収された。当局は、北朝鮮がこのアルミニウム管を核兵器開発に使う核物質の一つ、高濃縮ウランを製造する「遠心分離機」に使うはずだったと判断した。ユンが最終的に調達しようとしたアルミニウム管は2千本。1年間に核兵器1、2個分の高濃縮ウランを製造できる数だっただけに、事件は世界に大きな衝撃を与えた。
北朝鮮に対し、厳しい輸出規制を設けているドイツから、ユンはどのようにアルミニウム管を持ち出そうとしたのか。取材班は、ユンが輸出を依頼した貿易会社のトルッペル社長との間に交わしたファクス交信記録を独自に入手、そこからユンの手口を探った。ユンが最初にトルッペル社長に商談をもちかけたのは2000年、北朝鮮の貿易会社「ナムチョンガン」の代表を名乗っていた。当初は、カメラの部品など核開発とは関係なさそうな発注を繰り返すなどして、社長の信用を巧みに得ていった。2002年、ユンは高強度アルミニウム管2百本を、溶接ケーブルやシリコン接着剤など、他の製品とともに発注した。さらにアルミニウム管の使用目的を「開発中の航空機用の燃料タンク」と説明し、送り先には北朝鮮ではなく、中国にある航空機関連会社の名を記していた。
2003年、トルッペル社長はユンの発注を信用し、アルミニウム管を中国に向けて発送した。しかし当局はユンの発注を偽装と判断してアルミニウム管を押収、トルッペル社長は不正輸出の罪で逮捕された。その後、ユンは行方を暗ました。
ユンは貿易会社「ナムチョンガン」の代表を名乗る以前は北朝鮮の外交官だったことが判明した。取材班はある国で、外交官時代のユンを知る人物に接触した。最近脱北するまで核調達に関わる仕事をしていたその男によると、ユンはキム・ジョンイルを頂点に築かれた核開発体制の中で、核施設の運営を支援する「原子力総局」に所属。90年代にはヨーロッパを拠点に、核に関する情報や技術の調達に関わっていたという。
ユンはヨーロッパでどのように調達活動を行っていたのか。1985年から北朝鮮がIAEAを脱退する1994年までの9年間、ユンはIAEAの北朝鮮代表部で実質的な責任者だったことが明らかになった。その時期はちょうど、IAEAによる「ニョンビョン核研究センター」の査察をきっかけに、北朝鮮が密かにプルトニウムの製造を進めている疑惑が深まった時期と重なる。当時のIAEA査察官ウィリー・タイス氏によると、IAEA内部の情報管理体制は今と比べると甘く、ユンは機密情報が保管されていた査察官のいるフロアに自由に出入りできたという。さらに、IAEAは「核の平和利用の促進」という理念に基づき、公開セミナーなどを通して、ウランの抽出技術や使用済み核燃料棒の保管方法など、核兵器の開発に転用できる核関連情報を度々公表していることがわかった。
さらに取材班はウィーンで気になる情報を耳にした。ユンは、北朝鮮が1994年にIAEAを脱退した後も外交官としてウィーンに駐在し、そのユンを西側の諜報機関が監視していたというのだ。ユンに似た男が住んでいたという住所を訪ねてみると、その男は近くで貿易会社の事務所を構えていたが、1997年に西側の諜報機関がその建物を盗聴していることが発覚すると、翌年、突然、姿を消したという。なぜ、諜報機関が監視していながら、当局は摘発に動かなかったのか。ドイツの元諜報員の証言や当時のドイツ議会の調査資料などによれば、80年代から90年代のヨーロッパでは、北朝鮮の核開発に対する関心は今ほど高くなかった。地理的にも遠く、技術力も低いとみられていた北朝鮮は当時のヨーロッパにとって差し迫った脅威とは考えられていなかったのだ。西側の監視をすり抜け、1998年にウィーンでの消息を絶ったユンは、その後、貿易会社「ナムチョンガン」の代表に姿を変え、核開発に必要な機材の調達に走りだしていくことになる。


