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file200 「益子焼」

東京から車で2時間半の、栃木県益子町は、春と秋に陶器市が開かれ、年間200万人以上の観光客が訪れます。どっしりとしたふだん使いの器、益子焼。

温かみのある風合いが、持ち味です。

日本の民芸を広める活動をしてきた、佐々木潤一さんは、益子焼について、こう解説します。

佐々木 「益子の器となると、窮屈なものじゃなく、華やかなものじゃなく、いもの煮っ転がしであるとか、いわゆる農山村で食べる食事ですね。あるいは都会のごく日常の食事に使われる器なんですね。いずれにせよ、非常に素朴な田舎の香りのする器ということがいえると思います」

壱のツボ  土の香り

ここは100年以上にわたり、益子焼の「土」を供給してきた山。一見焼き物には不向きな、砂気が多い土といいます。

洗練された陶器にはない、ごつごつした土の質感を逆手にとったのが益子焼です。陶芸家の小野正穂さんは言います。

小野 「まず僕が飛びついたっていうか、自分の感性に合うっていうのはざっくり感ですね。ざくっとした砂目、質感というのが好きなんです。なるべく自然な形というか好きなので、ずっと土にこだわってやってますけどね」

益子の土の魅力を引き出すのは登り窯です。薪(まき)を燃やした柔らかい火で、3日間かけて焼き上げます。鉄分の多い土に釉薬がしみ込み、薪の灰が表情を与えます。
焼き物に最適とは言えない、粗い土。
益子の陶工たちはその特徴を最大限に生かして、手ごたえのある器を作り出してきました。

弐のツボ 柿の色

益子焼には、柿の色をほうふつとさせる、茶褐色が多く見られます。
益子を代表する釉薬=柿釉(かきぐすり)をまとった器は、ほのぼのとした秋の風情をかもします。

柿釉にみせられた陶芸家がいます。萩原芳典さん。
益子の窯元の、5代目です。
柿釉の材料は、地元の山の岩を砕いたもの。
粉末にしてから水で溶くと、柿色に発色する釉薬となるのです。

柿釉は、かける量や、焼く温度で仕上がりが大きく異なります。
深みのある色を出すには、釉薬の変化をコントロールする高い技術が必要だといいます。

奥深い魅力を持つ「柿釉」。
しかしその歴史は、実は、古いものではありません。
元々益子の釉薬は「赤粉」と呼ばれ、防水機能に役立つことで知られていました。明治以降には、屋根瓦や水がめなどに塗られ、町のあちこちで見られる色でした。しかしあくまで実用向けで、美的な色とは考えられていませんでした。


その赤粉に手を加え、益子を代表する釉薬にした窯元があります。陶芸家の濱田晋作さん(右)の父親が、柿釉を作り上げました。濱田晋作さんは言います。

濱田 「名前はそれまでに柿釉って名前はなかったです。果物の柿にだんだん近寄ってる釉だということで、それで赤粉が柿釉になったわけ。食いしん坊の父だったですから、偶然そういうのが出たんでしょう。」

「食いしん坊」といわれるこの方こそ、益子を世界的に有名にした陶芸家、濱田庄司です。
濱田は、赤粉を低温で焼くなど改良を重ね、「柿釉」に育て上げたのです。さらに濱田庄司は、柿釉に別の材料を加え、多彩な色を生み出しました。


その材料のひとつが裏山のクヌギの木。 燃やして出来た灰を水に沈ませアクを抜き、濱田の作ったレシピに基づいて柿釉に混ぜると、全く別の釉薬が生まれます。


渋みのある黒釉です。濱田は、温もりのあるこの黒を使った作品を、数多く残しました。
そのほか、柿釉をベースにした飴色の釉薬もあり、柿釉は益子焼のさまざまな色の母胎となっています。


濱田庄司の窯を受け継ぐ、陶芸家の濱田友緒さんは言います。

濱田 「柿釉は、硬くないしやわらかみがあって温かみがあります。
赤い茶色というのが非常にいい色で、日本中世界中みてももっとも優れた釉薬のひとつではないかと思っています。
その点では益子の釉薬というのが、純粋によい質のものだったというところに、我々もありがたさを感じます」


心和む、実りの秋の代名詞=柿にたとえられた「柿釉」濱田は、
自ら名付けたこの釉薬を深く愛し、生涯使い続けました。柿の色は、ひなびた風合いが持ち味の、益子焼の象徴なのです。

参のツボ 流し掛け

たっぷりと注がれた釉薬が、器の上を縦横に走ります。
この大皿は、濱田庄司が生んだ、代表作の一つです。


 

道具は筆ではありません、このひしゃくでした。
濱田は、ひしゃくからたっぷりと釉薬をしたたらせ、またたく釉をかけました。「流し掛け」です。
わずかな時間しかかからないのに、高価なのはなぜか?そう問われた濱田は、「これは15秒プラス60年と見たらどうか」と答えました。
瞬時の釉がけに、陶芸人生の全てが入っている、と言わんとしたのです。

濱田の代表的な技法の一つ、「流し掛け」。その発想の源が、濱田が収集し、創作の糧とした工芸品を展示する、「益子参考館」に見られます。古代から現代に至る、世界各地の 手仕事が集められています。


 

濱田庄司の研究を続けて来た横堀聡さん。
「流し掛け」にヒントを与えた皿があるといいます。

スリップウェアという、18世紀イギリスの器です。チューブのような道具で絞り出すように描かれた伸びやかな線です。
横堀さんは言います。

横堀 「技法的にはものすごくシンプルだと思うんですけれど、線が全部よどみがない線っていうか、どこにも迷いがないですよね。計算ではできないですよね。そこに無意識というか手がおぼえたというか、こういうのは濱田さんにとっては魅力的な部分だったんだと思うんですよ」

濱田は、20代の4年間を過ごしたイギリスで、スリップウェアに出会いました。若き日の感銘から30年。自在な線を取り入れようと試行錯誤を重ね、ひしゃくによる「流し掛け」にたどり着きました。 横堀さんは言います。

横堀 「筆でバツを描いたら本当の『バツ』ですけども、ひしゃくでかいた線なので、線が躍動している、線自体が生きている、だからバツじゃなくなったと思うんですよね、ほかの抽象的な線もみんなそうですけれども、線自体が流し掛けをすることによって躍動している生きている」

器をはみ出して伸びる、大らかで力強い線。
「流し掛け」は、簡単に見えて奥の深い技法だと言います。
陶芸家の濱田晋作さんは、言います。

濱田 「一番難しいのは、一本ずつ引くのが難しいんです。そっくりその人が出てしまいますからその線に。濱田がやれば濱田の線になります」

濱田の流し掛けは、「作ったものというより、生まれたものと呼べるようなものになってほしい」という、作為的な作品を嫌った濱田が修練の末到達した境地です。
「流し掛け」
それは益子の風土そのままに、命あふれる世界を求めた陶芸家の、おおらかな呼吸の跡だったのです。


古野晶子アナウンサーの今週のコラム

「何と勢いがあり、モダンな作品なのだろう・・・!」 ひしゃくを使って描かれた大皿を見たとき、「一期一会」の味わいを感じました。同じ方が描いても、決して同じ柄にはならない・・・。一枚一枚と真剣に向き合ったからこそ生まれた大皿を見て、身が引き締まる思いでした。私も1人1人との出会いを大切に、一つ一つの仕事との向き合い方も 「一期一会」 の精神を忘れないようにしなくちゃって、真面目に考えました。

今週の音楽

楽曲名 アーティスト名
Relembrando Meu Pai Nicolas Krassik E Cordestinos
My Funny Valentine 佐山雅弘
A Sleepin' Bee Kenny Burrell
Work Of Art Art Farmer Septet
Cordestinos Nicolas Krassik E Cordestinos
Latona John Patton
Flying Home Lionel Hampton
Michie (Slow) Kai Winding
Autumn In New York Jose James & Jef Neve
Chamego Bom Nicolas Krassik E Cordestinos
Miss Booty 半野喜弘
Spring Song Don Friedman Trio
Row, Brothers, Row Turtle Island String Quartet
Lush Life Jose James & Jef Neve
I've Grown Accustomed To Your Face Sonny Rollins
Meu Galo Nicolas Krassik E Cordestinos

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