NHK

鑑賞マニュアル美の壺

これまでの放送

file183 「函館」

日本有数の観光地、函館。 手前に見える函館山は、もともと島でした。長い年月をかけて砂がたい積して陸地とつながり、砂時計のように中央がくびれた珍しい地形となりました。

幕末に開港し、貿易港として急速に発展した函館。
山の斜面に洋館や教会が立ち並ぶ、個性的な町並みが生まれました。
こうした独特の地形と人々の営みが、函館の変化に富んだ魅力を作り出しています。

壱のツボ 復興の歴史を刻む坂道

函館山のふもとに広がる旧市街に、多くの坂道があります。
八幡坂は、函館港が手に取るように見える広々とした景観が魅力。

基坂は、かつて函館奉行所や函館県庁、イギリス領事館などがあり、歴史を感じさせる坂道です。
今では函館を象徴する風景となった坂道には、悲しい歴史が隠されていました。

明治の初め、貿易港として急激に人口が増えた函館。
海に挟まれた函館は、絶えず強い風が吹き寄せ、小さな失火が瞬く間に大火事となりました。特に明治10年代、引き続いて起きた火事が、大きな被害をもたらします。これをきっかけに、火災に強い町づくりが計画されました。

函館市立函館博物館館長 田原良信さん

田原 「火事を遮断する目的で、道路をまっすぐにして幅を広げた。都市改造という側面もあった」

山の斜面に広がる町を貫くように、いくつもの広い坂道ができました。火災の脅威を乗り越えようとする人々の努力が、美しい坂道を生んだのです。

函館、最初のツボは、
「復興の歴史を刻む坂道」

都市改造後の函館。町を分断するように、広い坂道がいくつも伸びています。

田原 「道幅が広いことによって美観的に優れた町になった。港を中心として非常に開放感がある」

二十間坂は、道幅が二十間=36メートルもあります。函館で一番広く、とびきり開放的な景観を見せる坂道です。

函館の人々は、坂道にさまざまなデザインをほどこしてきました。
割石を並べた表情豊かな石畳が特徴の大三坂。人気抜群の散歩道です。街路樹には、火事がおきても燃えにくい、ナナカマドが植えられています。

坂道をさらに魅力的にするものが、アイストップ。坂道の突き当たりなどにあり、道行く人の視線を受け止めます。
護国神社坂では、真っ赤な鳥居がアイストップになっています。


函館市民に最も愛されているアイストップが、旧函館区公会堂。明治40年に火事で焼失した後、市民からの寄付で基坂の頂に再建されました。華やかな洋風建築には、函館を脅かし続けた火事を、人々の知恵で乗り越えたという記憶が宿っています。
風の町、函館。大火事に悩まされた日々は遠く、坂道という宝物が残りました。

弐のツボ 和洋が共存 新時代の家

一階は和風なのに、二階は洋風。日本と西洋の建築を切って重ねたような家を和洋折衷町家といいます。
明治の初めごろに函館で生まれ、北海道各地に広まっていきました。


北海道大学教授(建築史) 角幸博さん

角 「明治時代は、西洋の文化をたくさん取り入れる流れがあった。函館を含めて北海道はもともと和の伝統文化がなかったので、和と洋の文化が同じ価値を持っていて、どう共存させていくかということが重要な課題だったと思う」

開拓者の自由な精神が、北海道ならではの家を作り上げました。

二つ目のツボ、
「和洋が共存 新時代の家」

和洋折衷町家の一階は、ほとんど商店として使われてきました。間口を広く開け放つ伝統的な和風の店構えは、商品の搬入や客の出入りに便利でした。
そこで、二階だけを洋風にしたのです。

角 「広告媒体として、自分の商売が繁盛してることを見せたいためのツール(道具)として、洋風のデザインを取り入れたと思う」


和と洋を共存させるため、庇(ひさし)が効果的に用いられています。
下から見ると和風の軒ですが、上から見ると金属板がはられた洋風の屋根。大工たちの巧みなデザインでした。


板張りの壁に塗られた明るい色のペンキは、遠くからも人目を引きます。
当時は大変珍しかった両開きの洋風窓や、ルネサンス時代の建築に見られる胴蛇腹(どうじゃばら)の装飾など、店の看板ともいえる洋風の部分には、多くの手間が費やされています。


しかし、洋風のデザインは、あくまで外観だけ。
内部は畳敷きの和室で、昔ながらの暮らしが営まれていました。

こうした和洋折衷町家は、函館独自の景観を作るため、計画的に取り入れられたとも考えられています。
明治12年の大火後の都市改造の方針を定めた文書に、「斜面に建つ家屋はロシア・ウラジオストク港のスタイルにならうように」と記されています。

昭和20年代の函館。遠くからは 洋風の二階部分が目立ち、どこか西洋の町のようです。
函館市立函館博物館館長 田原良信さん

田原 「坂の下から見ると重なりあった一階はあまり見えない。二階を洋風にすれば、一階が和でもいいわけですから、それが和洋折衷町家が流行った理由かもしれない」

当時、函館港に降り立った人々は、見たことのない町並みに目を見張ったことでしょう。
新時代、明治の北海道が生んだ、かつてない装いの家々です。

参のツボ 天地人が生んだ奇跡の夜景

函館を訪れる旅人たちを魅了してきた夜景。町の明かりが一つ一つくっきり見えるほどの光の鮮やかさが、大きな特徴です。函館特有の強い浜風が、粉じんや排気ガスを吹き飛ばすため空気が澄んでいるのです。

函館の夜景を知り尽くす函館生まれの写真家、野呂希一さん

野呂 「函館は両側が海なので、くびれた地形になっていて光が凝縮されている。他の夜景のようにだらっと広がってない美しさがある」

海に挟まれた部分の最も狭いところは、幅1キロメートルほど。夜になると、暗い海との対比で、町の明かりがくっきり浮かび上がります。
風によって澄んだ空気、くびれた地形、そして、人々の灯す明かり。天と地と人が奏でる光の芸術です。

三つ目のツボ、
「天地人が生んだ奇跡の夜景」

函館の夜景といえば、標高334メートルの函館山から見るものが最も有名です。
一方、函館山と向き合う位置にある丘から見た夜景は、町までの距離が遠く、標高が低いため、函館独特のくびれがわかりません。函館山は、高さや町までの距離が夜景を見るのに最適なのです。

函館山は、かつて陸軍の要さいが築かれ、長い間、立ち入りが禁止されていました。
そこに残った森を守るため、戦後も大規模な開発は行われず、それが夜景の魅力につながりました。夜、闇に包まれた函館山が、眼下に広がる町明かりを際立たせるのです。

この夜景、いつでも見られるわけではありません。両側の海から、濃い霧が上がってくるのです。夏は、3日に1度発生すると言われます。
しかし、あきらめてはいけません。ときに浜風が、こんな神秘的な眺めを見せてくれます。これも天地人が織り成すもうひとつの表情。海と風に抱かれた函館。大自然と人間が作る世界でただひとつの夜景です。


古野晶子アナウンサーの今週のコラム

北海道へは取材やプライベートで何度か訪ねたことがありますが、広大すぎてほとんど回りきれていません。行ったことがあるのは札幌や、道東の網走・釧路・十勝といった限られた場所だけ。都市ごとにいろいろな表情がある北海道だけに、もっと他のところにも遊びにいきたいなぁと思っていたところ、今回の美の壺「函館」は私にとってもタイムリーでした。西洋風と和風が融合した建物、人の温かみを感じる光が作り出す夜景は必見ですね!そして、私が特にひかれたのは“坂”です。坂に囲まれた所で育ったので、函館の坂道に懐かしさを覚えました。しかも、それぞれの坂に名前がついていて、幅や路面に特徴があるのだとか。坂の傾斜や名前の意味を考えながら坂道をゆったり歩きたいです。

今週の音楽

楽曲名 アーティスト名
函館の女 島津伸男
Toto Sexy Antonio Farao
Midnight Dance Hour 嶋津健一
My Romance Keith Jarrett
Live in Amiens Bugge Wesseltoft
April in Paris Stefano di Battista
Greensleeves Ron Carter
Child Dance 寺井豊
Love For Sale Stefano di Battista
So Near, So Far Miles Davis
The Cascades Joshua Rifkin
Ascension Barry Harris
Do You Know What I Means To Miss New Orleans Stephane Grappelli
Try To Change Antonio Farao
Simone Richard Davis
As Time Goes By 安田芙充央
Stardust Michael Buble
Softly As In A Morning Sunrise Don Street 
Bluestone Just Another Mind
My Romance Chris Botti

このページの一番上へ

トップページへ