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そよそよと風に揺れる暖簾…。
京都の町家に、彩りを添えています。
暖簾には陽を遮り、ほどよい風を取り込むという優れた機能があります。 |

デザイン 本間晴子 |
季節に合わせて暖簾を変える店もあります。
この老舗(しにせ)は、7月、祇園祭りのお囃子(はやし)が鳴り始めると朝顔の暖簾をかけます。
軽やかな麻の暖簾が客を招いているように見えるので客寄せ暖簾と呼んでいるとか…。 |

デザイン 本間晴子 |
日の出の柄は、大みそかから小正月に。 |

デザイン 本間晴子 |
その後、雪降り暖簾に掛け替えます。 |

デザイン 本間晴子 |
雷の暖簾は、いつ掛けるのでしょうか? |

| 京都の和菓子屋の女将の芝田さんです。
芝田「雨が欲しいときに吊るすんです。でまあ、雨ごい暖簾とかいうたりしてますけど。あのあんまり反対に降りすぎた雨を止めて、梅雨明けを呼ぼうという気持ちもあったりして、これを吊ると不思議と雷が鳴るんです。で、どさっと降って止むんです。」 |

| 京都の町は、まさにアートギャラリー。
暖簾は、他の国には見られない、日本独特の生活の美です。 |


豊田満夫 蔵
| 日本一の暖簾コレクター、豊田満夫さん。
そのコレクションは、400枚以上!
豊田「暖簾の場合、今で言う自動扉みたいなもんでしょうね。まあちょっとのぞいた時点で、いらっしゃいって中からかけられますよね。そしたらいやおうなしに入らなきゃいない。」
なるほど、商売上手!だからくぐりやすいように布が分かれているのですね。
豊田「だいたい布の分かれは3枚から5枚。3、5、7奇数なんです。奇数ってことは、七五三じゃないけど、おめでたいし、数字がいいってことなんです。」
奇数は割り切れないから、余りが出る。商売に余裕が生まれるということです。
よく考えてありますね。 |
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暖簾が店先を飾るようになったのは江戸時代初期。
「暖簾を守る」という言葉があるように、商人の心意気を表しています。
そのルーツは、仏と人間の世界を仕切る水引という布。
こうした布がやがて生活の中に取り入れられ、間仕切りや店の看板として用いられるようになりました。 |

豊田満夫 蔵 |
かつては暖簾の色で商(あきな)いも分かりました。
豊田さんのコレクションで最も古い江戸時代の薬屋の暖簾。
白は薬屋、菓子屋など砂糖を扱う店の色でした。 |

豊田満夫 蔵 |
紺は呉服や食品を扱う店。
染料の藍(あい)に防虫効果があるからです。 |
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茶色は料亭や茶屋。
格式を感じさせるちょっと渋い色が好まれました。
シンプルな色の暖簾は、どれも日本の家屋や風景に美しく映えます。
太陽の光を受け、使い込むほどに独特の風合いが生まれます。 |
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京都大原。天然の染料を使う染色が盛んな地域です。
そこで作られている暖簾が柿渋暖簾。
古くから伝わる伝統の色です。 |
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染色職人の安井武史さん、将司さん兄弟は、柿渋の色にこだわって暖簾を作っています。
その魅力はどこにあるのでしょう。
安井「柿渋色は陽にあたればあたるほど色みが深みを増すという太陽がつくる色ですかね。」
陽にあたるほど、深みを増す柿渋色。
老舗の風格を感じさせる色として京都の人々に愛されてきました。
暖簾鑑賞の壱のツボ、
「太陽が作る風合いを味わう」
渋い茶色は、どのようにして生まれるのでしょうか。
染料は、青いうちに収穫した渋柿を絞り、発酵させたもの。
渋柿に含まれるタンニンという成分の働きで熟成し茶色になります。 |
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安井「すぐにも使えるんですけど、寝かせた方が発酵が進んで、またタンニンがより深い味わいに、色合いになっていきますので、その時点で使うのがいいと思います。」 |
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暖簾の染料は、5年以上熟成させたものを使います。
熟成させるほどに染料は色が深くなり、さらに陽に当てると発色が良くなります。 |
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その特性を引き出すために、屋外で染色を行い、乾燥させます。
この間も柿渋色は少しずつ変化しています。
同じ条件で染めた暖簾でも年月が経つと色が違ってきます。 |
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防水効果にも優れています。
柿渋で染めることで麻や綿などの布も一層長持ちします。
時を重ねるごとに味わいを増す暖簾は店と共にその歴史を刻んで行くのです。 |