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File88 石橋


壱のツボ アーチが作る曲線美

「二重橋」の名で親しまれている「皇居正門石橋」。
日本を代表する石の橋として、堂々たる風格を備えています。

美しいたたずまいを持つ石橋は、土地のランドマークとして、大切に保存されてきました。

こちらは大分県の耶馬溪橋(やばけいばし)。
長さは116メートル。
8つのアーチが並ぶ日本一長い石橋です。

全国各地の橋を撮影してきた平野暉雄さん。
日本の石橋の魅力は、どこにあるのでしょうか?

平野「やはり、自然が豊か。四季折々の変化にあわせて、石橋の周りの風景が変わる。さらに橋のたもとには、名木の桜などが植えられ、演出もされているというところに日本人の心配りや、その時の職人さん、技術屋さんの魂が入っているような感じがいたします」

こちらは長崎の眼鏡橋。
江戸時代の初め、中国の技術を導入して作られました。
当時、海外に開かれた唯一の港を持っていた長崎には、最先端の技術が集まったのです。
町の中心を流れる中島川は、たびたび洪水を起こしては、架けられていた木の橋を押し流しました。
頑強な石橋は、街の発展に、大きな役割を果たしたのです。

この後、長崎で次々と作られた石のアーチ橋は、九州全土、そして全国へと伝えられていきます。

まずは、橋の「アーチ」に注目です。

熊本県美里町にある霊台橋(れいだいきょう)。
江戸時代後期に作られたこの橋のアーチは、日本一の大きさを誇ります。

アーチの高さは14.2メートル。幅は、28.4メートルあります。
今は、人が通るだけですが、昭和40年代までは、トラックや大型バスも走っていました。

この橋と出会って以来50年。
九州の石橋の調査・研究をしてきた上塚尚孝さんです。

上塚「この橋を最初に見たときに、えらい大きなアーチだなあと思いました。それまでに見たこともない石造りの眼鏡橋のアーチでしたので、まぁ、度肝(どぎも)を抜かれたといいますか。コンパスでちゃんときちんと書いたように立派な美しいアーチをしてましたんで、これも驚きで、カーブの美しさに、つい見とれてしまうといいますかね」

そこで、石橋鑑賞最初の壺は、
「アーチが作る曲線美」


霊台橋の架かる船津峡(ふなつきょう)は、熊本と宮崎を結ぶ、重要な街道の途中にあります。
ここは、しばしば洪水に見舞われ、舟でさえ渡ることのできない難所でした。
この川に、頑強な石橋を架けることは、住民の悲願だったのです。

堅く、重い石が作りだす滑らかなアーチ。この曲線はどのようにして、作られたのでしょうか。

まず、最初に「支保工(しほこう)」と呼ばれる木の土台を作ります。

そして、支保工のアーチの上に、両側から石を積んでいきます。
これは輪石(わいし)と呼ばれ、構造上最も大切な部分になります。

壁面を構成する石も、輪石に沿って、下から積んでいきます。

最後に、要石(かなめいし)を入れ、支保工を解体していきます。
橋全体に掛かる圧縮力のおかげで輪石同士が堅く締まり、支保工を外しても、アーチは崩れません。

アーチは構造的に、高さと幅の比率が1対2であると、一番安定します。
霊台橋はちょうど1対2。
きれいな半円のアーチを描いています。

熊本大学大学院 社会環境工学専攻の小林一郎教授です。

小林「案外自然の世界に直線ってないんですよね。大体自然のものは丸い形をしている。丸い形の中で一番安心感のあるものの一つが、まんまる。
半円形のアーチは水に映ったときにきれいなまんまるに見える。自然の暮らしの中では、むしろありがちというか、よくあるものの一つなんではないかなと。その柔らかい感じが安心感を人に与えるのではないかと思いますけど」

長崎の眼鏡橋も、アーチの高さと幅は1対2。
水に映ると、昔懐かしい丸めがねの形が現れます。
その姿の美しさから、石橋は、人々に特別な想いを抱かせてきました。

小林「橋がなかったとき、旅人はいったん河原まで降りて、何とか渡って上に登っていくという非常に大仕事だった。その時に河原から上を見上げたときにここに橋があればいいなと思っているはず。そして完成したときにまさに虹(にじ)のようなアーチが見えていると。しかも川の流れをまたぐように橋ができる。そういう意味では、橋は見上げて空の虹のように見るのが一番美しいのではないかと」

人々が、感動と驚きを持って仰ぎ見た、虹のような石のアーチ。

ここに暮らす人々の切実な願いが、渓谷をつなぐアーチの美を生み出したのです。

弐のツボ 石積みが表情を作る

続いては、石橋の壁に注目です!

再び長崎の眼鏡橋。
黒い壁石に白い漆喰(しっくい)が映え、まるで煉瓦(れんが)造りのように見えます。
壁石には、地元で取れる安山岩が使われています。欠けにくく丈夫なこの石を、四角く切り出し、水平に積みあげます。
「布積み」と呼ばれる積み方です。

異国情緒あふれる町並みに、みごとに調和しています。

一方熊本県では、全く異なる石積みが見られます。
こちらは、合流する二つの川に双子のような石橋が架けられています。
阿蘇の火砕流が固まってできた石を、そのまま生かした素朴な石積みです。

「乱積み」と呼ばれ、たくさんのすき間がありますが、壁石の奥ではがっちりと石がかみ合って、崩れることはありません。

この地方の石橋を、いくつも修復してきた竹部光春さん。

石やその積み方によって、橋に個性が生まれるといいます。
竹部「基本的には、土地にというか、職人さんによって、(石積みは)いろいろと違うのではないでしょうか。この石積みは加工しにくい石でしょうね。自然の石をそのまま積んだんですよ。自然石のそのままの姿を出しているんです。これはこれなりのよさがありますよね」

石橋鑑賞、二つめのツボは、
「石積みが表情を作る」

こちらは鹿児島市の西田橋。
元々は、薩摩藩・鶴丸城の正門にかかっていた橋です。

江戸時代後期に作られ、篤姫(あつひめ)や参勤交代の大名行列も、この橋を行き来しました。
77万石の城下町にふさわしい、美しい仕上げが施されています。

激しい水流から橋を守るため作られた「水切り」。
丸みを帯びた形に削られています。

壁石は、切り出した石を、扇形に積みあげています。
ていねいに表面を整えた壁石が、洗練された表情を生み出します。

薩摩藩の顔として、壁石の端正なデザインが、意識された橋です。

熊本県に残る通潤橋(つうじゅんきょう)は、江戸時代の水道橋。
豪快な放水は、かつて通水管の掃除のために行われていました。

潅漑(かんがい)用の水路として使われたこの橋は、頑丈な土台が支えています。
スカートのように広がる鞘(さや)石垣が、通潤橋の見所。

地元肥後の石工が、「武者返し」として知られる、熊本城の石垣の技術を取り入れたといわれています。

それは、「算木積み」と呼ばれる方法。
直方体に切り出した石を、短い側、長い側と、交互に積み上げていきます。
算木積みによって、急こう配のカーブを作ることができます。
通潤橋では、鞘石垣のりょう線と、壁石が、いつの間にか解け合うようにみごとに積まれています。

竹部「曲線を描いてあがってきたところ、あがって上の壁石との組み合わせ。あの辺がやっぱりたいしたもんだと思いますね。昔の人たちはやっぱり基本的に仕事をやっていますね。いい仕事ですよ。今こういう仕事をする人はいないですもん」
石の性質を見極め、一つ一つ積みあげる。
そんな職人の気迫の技が、個性豊かな橋の表情を、作り上げていったのです。

参のツボ 霊獣は国の護(まも)り

東京「日本橋」。
現在は、高速道路に覆われ、橋の存在感はすっかり薄れています。
日本橋は、明治44年に完成した二つのアーチが連なる石橋です。
ここには、とても特徴的な装飾が見られます。

橋のたもとには、威風堂々としたブロンズ像が置かれています。
獅子(しし)の像です。

一方、橋の中央には・・・竜?
いえ想像上の動物、麒麟(きりん)です。

近代の橋に詳しい日本大学理工学部の伊東孝教授です。

伊東「構造は石橋なんですが、装飾は獅子がいたり、麒麟がいたりする。我が国を代表する国家の象徴として作られた、装飾橋梁(きょうりょう)だという言い方ができます。国家の象徴ですので、非常に重厚で荘重な感じのするような橋。」

石橋鑑賞、最後のツボは、
「霊獣は国の護り」


長崎大学附属図書館 蔵

「日本橋」は江戸開府とともに徳川家康によって架けられました。
諸国を結ぶ五街道の起点として、まさに日本の中心でした。

明治維新の後、東京の街には、次々と石橋が架けられました。

近代化が進む街には、石橋がふさわしいと考えられたのです。

明治20年に作られた皇居正門石橋。
初めて、西洋風の装飾が施されました。

ここにも獅子の顔!
この装飾には、どういう意味が隠されているのでしょうか。

明治の末に建設された日本橋には、国の象徴として、江戸300年の歴史を感じさせる装飾が求められました。

そこで選ばれたのが、この獅子でした。
獅子は、古くから百獣の王と考えられ、疫病や災いを払い、幸福をもたらす霊獣と、信じられてきました。
日本橋の獅子が手を置くのは、東京の紋章。東京の街そのものを、護って欲しいという願いが込められています。

さらにここには別の霊獣、麒麟。
体は鹿(しか)、尾は牛、かかとは馬というこの霊獣は、上空を見つめ、空に羽ばたくような姿勢を取っています。

麒麟は、聖人が現れる前ぶれとして姿を現す、縁起の良い霊獣と信じられてきました。

当時の日本は、日露戦争の勝利に酔い、高揚感に満ちていました。
麒麟には、東京のさらなる飛躍と繁栄の願いが込められていたのです。

日本橋には、当時高価だったランプが42個も取り付けられています。
夜になると、橋は白く浮かびあがりました。

近代日本を象徴するモニュメントとして、建設費のおよそ一割がこうした装飾につぎ込まれました。

闇に潜む霊獣たちは、今も、美しい橋と東京を、見守っています。

高橋美鈴アナウンサーの今週のコラム

私が育った北海道では、『石の橋』は身近ではありません。
緑濃い渓谷にかかる石のアーチ橋、そして清流で遊ぶ子どもたち・・・私にとっては映画の中で見たような日本の原風景ともいう情景です。
ある時、視聴者の方から石橋の前で撮ったセピア色の記念写真をみせていただきました。ちょうどその橋の修復が行われるというニュースを見て、思い出の写真を送ってくださったのです。昔の職人たちが苦労してかけた石の橋は地域の財産であり、シンボル。くり返し修復しながら大切に使われることで、橋は歴史をまとい、たくさんの人の心に残っていくのでしょう。橋のアーチは人々の夢をかなえた『虹のアーチ』という言葉に大きくうなずきました。

今週の音楽

曲名
アーティスト名
Moanin' Art Blakey
Serenade The Three Suns
Secret Love Billy Eckstine
What Have You Done? Wynton Marsalis
St.Thomas Jim Hall & Ron Carter
Blues March Art Blakey
No.8 Chick Corea
Amazing Grace Naoko Terai
Plink,Plank,Plunk The Three Suns
My Song Pat Metheny
Pan Piper Miles Davis
Doin' Your Thing Wynton Marsalis
I Remember Clifford J.R.Monterose
Fiddle Faddle The Three Suns
To You Ellington & Basie
A Night In Tunisia Turtle Island String Quartet
Concerto De Aranjuez
Miles Davis
Moon River Lena Horne