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「二重橋」の名で親しまれている「皇居正門石橋」。
日本を代表する石の橋として、堂々たる風格を備えています。
美しいたたずまいを持つ石橋は、土地のランドマークとして、大切に保存されてきました。 |
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こちらは大分県の耶馬溪橋(やばけいばし)。
長さは116メートル。
8つのアーチが並ぶ日本一長い石橋です。 |
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全国各地の橋を撮影してきた平野暉雄さん。
日本の石橋の魅力は、どこにあるのでしょうか?
平野「やはり、自然が豊か。四季折々の変化にあわせて、石橋の周りの風景が変わる。さらに橋のたもとには、名木の桜などが植えられ、演出もされているというところに日本人の心配りや、その時の職人さん、技術屋さんの魂が入っているような感じがいたします」 |
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こちらは長崎の眼鏡橋。
江戸時代の初め、中国の技術を導入して作られました。
当時、海外に開かれた唯一の港を持っていた長崎には、最先端の技術が集まったのです。
町の中心を流れる中島川は、たびたび洪水を起こしては、架けられていた木の橋を押し流しました。
頑強な石橋は、街の発展に、大きな役割を果たしたのです。
この後、長崎で次々と作られた石のアーチ橋は、九州全土、そして全国へと伝えられていきます。 |
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まずは、橋の「アーチ」に注目です。
熊本県美里町にある霊台橋(れいだいきょう)。
江戸時代後期に作られたこの橋のアーチは、日本一の大きさを誇ります。
アーチの高さは14.2メートル。幅は、28.4メートルあります。
今は、人が通るだけですが、昭和40年代までは、トラックや大型バスも走っていました。 |
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この橋と出会って以来50年。
九州の石橋の調査・研究をしてきた上塚尚孝さんです。
上塚「この橋を最初に見たときに、えらい大きなアーチだなあと思いました。それまでに見たこともない石造りの眼鏡橋のアーチでしたので、まぁ、度肝(どぎも)を抜かれたといいますか。コンパスでちゃんときちんと書いたように立派な美しいアーチをしてましたんで、これも驚きで、カーブの美しさに、つい見とれてしまうといいますかね」
そこで、石橋鑑賞最初の壺は、
「アーチが作る曲線美」 |
| 霊台橋の架かる船津峡(ふなつきょう)は、熊本と宮崎を結ぶ、重要な街道の途中にあります。
ここは、しばしば洪水に見舞われ、舟でさえ渡ることのできない難所でした。
この川に、頑強な石橋を架けることは、住民の悲願だったのです。 |
| 堅く、重い石が作りだす滑らかなアーチ。この曲線はどのようにして、作られたのでしょうか。
まず、最初に「支保工(しほこう)」と呼ばれる木の土台を作ります。 |
| そして、支保工のアーチの上に、両側から石を積んでいきます。
これは輪石(わいし)と呼ばれ、構造上最も大切な部分になります。
壁面を構成する石も、輪石に沿って、下から積んでいきます。 |
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最後に、要石(かなめいし)を入れ、支保工を解体していきます。
橋全体に掛かる圧縮力のおかげで輪石同士が堅く締まり、支保工を外しても、アーチは崩れません。 |
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アーチは構造的に、高さと幅の比率が1対2であると、一番安定します。
霊台橋はちょうど1対2。
きれいな半円のアーチを描いています。 |
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熊本大学大学院 社会環境工学専攻の小林一郎教授です。
小林「案外自然の世界に直線ってないんですよね。大体自然のものは丸い形をしている。丸い形の中で一番安心感のあるものの一つが、まんまる。
半円形のアーチは水に映ったときにきれいなまんまるに見える。自然の暮らしの中では、むしろありがちというか、よくあるものの一つなんではないかなと。その柔らかい感じが安心感を人に与えるのではないかと思いますけど」 |
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長崎の眼鏡橋も、アーチの高さと幅は1対2。
水に映ると、昔懐かしい丸めがねの形が現れます。
その姿の美しさから、石橋は、人々に特別な想いを抱かせてきました。
小林「橋がなかったとき、旅人はいったん河原まで降りて、何とか渡って上に登っていくという非常に大仕事だった。その時に河原から上を見上げたときにここに橋があればいいなと思っているはず。そして完成したときにまさに虹(にじ)のようなアーチが見えていると。しかも川の流れをまたぐように橋ができる。そういう意味では、橋は見上げて空の虹のように見るのが一番美しいのではないかと」 |
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人々が、感動と驚きを持って仰ぎ見た、虹のような石のアーチ。
ここに暮らす人々の切実な願いが、渓谷をつなぐアーチの美を生み出したのです。 |