バックナンバー

File69 印章


ふだん私たちが使っているハンコ。
正式には「印章」と言って、そこには、奥深い世界があります。

長州藩・毛利家の歴代藩主が集めたという印の数々。
どれもさまざまな細工が施された凝ったデザインです。


クリックで拡大表示

こちらは象牙製。台座に彫られた二匹の獅子は、代々の藩主に使い込まれ丸味を帯びています。


クリックで拡大表示

一風変わったこちらは、竹の根で作られています。印面は、根のゴツゴツした形をそのまま生かしています。


クリックで拡大表示

こちらは、徳島藩蜂須賀家(はちすかけ)が、印章を飾るために作ったものです。
瑪瑙(めのう)や象牙、水晶など、用いられているのは、高級な材質ばかり。
印章は、実用品でありながら、すぐれた工芸品でもあるのです。


クリックで拡大表示

印章が広く用いられるようになったのは、戦国時代。戦いに明け暮れた武将たちの間で広まりました。

これまで、公文書に、花押(かおう)という手書きの署名を使っていましたが、手間を省くため、花押を印章にしたものを度々用いたのです。


クリックで拡大表示

そして江戸時代。商業活動が盛んになると、取引の文書や金品の借用証など、さまざまな書類に印章が用いられるようになりました。

すべての人が名字を持つようになった明治時代。
個人が印章を所有するようになります。こうして、印章は、日本の社会に深く根をおろしていったのです。

壱のツボ 二つとない石の色彩を楽しむ


クリックで拡大表示

象牙、水晶、琥珀、竹…
印にはさまざまなものが使われてきました。


クリックで拡大表示

吸い込まれるような透明感をもつ水晶。
非常に堅く、最も細工が難しい印材の一つ。


クリックで拡大表示

その美しさから、日本ではほとんど採り尽くされてしまった貴重なものです。


クリックで拡大表示

工芸品によく用いられてきた象牙。
きめ細かい細工が可能で、印面を何度でも彫り直すことができる優れた印材です。


クリックで拡大表示

芸術性の高い印章に特に多く用いられるのが石。

長年、印章の研究をしてきた松村一徳さんは、石には、ほかの印材にはない特別な魅力があると言います。

村松「印材は、地球そのものです。大地の恵みだと考えてますね。色んな風景があって、同じ風景がまったくない。同じように、地球の恵みであるこの印材も多種多様で唯一無二です。一個一個全部違うんですね」

 

印章鑑賞、最初のツボは、
「唯一無二 石の色彩を楽しむ」


クリックで拡大表示

古来、中国の文人たちは、石の印を書斎に飾り、その美しい姿を愛(め)でたといいます。

石を使った印章は、主に、完成した書や絵に文人墨客が押す落款(らっかん)に用いられました。


クリックで拡大表示

こちらは、書家としても知られた戦前の首相・犬養毅が愛用した落款印です。
百五十を超える印のほとんどが石でできています。

印面に彫られた「木堂(ぼくどう)」は、書家としての犬養の号です。

石が印材として登場したのは、明の時代の中国。
印材に適した石を産出するのは、中国の限られた地域だけです。


クリックで拡大表示

こちらは、目が覚めるような鮮やかな赤が混ざる「鶏血石」(けいけつせき)。
自然が作り出す色彩の美しさにまさに感嘆するばかりです。

石の色彩に魅せられ、石材を用いた印章作りを行っている、野中信義さんです。

野中「彫ってく段階でだんだんだんだん、その表情が変わってくる。色の変化、そのおもしろみかな?」


クリックで拡大表示

石は、磨けば磨くほど、つやや透明感が出てきます。


クリックで拡大表示

野中さんの作品。
透明感のある白い部分に彫刻をし、褐色の台座と、美しい対比をなしています。


クリックで拡大表示

宝石にも似た神秘的な光沢と多彩な色。
この世に二つとない石の芸術です。

弐のツボ 彫刻に込められた未完の美

つまみの部分に施された彫刻を「鈕」(ちゅう)と言います。


クリックで拡大表示

数千年の昔から、印章にはさまざまな鈕が施されてきました。


クリックで拡大表示

装飾性に富んだ鈕は、印章の美しさをいっそう引き立てます。

印材に適した石がとれない日本では、木の印章に盛んに鈕が彫られるようになりました。


クリックで拡大表示

これを木鈕(もくちゅう)と呼びます。
木の表情を巧みに生かした木鈕が、明治時代から次々と作られてきました。

木鈕を手がけて三十年になる柳濤雪さんです。
木鈕は、石にはない独特の表現ができるといいます。

柳「木の場合には、その刀痕を残して、その荒々しさが表現できる。その違いが石と木の違いかな。荒々しさの中に全体の表現、調和を表現できる。なんだこれは中途じゃないかというような中に、全体の表現がまとまればいいんじゃないかな」

未完成にも見える荒々しい彫りの中に、独特の表現世界があるという鈕。

印章鑑賞、二つ目のツボは
「鈕が表す未完の美」



柳さんが彫っているのは紫陽花(あじさい)の花。
材料は紅梅の木です。紅梅は堅く、木肌にざっくりとした彫りの痕(あと)を残すことができます。
写実に過ぎず、精巧に過ぎない彫刻は、より豊かで、上品な味わいを引き出します。


クリックで拡大表示

こちらは、明治から昭和にかけて活躍した二世・中村蘭臺の名品です。
大胆に表現されたブドウやモモ、ザクロなどの果物。写実を避け、対象を大きくつかんだ豪快な彫りです。


クリックで拡大表示

あなたも想像力を膨らませて、木鈕に向かい合えば、未完の美の世界が大きく広がるはずです。

参のツボ 方寸の世界に宿る宇宙


クリックで拡大表示

それでは、最後に印面の精ちな世界をご紹介しましょう。

戦国時代、武将たちがこぞって収集したという糸印(いといん)です。
糸印とは中国から輸入された生糸につけられていた印。

その不思議な模様に、魅かれていった武将たちは、その後、個性的な紋様を持つ印章を次々と持つようになります。

方寸の世界に表現された美しい印面は、二つと同じものがなく、無限の宇宙と言われています。


クリックで拡大表示

印章鑑賞、最後の壺は、
「方寸の世界に宿る宇宙」


職人が生み出す、小さな芸術世界を見てみましょう。

ふだん私たちが使う印章にも無限の宇宙が宿っています。
三十年にわたって印面を刻んできた前田健二さんは、これまで一万人以上の名前を彫ってきました。

印影の良し悪しは、方寸の空間に配置する文字のバランス。髪の毛一本分の違いでも、全体のバランスが壊れてしまうため、細心の注意と集中力が必要です。


クリックで拡大表示

印面は、同じものがあってはいけません。
用いられる書体は篆書や楷書などの6種類。
いかに違いを出すかが、腕の見せ所です。


クリックで拡大表示

こちらは、印面をち密に彫る「密刻」(みっこく)と呼ばれる彫刻です。
二年に一度、全国の職人が彫りの腕前を競い合う大会で、前田さんが受賞した作品です。
3.6センチ四方の空間に、わずか0.1ミリの線で伝説の鳥、鳳凰が彫られています。


クリックで拡大表示

最後に、もう一点。
一見真黒に見えますが、何が彫り込まれているか分りますか?


クリックで拡大表示

般若心経(はんにゃしんぎょう)です。
八センチ四方の印面に、二百六十二文字からなる経文が彫られています。
精ちを極める職人たちの超絶技巧。
わずかな空間の中に宇宙が広がっています。

高橋美鈴アナウンサーの今週のコラム

今回のテーマはとっても身近な「はんこ」。皆さんの家にもありますよね?材質を選んで、書体を決めて、ケースも揃えて…なんて具合に印章を作った経験がある方も多いのではないでしょうか。芸術品のような「紐(ちゅう)」や、小さい空間に細かい仕事をする職人技に釘付けでした。小さいものなので、どうやったらきれいに映像が撮れるか、照明や背景などにもずいぶん気を使い、撮影には時間がかかったそうです。
落款というほどのものではありませんが、私も手紙の最後にオリジナルのスタンプを押したりして楽しんでいます。石に文字を刻む「篆刻」で有名な中国・杭州で作ったのは、神秘的な薄緑色の石に『鈴』の一文字。ベトナム・ハノイの職人街では、紙にスズランの絵(私の名前はふるさと北海道の花・スズランにちなんだものなのです)を書き、それをそのまま彫ってもらいました。取材で知り合った絵手紙の先生が作ってくれたのは私の似顔絵の消しゴム印!(これがよく似ているんです…)。
どれも思い出深い、世界に一つだけの印です。

今週の音楽

曲名
アーティスト名
Just by my self Lee Morgan
The way you look tonight Tina Brooks
Soulvile Horace Silver Quintet
Swinging til the girls come home Bud Powell Trio
Delilah Cllifford Brown and Max Roach
Sandu Dave Bailey
Then I'll be tired of you Stanley Turrentine
Ralph's new blues The Modern Jazz Quartet
C jam blues The Red Garland Trio
Cantaloupe Island Herbie Hancock
I see your face before me Hank Mobley