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片手をあげ、おいでおいでのポーズをとる「招き猫」。
お店の前にインテリアに、日本中どこでも目にする事ができる置物です。
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「招き猫」は、開運招福・千客万来など、私たちの願いが託された縁起物です。
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「招き猫」といえば、愛くるしい大きな目に、光り輝く小判。
このデザインが作られたのは、愛知県・常滑市、戦後まもなくの事です。
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老舗(しにせ)の三代目を継ぐ冨本きくえさんは、120パーセントの気持ちを込めて作っているといいます。
冨本「職人として、100パーセントは当たり前で、後の20パーセントは作り手の愛情。
縁起物なので、皆さんの所にたくさんの福が来るように、と思いながら作っています。」
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それでは、まずはその由来から。
そもそも猫は、奈良時代に中国からネズミを退治する動物としてやって来たといわれています。
では、なぜ猫が福を呼ぶのでしょうか? |
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中国には、「猫面(おもて)を洗いて耳を過ぐればすなわち客至(いた)る」という故事があります。
手を上げた猫の仕草が、人を招くと考えられたのです。
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「招き猫」の起源には幾つかの説があります。
中でも有名なのが東京・世田谷の「豪徳寺」の伝承。
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江戸時代の初め、寺でかわいがっていた白猫が、鷹(たか)狩りを終えた彦根藩・井伊家の殿様を、寺に招き入れた、その直後…突然、激しい雷雨が襲い、殿様は難を逃れる事ができました。
後に、この寺は井伊家の手厚い保護を受け、栄えたと伝えられています。
猫が寺に福を招いたことから、「招き猫」が生まれたという説です。
そのほかにも、猫が戦国武将の出世を招いたという話や、災難を防いだ話などが残されています。
江戸末期に「招き猫」が売られていたという記録が残されています。
浮世絵師・歌川広重が描いたもので、体を横に向け、右手を挙げています。「○(まる)〆(しめ)猫」と呼ばれました。
○(まる)〆(しめ)とは、お金を節約して貯めるという意味です。
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この「○〆猫」が、5年前、新宿の武家屋敷跡から発掘されました。
現在確認できる最古の「招き猫」で、粘土を素焼きにした土人形です。
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「○〆猫」の面影を残す土人形が、千葉県・上総地方に伝わっています。
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地元の郷土人形を手がける千葉惣次さん。
この猫の土人形は、明治の始め、ここに伝えられたといいます。
千葉「手に持った時に伝わってくる温もりといいましょうか、柔らかさとも申しましょうか、素朴という、これは土の魅力と言っても良いんじゃないでしょうか。」
招き猫鑑賞、壱の壺は、
「素朴な土人形の温もり」
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土人形は、庶民の縁起物として、各地で愛されてきました。
材料は、焼き物用の粘土。
石こうの型に、粘土をていねいに押し付けて形をとります。
ひな人形や七福神などさまざまな土人形が、作られてきました。
特に「招き猫」は、幕末から明治にかけて全国に広がります。
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その発信地は、京都・伏見稲荷大社。
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参道で、霊験あらたかと言われる稲荷山の土で作った猫の人形が、お土産物として、人気を呼んだのです。
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全国の土人形を収集し、趣味が高じて店まで開いてしまった平田嘉一さん。
自慢のコレクションが伏見の「招き猫」です。
お稲荷さんの影響か、顔も狐に似せられました。
平田「稲荷大社に参詣して、人形をお土産に持って帰って、それが割れたら、田畑に入れると作物が良くなるという。五穀豊穣の信仰の物です。」
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素朴な温もりを持つ土人形。
そこに込められた五穀豊じょうや商売繁盛の祈りが、各地に郷土色豊かな「招き猫」を生み出したのです。 |