若い女性の中にはマンションのベランダで自ら盆栽を育てる人も増えています。 長い歴史を誇る盆栽は、いま、緑のアートとして、再び脚光を浴びているのです。
ではまず、盆栽の成り立ちからご説明しましょう。
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盆栽が始まったのは、中国、唐王朝の時代。 あの有名な女帝、則天武后 (そくてんぶこう)の息子が眠る墓に、盆栽の絵が残されていました。 女官が手にするお盆。これが盆栽のルーツです。 木とともに飾られた花や木。小さな盆の中に山水の情景を再現したと考えられています。
日本に伝来したのは、平安時代の末頃。盆栽は貴族の楽しみでした。盆栽は、日本でも中国と同じく、山水の景色を愛でるためのものでした。
まるで山水画を見るように、一本の木を眺め、そこに悠久の時を感じる。
盆栽鑑賞、一のツボ。 「盆栽には悠久の時が宿る」。
樹齢1000年の松。 その姿から「青龍」と呼ばれます。 盆栽では、樹齢と関係なく古さを感じさせる木を、「古色(こしょく)がある」と言います。 まるで龍の鱗のような幹肌は、古色そのものです。
白いところは、すでに枯れています。腐ることなく白く残った幹は、仏の骨を意味する「舎利(しゃり)」と呼ばれ、珍重されています。
「青龍」は、見る者を、 龍が生きた古(いにしえ)の世界へと 誘(いざな)う名木です。
古い木は、人が手入れすることで、いっそう古色を増していきます。 枯れた幹や枝は、放っておくと、その多くが腐ってしまいます。
盆栽職人は、まず汚れた部分を丁寧に取り除きます。白く美しい舎利に変えるための作業です。硫黄を混ぜた液体で木を守り、少しずつ舎利を作っていきます。
茶色いところは生きている幹。水を吸う「水吸い(みずすい)」と呼ばれ、枯れた舎利を引き立てます。
日本一の松と呼ばれる名木 「日暮らし」。 樹齢450年。しかし、それを遙かに超えた古色を漂わせています。歴代の名だたる職人が丹精を込めて、時代とともに、古色を育んできました。
見ていると、知らぬ間に日が暮れてしまうことから「日暮らし」と呼ばれるようになった名木。まさに悠久の時を感じさせる佇まいです。
盆栽は、形によって様々な呼び名があります。石と一体となった木は、石付(いしつ)き。
一つの根元からいくつもの幹が伸びる株立ち(かぶだち)。
鉢から垂れ下がるのは懸崖(けんがい)。 険しい崖に生える松を思わせます。
通は、冬こそ盆栽鑑賞に最適の季節だと言います。木の形がしっかり見えるからです。 木の形に目が行くようになれば、盆栽は、どんな季節でも楽しめます。
江戸時代のはじめに作られた 「盆栽図屏風(ぼんさいずびょうぶ)」。
様々な形の木が並ぶこの屏風には、盆栽を見る者に必要な心構えが描かれています。それが背景の山。盆栽は、一本の木の背後に広がる景色まで感じ取れ、という教えです。
盆栽鑑賞、二のツボ。 「一木(いちぼく)に大地を見よ」。
盆栽の木は、鉢の中にあっても、育った土地の風土と深く結びついています。 その代表が、新潟県糸魚川の明星山(みょうじょうさん)に生える真柏(しんぱく)。古くから盆栽愛好家の垂涎の的です。
真柏は断崖の僅かな岩棚に種を落とします。崖にしがみつくように育った真柏は、抜き取られた後も、この厳しい故郷(ふるさと)の大地を忘れません。
この真柏は、戦前に明星山で採られた後、東京近郊の盆栽園に移されました。
大地をしっかりと掴む丈夫な根。
明星山で落石に遭った時の傷跡は枯れて、白い舎利となっています。幹や枝は、かつて強い風にさらされていた時のまま、今も、捻れ、絡まりあっています。
盆栽として町中で育てられても、真柏は、故郷の厳しい風土を体全体で表現しているのです。
樹齢150年のヤマモミジ。 生まれ故郷にちなんで 「むさしが丘」と名付けられました。
大地を覆うように広く張った根。その緩やかな起伏は、雑木林に覆われた武蔵野の丘陵を思わせます。
小さな鉢の中から様々な風景画見えてくる。盆栽が、緑の小宇宙と呼ばれる所以です。
次は、木の魅力をさらに引き立てる飾り付けのツボです。
大阪、箕面市にある料亭。10年ほど前から座敷に盆栽を飾っています。床の間に盆栽を飾ることを、床飾りといいます。 床飾りの役者は3つ。盆栽。掛け軸。そして、床に季節感や物語を添える小道具、添配(てんぱい)です。
この店では、季節にあわせた床飾りを楽しみに、足を運ぶ客もいると言います。
3月のはじめ。床飾りのテーマは桃の節句、雛祭りです。
添配は、婚礼の席で酌み交わす酒を入れる、銚子と提(ひさげ)。桃の節句に桃の花では遊び心に欠けると、盆栽には、きぶしを選びました。
盆栽が生きるも死ぬも飾り付け次第。飾りに目が行くようになれば、もう、かなりの通です。
飾り付けの一番のツボ、それは鉢です。 盆栽鑑賞、三のツボ。 「最後の仕上げは鉢映り」。 「鉢映り」とは、木と鉢の相性です。
木には、それぞれ相応しい鉢があります。例えば、懸崖の黒松。不安定な木をしっかり支える深めの鉢が似合います。
日本一の松「日暮らし」には、風格のある鉢。
中国、清の時代に、長江の泥を使って焼いた古い鉢です。この頃の鉢には、数千万円の値がつくこともあるそうです。
愛知県常滑市には、盆栽鉢専門の職人がいます。 そのひとり、中野行山(なかのぎょうざん)さんは、盆栽にふさわしい古色のある鉢を追い求めてきました。
中野さんの鉢は、使ううちに、独特の味が出てきます。一年経つごとに、鉢の色は深まっていきます。 鉢もまた、木とともに、育ててゆくものだと、中野さんは言います。
平安東福寺(へいあんとうふくじ)という名の、伝説の鉢職人がいます。
明治23年、京都に生まれた東福寺は、盆栽の趣味が高じて、自ら鉢を焼き始めました。生涯貧しく、他人の窯を借りて鉢を焼き続けた人生でした。
淡くやさしい緑。素朴で控えめな東福寺の鉢は、当時二束三文にしかなりませんでした。
鉢がうるさければ、木が死んでしまう。
盆栽を愛した東福寺の簡素な鉢が、高く評価されるようになったのは、死後10年ほど経ってからのことです。
樹齢200年の梅の木。 物言わぬ老木を、東福寺の静かな鉢が引き立てます。
花を照らすのはおぼろづき朧月のあかり。無言の軸。無言の木。 そして無言の鉢。
そこには、盆栽ならではの美の世界が広がっています。
資料提供:高木盆栽美術館
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