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File1 古伊万里 染付


壱のツボ 初期伊万里は指跡のぬくもり

まずは古伊万里の成り立ちからご説明しましょう。伊万里焼の産地、佐賀県の有田(ありた)。

この周辺で焼かれた磁器は、 近くにある港、伊万里港から出荷されたため伊万里焼と呼ばれます。
「古伊万里」とは、江戸時代に焼かれた古い伊万里焼のことです。

今日のテーマは古伊万里の中でも白地に青だけを施した器。 藍染めの着物を思わせることからそめつけ染付と呼ばれています。青と白のシンプルな染付は、 伊万里で最も古い歴史を持つ磁器です。


伊万里焼が始まったのは、今から400年前。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、佐賀藩主が朝鮮半島から焼き物の職人を連れて帰りました。それまで日本では出来なかった硬くて薄い焼き物・磁器を作らせるためです。

そうして生まれた日本初の磁器が、伊万里の染付でした。


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その頃作られた水差し。 素朴な筆で山水画が描かれています。

 

伊万里焼が生まれて間もない頃の染付は、数が少ないため愛好家の間で特に珍重されています。


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これは初期の染付を代表する図柄。「吹き墨(ふきずみ)のウサギ」と呼ばれています。型紙を置いてその上から青を吹きかけるという素朴な技法です。

 

この時代の染付は骨董の世界で初期伊万里と呼ばれ、下は十数万円から上は1千万円を超える物まであります。

 

ツボはこの世界の通に聞いてみましょう。

40年以上にわたって初期伊万里の染付を集めてきた日本有数のコレクター、栗林勇二郎(くりばやしゆうじろう)さんです。

初期の染付は釉薬がたっぷりとのせられ厚ぼったいのが特徴です。そして大半の器には、釉薬を塗るときについた指跡が残っています。

 

これが染付鑑賞壱のツボ。 「初期伊万里は指跡の温もり」

 

それは初期の焼き方が、後の時代と比べて未熟だったためです。 ポイントは素焼き。

これは釉薬を付ける前の状態。中期以降は一度素焼きしていますが、初期は生土(なまつち)のままです。

 

初期のものと同じ生土の皿を、釉薬にひたしてみます。

引き上げる時、指跡がつかないよう縁に指をかけると・・・。

器は簡単に壊れてしまいます。

指跡は技術が未熟ながらも懸命に焼き物に挑んだ職人たちの姿を伝えていたのです。

 

茶道具に使われた初期伊万里の壺。

ところどころに小さな穴が空き、いびつなところが、かえって温かみを漂わせています。


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日本民藝館 蔵

初期伊万里をこよなく愛した人がいます。民芸運動の父と呼ばれた柳宗悦(むねよし)です。

柳は一つの鉢(はち)に惚れ込み、それを借金までして買い求めました。

 

初期伊万里の傑作「山水文大鉢」(さんすいもんおおばち)

広い余白の中に山水の情景が簡素な線で描かれています。

柳はここに古拙の美を見いだしました。

 

技術は拙い。しかしそこには、日本で初めて磁器を焼いた人たちの誇りが宿っている。

指跡から漂う素朴な古拙の美。それが初期伊万里鑑賞のツボです。

弐のツボ 青は枯淡を味わえ

つぎは染付の特徴。最初は青です。

世界には青と白の磁器が数多くあります。その中で伊万里と並び称されるのが中国の景徳鎮(けいとくちん)です。鮮やかな青が特徴で、花のように美しいからことから青花(せいか)と呼ばれています。

それに対して、古伊万里の染付は、淡く枯れた青。日本人好みの枯淡の青が特徴です。

染付鑑賞弐のツボ。
「青は枯淡(こたん)を味わえ」。

 

枯淡の味わいを生み出しているのは青のにじみです。 青と白の境をよく見て下さい

古伊万里の青は白に溶けだしぼやけていますが、景徳鎮の青は白の上にくっきりと発色しています。

景徳鎮も古伊万里も、青の元となる顔料は同じ。コバルトをふくんだ鉱物です。

違いはこの茶色の顔料を青く発色させる別の薬品にあります。

それが、うわぐすり・釉薬です。

釉薬には、植物の灰が入っています。その植物の種類が、古伊万里と景徳鎮では違っていました。

 

伊万里焼に使う植物は、有田周辺の山に生えています。

柞(ゆす)の木です。景徳鎮がシダの葉を使ったのに対し伊万里焼ではこの木の皮にこだわりました。

柞(ゆす)の木の灰は、青の原料であるコバルトに不思議な作用をもたらします。

もとは茶色のコバルトに、柞の釉薬を乗せて焼くと、青く色を変えながら溶けだしてゆきます。この溶かす効果がの特徴なのです。


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青のにじみは古伊万里独特の味わいです。

野原を舞う蝶々。

このおぼろげで、はかない表現は滲んだ青でしか出せません。


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こちらは風にそよぐ柳の枝。

 

にじんだ青がまるで春の霞のような趣を醸し出しています。

この枯淡の味がわかれば、通への道また一歩前進です。

参のツボ 白は濁った米のとぎ汁


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染付のもう一つの色、白も忘れてはいけません。伊万里の職人たちは長年、理想の白を追い求めてきました。

 

それがこの色。三のツボ。「白は濁った米のとぎ汁」。

純白ではなく、どこか暖かみを感じさせる白。これが伊万里の特徴です。

 

 

こちらは景徳鎮。汚れのない完璧な白です。伊万里の白とは明らかに違います。

 

磁器の白は、後から着けたものではなく、土そのものの色です。

従って土の産地により白の風合いも異なります。

 

有田にある泉山。朝鮮半島から渡ってきた職人たちはここで白い土を見つけました。

この土のおかげで日本初の磁器が生まれたのです。

 

しかし泉山の土は、少し青みを帯びた冷たい白色でした。

それから40年後、酒井田柿右衛門という陶工が、理想の白を目指して様々な土の配合を試みます。

 

柿右衛門は青みの元となる鉄分を排除するため金具のついた道具を禁止するなど、地道な工夫を重ねました。数十年にわたる試行錯誤の末、柿右衛門はついに米のとぎ汁に近い理想の白を完成させます。

柿右衛門の技術は、広く染付の雑器にも応用されました。

 

にじんだ青にとぎ汁の白。

これに目が向くようになったらあなたもいよいよ古伊万里通です。

四のツボ 唐草は線を見よ

最後に、実際に染付を買うときのツボを一つご紹介しましょう。

今最も売れ筋の古伊万里。それは植物のツルをデザイン化した、唐草模様の器です。

唐草の器は江戸中期18世紀から大量に作られました。現在、壱万円程度から買えるとあって若い人たちにも人気です。

磁器が庶民に普及し始めた江戸中期、同じデザインで様々な器に応用できる唐草が脚光を浴びました。

唐草には様々な種類があります。

蛸(たこ)の足のような「蛸(たこ)からくさ」は当時のベストセラーです。

染付鑑賞四のツボ「唐草は、線を見よ」。

模様を描いた職人の技で唐草の値打ちが決まります。

その技を今に伝える人がいます。伝統工芸士の円田義行(えんだよしゆき)さんです。


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まず和紙に炭で描いた図柄を器に写します。

次に下絵を見ながらコバルトの顔料で、線を書いてゆきます。唐草を縁取るこの細い線を、骨線(こっせん)といいます。

 

下絵をなぞるのではなく、強弱をつけながら勢いのある骨線を引いてゆきます。

 

今度は骨線の中を塗ってゆきます。素地(きじ)は吸水性が高いため、水分をたっぷり含んだ大きな筆を用います。
円田さんはこの道50年。それでも江戸時代の技には 届かないといいます。


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18世紀初頭。元禄時代に、 焼かれた蛸唐草の器です。

唐草の幅はわずか2ミリ。縁にはくまなく骨線がひかれています。

しかも、その線は円田さんが驚くほど、ためらいがなく勢いがあります。

庶民が普段使う器は全て名も無き職人の手で作られました。

毎日毎日大量の器と向き合った無名の陶工たち。

灰を混ぜて釉薬を作る人。

白い素地をこねる人。

そして線描きの職人。それぞれが自分の仕事を黙々と果たしました。


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民芸運動の父柳宗悦(むねよし)は、彼等の力をこう讃えました。

 

「淀みなき線、仕事の早さや又その確かさや、それは一技(ひとわざ)に腕を磨くお蔭である。今時これらの染付を描ける人がいたら一世の天才と仰がれているだろう。無名のそれ等の工人たちに私は尽きない敬愛を送る。彼等こそは世を美しくしてくれた人々ではないか。」

 
資料提供: 日本民藝館

今週の音楽

曲名
アーティスト名
Moanin' アート・ブレイキー
Blue Moon ローズマリー・クルーニー
Good Morning Blues カウント・ベイシー
My Romance ゲイリー・バートン
Hymn to Freedom オスカー・ピーターソン
It's Always you チェット・ベイカー
Blue Bossa ジョー・ヘンダーソン
Work Song キャノンボール・アダレイ
Peace Peace ビル・エヴァンス
Take 5 バド・シャンク
フーガニ短調 フーガの技法 スイングル・シンガーズ
I can't believe you are in love with me キース・ジャレット
Blue Train ジョン・コルトレーン
Simone リチャード・デイビス
They can't take that away from me エラ・フィッツジェラルド/ルイ・アームストロング