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File116 かな文字


グラフィックデザイナーの佐藤卓さんは、ひらがなの形そのものに魅力を感じています。

佐藤「ぬっていう文字は、なんかぬ〜っていう感じがするじゃないですか。なんか自分はすごく、音とひらがなの形、っていうのの関係性をすごく感じるんですね」

ひらがなの誕生。
そこに大きく関わっていたのが、5・7・5・7・7で読まれる和歌と考えられています。


かな文字を長年研究している名児耶明さん。


これは一つの和歌が、漢字とひらがな、両方で書かれた掛け軸。

“はしきやしまちかきさとをくもゐにや こひつヽをらむつきもへなくに”
“波之家也思不遠里乎雲居尓也恋管 将居月毛不経国”

かつて日本人は、日本語の音(おん)に漢字を当てて、使っていました。

ところが漢字は、和歌にはどうもしっくりこないと当時の人々は感じたようです。
その理由は、和歌独特の読み方にありました。
実際に和歌の朗詠と合わせてみると、漢字よりひらがなの表記の方が、和歌のリズムと合っているように感じます。

10世紀になると、人々はかな文字そのものを、鑑賞するようになります。

今回は、文字を読むのではなく、一枚の絵を見るように、かなを楽しみましょう。

 

壱のツボ 点・線・面を見よ

まずは、かなで書かれた、書の最高傑作をご覧いただきましょう。
古今和歌集の歌が、3首書かれています。
では、これをどう鑑賞したらいいんでしょうか?

名児耶「文字の数が、例えば和歌が31文字だとしますと、その文字の数がそう多く見えない方がいいんですね。同じ歌を書いてあったら、すっきり見えるほうが多分きれいだと思うんですね」

なるほど。すっきりと見えますね。でもどうしてなんでしょう?

名児耶「かなの美しさの1つとして連綿(れんめん)するということ、曲線でつないでいくということがあります。それがごく自然に、例えば最初墨をつけて太いのからだんだん自然に細くなる、その行がまずバランス良くないといけない」

文字と文字とをつなげて書くことを、“連綿”といいます。
この連綿の線が、太くなったり細くなったりしながら、巧みに変化していることがわかります。
線の強弱が、全体にすっきりした印象を与えていたのです。

さらに連綿で書かれた文字をよく見ると、崩し過ぎずに書かれていることがわかります。

名児耶「つまり、一字一字は非常にしっかりとよく見ると書かれているんですね。で、それがくりかえすように、うまく太いところから細いところへ自然となっていく。つなげながら自然に変化をさせる。一文字を1つの点と、つまり一字を点、一行を線、一ページを面として、点線面がバランスが取れるといいと思いますね」

そこで最初のツボは、
「点・線・面を見よ」

今度はこちらの書をご覧ください。

まず注目していただきたいのは、一行目と三行目の「線」です。

同じ言葉を、濃淡を変えて書いています。
濃い文字が手前に浮かび上がり、全体が、立体的な「面」を作り出しています。

「点」はどうでしょう。
一文字一文字が、ほぼ同じ形をしています。
こうした点と線のバランスの妙が、絵画のような作品を生み出していたのです。


今度は、上級編のこの作品を。

和歌の上の句と下の句が、それぞれ違う紙に、書かれています。

文字の高さも位置もバラバラ。
空間を自在に使った‘散らし書き’という手法です。

この作品の面白さは、1つの点、つまりこの一文字が、絶妙に配置されているところです。

文字一つをどこに置くかによって、世界がまったく変わります。

名児耶「日本人は身近に豊かな自然があって、四季の移り変わりがありますから、いろんな形で調和を取ってる世界見てますから、かなを散らすときもそういう感覚が働いて、何もない平面を、庭を造るように作ったんじゃないかとそういう感じがするんですよね。やっぱりね、日本人オリジナルの生活、習慣、風土、いろんなものがかな文字に反映していると思うんですね。日本人らしさというのが、かな文字というのを通して一番表わされているんじゃないかな」


点・線・面が作るかな文字の世界。
そこには日本人独特の感性と美意識が息づいているのです。

弐のツボ 秘められた恋心を味わえ


こちらは、『石山切(いしやまぎれ)』と呼ばれる書の名品です。
男女の間で交わされた、6首の和歌が書かれています。

目をひくのは、紙の美しさ。
さまざまな色の和紙を張り合わせた、「継紙(つぎがみ)」が使われています。

書く紙にもこだわる。
その理由は、‘恋’。

平安時代まで、貴族は和歌を声に出して詠み上げ、屋敷の奥にいる女性に恋心を伝えていました。
やがてかな文字の誕生によって、和歌を書き連ねた恋文という手段が生まれます。


歌人の尾崎左永子さんです。

尾崎「かなっていうのは、非常におもしろいことに一字一音なのよ。そうすると、歌の恋文詠んでても、その音楽みたいなのが、心に伝わってきただろうと思うんですね。そういう意味ではかな文字っていうのは、恋文にふさわしかった」

想いをたくした恋文。そこに平安貴族は、自分のセンスのすべてを注ぎ込んだのです。

二つ目のツボは、
「秘められた恋心を味わえ」


多くの恋文が登場する『源氏物語』。
光源氏と恋人たちは、どんな恋文をやりとりしたのでしょう。

かな書家の土橋靖子さんに、源氏物語に出てくる恋文を書いていただきました。

源氏17歳の夏。
夕顔の花に足を止めた源氏は、その屋敷の女主人から扇子を渡されます。
物語には、白い扇子に気品ある文字で和歌が書かれていた、とあります。


‘心あてに それかとぞ見る白露の 光そへたる夕顔の花’

白露にぬれ、ひときわ輝く夕顔のようなあなたは、源氏の君ですか?と、さりげなく誘う恋の歌です。

土橋さんが選んだのは、白地に金を散らした紙。


夕顔の気品ある文字が引き立つ恋文です。

心を動かされた源氏。
その場ですぐ、
‘光源氏かどうか近寄って確かめたらどうですか?’
という歌を返します。


突然の出来事に、源氏が使ったのは懐に持っていた素朴な紙でした。

土橋「素紙であると思いますから、比較的墨が入るんです。そうしますとおのずと素朴な感じになってくると思いますので、あえて連綿をたくさん使わずに、少し‘離ち書き’といいまして、ポツポツと切った表現を出して、素朴さとか源氏の力強さ、男性としての益荒男(ますらお)振りというんですか、そんな感じも出してみました」

身近な紙を使って交わされた恋文。
この恋は、夕顔の突然の死によって、はかなく終わりを告げます。


源氏27歳。
恋文を出した相手は、教養高いと噂の明石の君です。
物語には、高級な胡桃(くるみ)色の紙に、心改まった感じで書いたとあります。

土橋さんは散らし書きを2つに分け、華やかな紙の空間をいかした恋文に仕立てました。

しかし、姫からの返事はありません。そこで今度は、薄くやわらかな紙を選び、和歌をしたためます。

土橋「多少を連綿を多用し、あまり気張らずに、女性の心をつかみたいという思いを想像して、流れるように少しみやびな、そんな世界を書いてみました」

この恋文に、ようやく明石の君は返事を出します。
書かれていたのは、“あなたのお心はどの程度本気なのでしょう”と問う歌。
紙は、フォーマルな意味を持つ「紫色」です。

簡単にはなびきませんよという、誇り高い姫君の人となりが浮かんできます。

尾崎「かなはどっちかっていうと、公的なものじゃなくてプライベートなところで発達としたと思います、ひらがなはね。女がいなかったら発達しなかったけど、男が使わなかったら、また発達しなかったかな、と思いますね」

相手の気持ちや教養をも推しはかる手立てだった恋文。
かな文字は、筆遣いだけでなく、書かれた想いまでをも味わう楽しみがあるのです。

参のツボ 進化するひらがなを楽しむ

鎌倉時代に活躍した歌人・藤原定家のかな文字です。
平安時代のかなに比べ、現代のものに近い形になっています。

ひらがなが一般的になり、より実用的な表記になったのです。

名児耶「それまでの美しいかな、連綿としたかなだと読みにくい間違いやすいというのを、多分、克服というか、それではいけないというんで、間違えの少ない字の書き方をくふうしたんじゃないかと思うんですよ。そういうことで生まれたのが、この独特の書風でして、分かりやすさとか読みやすさとか、そういうものを目指した結果の字だと思うんですね」

ひらがなは時代とともに、その美しさも変化していきました。

3つ目のツボは、
「進化するひらがなを楽しむ」

平安時代の書体を、現代の活字に取り入れた人がいます。
活字の文字をデザインするタイポグラファーの味岡伸太郎さんです。

 


活字は、均一な文字の形が求められます。
そのため、連綿など、ひらがな独特の美しさが表現できません。

そこで味岡さんは、ひらがなのデザイン化に取り組みました。

味岡「日本語というのは漢字と仮名とまったく要素の違う書体というのか、で構成されていますね。基本的には仮名が7割ぐらい、そういう状況になってくると、平仮名を変えるだけで、文章を組んだときの組版というんですけど、組版の表情がガラッと変わるという。僕は、かなを変えることで日本の文字の多様化は図れるだろうと判断したんですね」


さらに、ひらがなの世界を広げているのは、グラフィックデザイナーの佐藤卓さん。
佐藤さんが現在製作しているのは、・・・?
ひらがなの立体模型。
改めてひらがなの造形を楽しもうという試みです。

佐藤「墨をつけて文字を書くと、その文字は墨の質感とか紙に染み込んで、その紙の質感も含めて文字として認識されるわけですよね。で、ここで僕が取り組んでいるのは、質の方を優先するということなんですね。まぁ平安時代の人が見たらどう見るのかなって思ったりしますけどね」

誕生から千年以上。
ひらがなは時代とともに、その楽しみ方も進化し続けています。

高橋美鈴アナウンサーの今週のコラム

どうしても「読もう」としてしまうかな文字。でも、読めない・・・何が書いてあるんだろう?え〜、これがこの字!?というところからなかなか先へ進めずにいました。どうも難しいぞ、と。
でも、そのことが必要以上にかな文字を鑑賞する敷居を高くしていたのかもしれないと今回は思いました。
文字の形や並べ方、筆遣い、墨の濃淡のつけかた、どうすれば美しく、また独創的になるのか、自分のイメージが伝わるのか、書家は、おそらく試行錯誤をかさねて作品を生み出してきたのでしょう。
私たちはその創意工夫をこそ感じ取らなくてはいけない。
今回はあえて「読めなくても大丈夫」ということで絵のように楽しむ鑑賞のツボをご紹介しました。書家は日本語と格闘し続けている方々。このツボを入り口に書の名品に触れ、言葉の意味や背景も含めて、日本語のイメージを広げていけたらと思っています。

今週の音楽

曲名
アーティスト名
Mornin' Art Blakey
Let's Cool One Wynton Marsalis
NOS.2 Chic Corea
Fuji 川嶋 哲郎
Ana Luiza Urbie Green
Us 3 Horace Parlan
Blue In Green Miles Davis
Stolen Moments Turtle Island String Quartet
Mood Indigo Marcus Roberts
In My Solitude Terence Blanchard
U - Saku 川嶋 哲郎
Steve Lacy Branford Marsalis
The Nearness Of You 浜田 真理子
But Not For Me Buddy DeFranco
A Night In Tunisia Turtle Island String Quartet
Maiden Voyage Bobby Hutcherson
Giant Steps Tommy Flanagan
Purple Haze Jim Hall
Murphy's Light Paul Smith