| まずは、その「打ち掛け」から。
長野県須坂市。
江戸時代、須坂藩の財力をも上回るといわれた、北信濃屈指の豪商の屋敷が残っています。 |
| 現在の当主、田中宏和さんに、大正4年婚礼が行われたという座敷に、案内してもらいました。
田中さんの義理の祖母、田鶴さんが着た着物。
白・赤・黒、三色の打ち掛けは、婚礼の席に、欠かせないものでした。
田鶴さんの婚礼は、一か月に及び、訪れた客は、1000人を超えたといいます。 |
| 田中「三三九度は、白無垢(しろむく)を着て行い、その後の親子盃(さかずき)や親せき盃という儀式のときには、赤に着替えたと書き残してありますね。
打掛だけで6枚、それから二枚襲(がさ)ねや三枚襲ねの着物を数えると10組くらい。新郎新婦はそのつど着替えて、一か月に渡ったのですから、たいへんだったと思いますね」
何日にも渡って続けられた婚礼の宴(うたげ)。
三色の打ち掛けは、花嫁をその時々、違った姿に演出しました。
|
|
婚礼衣装一つ目のツボは、
「花嫁を引き立てる三つの色」 |
|
そもそもなぜ、白・赤・黒、三つの色が、婚礼に用いられるようになったのでしょうか?
打ち掛けは、江戸時代武家の女性の礼装。
白・赤・黒が、最も正式な色とされていました。
江戸後期、打ち掛けにあこがれた裕福な町人たちが、この三色を婚礼衣装に取り入れたのです。
|
|
「白」は、古くから、清らかで神聖な色でした。
そのため、白装束は宮廷の儀式などで、着用されていました。
|
ポーラ文化研究所 |
この浮世絵では、白無垢姿で三三九度を終えた花嫁が、色の付いた着物に着替えようとしています。
|
|
江戸後期、こうした色直しの習慣も広まっていきました。
色直しで最も好まれたのが、赤です。
赤は、おめでたい色であるとともに、花嫁をあでやかに見せる色でした。
|
|
そして、黒。
黒の染料は高価だったため、それまで、女性の着物にはあまり使われていませんでした。
しかし、刺しゅうや金銀の箔(はく)で飾った図柄がよく映えるため、華やかな着物として、流行するのです。
こうして、白・赤・黒の三色は、婚礼衣装を代表する色となりました。
|
|
打ち掛けの華麗な装飾は、婚礼の席で、いっそう輝きました。
江戸時代から260年続く、京都の商家にお邪魔しました。
|
|
明治中ごろ、ここに嫁いできた花嫁が、色直しの際に身につけた打ち掛けが残っています。
|
|
光沢のある絹地に、本物と見まごうばかりのクジャクの刺しゅう。
目を凝らすと、つややかな羽には金の糸がたっぷりと、使われています。
金の装飾は婚礼の席で、さらに際立ったといいます。
|
|
「婚」という文字は、女偏に「たそがれ」を意味する「昏(こん)」と書きます。
婚礼はたそがれ時から夜にかけて行われました。
|
|
ろうそくのともし火がゆらめく中、金を使った図柄が、浮かび上がります。
|
|
杉本家の三女、歌子さん。
杉本「やはり、ろうそくをつけるということが、文書にも書かれてありますとおり、夜ろうそくの光のもとで、色直しのお膳(ぜん)も召し上がったんやと思っております。
婚礼が夜に行われるということですので、引き回す屏風(びょうぶ)も金屏風ということになりますし、着物の刺しゅうにも金糸がふんだんに使われる。
中でも緋色(ひいろ)の綸子(りんず)は、よう照りましてね、花嫁の白い顔を桜色に染めるといいまして、とても好まれたようです」 |
|
金の施された三色の打ち掛け。
それぞれの色が、花嫁をいっそう美しく見せます。
|