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まずは「町割(まちわり)」。
江戸時代の都市計画に注目しましょう。
山口県萩。かつて長州・毛利家のおひざ元でした。
江戸時代の姿をもっともよく残す城下町の一つです。 |
| 藩の貴重な資料を見せていただきました。
町割を描いた地図です。
萩の町は、今も、この地図を頼りに歩くことができます。
萩博物館副館長、樋口尚樹さんにお話を伺いました。
樋口「江戸時代の道路が、90%以上も道幅を変えずに残っているので、江戸時代の城下町絵図が今でも地図として使えます。」 |
| ここに描かれた町割を詳しく見てみましょう。
海と川、そして、堀によって城を守っています。
本丸に近い白い部分は上級武士が暮らした武家町。
赤い部分は寺や神社で、寺町と呼ばれました。
それ以外の色は、商人や職人が住む町人地です。
右が町人地、左が武家町。
大きな堀が、二つの町を隔てています。
そこには、橋が架かり、なにか建物が描かれています。 |
| 「北の総門」。
ここから先は武士が住む町。
一日中門番が警備していました。
町人地と武家町をつなぐ道…
通行は厳しく制限されていました。 |
| 武家町に入ると、白い漆喰(しっくい)塗りの土塀が目につきます。
どこまでも続く長い塀…
屋敷の大きさを想像させます。 |
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そんな武家町の一画に、複雑に折れ曲がる道が…
鍵曲(かいまがり)です。 |
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ここに攻め込む敵は、曲がり角ごとに速度を落とすことになります。
しかも、両側が土塀なので、見通しも利きません。
こうした鍵曲も、今では、城下町の風情を伝える景観です。 |
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地元の建築家・三村夏彦さんに、城下町の歩き方をご指南いただきましょう。
三村「いったん、塀に遮られ、あるいは塀にぶつかり、また視点を変えることによって新しいものが立ち上がってきます。歩く過程で、折れ曲がることによって、シークエンスが変わっていくといいますか、景観が少しずつ変化するさまが楽しいのではないかと思います。」 |
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変化に富んだ景観は、土塀があってこそ。
城下町鑑賞、壱のツボ、
「土塀が町を引き立てる」
土塀の一番下は石垣…
壁は漆喰で塗り固めてあります。
さらに雨よけと装飾を兼ねた瓦。
庶民の家に瓦屋根が少なかった時代…ぜいたくな造りです。 |
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美しい町並みを守るために出された藩の「お触れ書き」が残されています。
「屋敷の門や塀に破損しているところが見受けられるが、倹約のご時世とはいえ、見苦しくないよう修繕すべし」
いわば、江戸時代の景観条例です。 |
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土塀を美しく保つためのくふうもされてきました。
かすかに反っているのがお分かりでしょうか…
水に弱い漆喰が、雨に当たらないように考えられています。
角を面取りしているのは、ものが当たって、塀が壊れるのを防ぐためです。 |
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屋敷を守るためにつくられた土塀ですが、景観にも配慮して高さが決められました。
三村「土塀は、当然防御の役割もありますし、道路と家との間の視線をさえぎるという目的もあります。しかし、そういうものを考えながらも、道幅に対して、歩く人が、見る人が、心地良い、圧迫感のない高さ、人間を中心に考えた高さというのが、必ず最後にはあるのだと思います。」
塀の高さは、道幅に合わせて変えられています。
道幅の狭いところでは、低めにつくられました。
庭の緑がのぞき、その向こうには遠くの山々…
整然とつくられた土塀と、自然の緑が、凛(りん)とした城下町の風景を生み出します。 |