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石川県加賀市橋立。
江戸後期から明治にかけて栄えた港町です。
港の近くにある白山神社。
小さなお堂に入ると、25点の絵馬がぎっしりと掲げられていました。
そして、これらの絵馬には、すべて船が描かれています。
こうした絵馬を『船絵馬』といいます。
江戸から明治にかけて交易を担った「北前船」と呼ばれる船の持ち主が、航海の安全を祈願したものです。
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北前船は、大阪から瀬戸内海、そして日本海を航海し、さまざまな物資を運びました。
航海はいつも危険と隣り合わせ。そこで奉納されたのが船絵馬だったのです。 |
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船絵馬は、他の絵馬には無い特徴があります。
船の構造や帆の大きさ、そして乗組員の数などが、細かく描きこまれているのです。 |
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北前船の里資料館、師岡正樹学芸員です。
師岡「(船絵馬は)非常に写実的に描かれておりますので、当時の造船技術を知る上で、とても貴重な資料でした。」
そこで絵馬鑑賞、2つ目のツボは
「細部に船乗りたちの魂あり」 |
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船絵馬は、東北から北陸にかけての北前船が寄港した港に多く残されています。
そして、船絵馬には、決まった構図があるといいます。
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師岡「よく見られるものとして、朝日や穏やかな波というものがよく描かれました。」
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朝日と穏やかな波には「天候の良い日が続き、無事に航海ができますように」という願いが込められています。 |
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また、多くの船を持つ船問屋は、所有するすべての船を描かせて奉納しました。
船の進む向きがバラバラなのは「何度も往来することで商売が繁盛するように」という願いによるものです。
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岩手県大船渡市。
平成3年、北前船として使われた江戸時代の船が復元されました。
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復元を手掛けたのがこちら。
船大工の新沼留之進(とめのしん)さんです。
当時の船は、設計図など詳しい記録が、ほとんど残っていません。
そこで新沼さんが資料としたのが船絵馬でした。
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船絵馬には蛇腹(じゃばら)と呼ばれる船の側面や、垣立(かいたて)と呼ばれる手すりまでが正確に描かれています。 |
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新沼「安全性を祈願するため船絵馬をあげる。だから、船絵馬は、自分の持ち船でないといけない。自分の船は、よその船とはここが違うんだというプライドを持って(絵馬師に)描かせる。描かせると同時に、荒天を乗り切れるだろうとイメージできるものでないといけない。」
船絵馬から得られた情報を元に新沼さんは、設計図を完成させました。
復元されたのは全長18メートル、およそ60トンの船。
幻といわれた北前船が姿を表しました。
新沼「安全を祈願するには、魂を込めた船絵馬じゃないといけない。やはり、船絵馬にはその(船乗りの)魂が感じられる。」
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最後にもう一点、こんな船絵馬をご紹介しましょう。
荒波にもまれる北前船。
嵐から生還した船乗りたちが、奉納したものです。
一心に祈る乗り組員たち。
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船絵馬の一枚一枚には、海に生きた男たちの魂が、しっかりと刻み込まれているのです。
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