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File80 絵馬


壱のツボ 素朴な線に込められた祈り

学問の神様として知られる京都・北野天満宮。

今年も、たくさんの受験生たちが絵馬を奉納しています。

昔から人々は、絵馬にあらゆる願いを掛けてきました。

絵馬には、書いて字のごとく馬の絵が描かれてきました。

江戸時代、そこにさまざまな絵が描かれるようになります。

『唐獅子』は、学業上達を祈願したもの。

こちらは『薬壺』。
「すべての病が治りますように」との願いが込められています。

そもそもどうして、願いを掛けるのに馬が描かれたのでしょうか?

日本では古くから、馬は、神聖な動物とされてきました。

そのため、神に生きた馬をささげる「献馬」という風習がありました。

平安時代に編さんされた史書。
ここに「献馬」について書かれた記事が見えます。

やがて、生きた馬の代わりに、馬を描いた木の札を奉納したのが、「絵馬」の始まりといわれています。

木の札が使われたのにも理由があります。

古来、木には精霊が宿ると人々は信じてきました。

木は願いを叶えてもらうのに最もふさわしい材料だったのです。

素朴で美しい図柄が描かれた絵馬は、「日本独自の絵画」として人々の間に広まっていきました。

まずは、「図柄」から見ていきましょう。

栃木県足利市。
水使(みずし)神社は、女性の願いごとを叶えてくれる神社として知られてきました。

こちらには、明治時代から奉納された絵馬がおよそ3500枚、保管されています。
そのほとんどは、女性が納めたものです。

絵馬研究家の小倉嘉兵衛さんにうかがいました。

小倉「足利は、機織工女がたくさんいましたので、早く腕が上がって借金が返せて、国に帰れるようにということで手を描いて納めた。」

小倉「あと縁切りがありますね。『男女縁切り』ということで。」

男女背中合わせの図柄は縁切りを願ったものです。

小倉「絵馬は、小さな世界の中に、どれだけ祈りを表現できるか絵馬師たちは、切さたく磨しながら作品を仕上げていったんです。」

木の札という、小さなキャンバスに描かれた素朴な絵。
人々の祈りが、その力強い線によって、表現されています。

絵馬鑑賞、最初のツボは
「素朴な線に込められた祈り」

江戸時代から続く絵馬師の5代目・矢部宏さん。

今でも手書きで絵馬を描く数少ない職人として、全国から絵馬の注文を受けてきました。

矢部さんが今、描いている馬の図柄は、先祖代々伝わるものです。

使うのは、赤白黄、3色の顔料。
最初に色を置き、墨で馬をかたどっていきます。

矢部「顔の面 強弱があって力を抜くところと入れるところがあって口元はグッと引き締め、あごはゆっくりと柔らかく、また目はゆっくりと。限られたスペースにできるだけ線を省略して、書くわけですので一筆一筆さっと書く。」

こちらが、完成した矢部さんの絵馬。

最低限の色と筆使いでみごとに馬の躍動感を表現しています。

人々の願いをかなえるために描かれた、民衆のための絵画です。


日本民藝館 蔵

素朴な絵馬は、多くの人々の心をとらえました。
民芸運動を起こした柳宗悦(やなぎむねよし)もその一人です。

柳が魅了された絵馬を見せていただきました。

『南部絵馬』です。

南部絵馬は、現在の青森県太平洋側の地域を中心に作られた絵馬。

これは、江戸時代中ごろのもので赤白緑の3色の顔料を使い墨で大胆に馬を描き出しています。

日本民藝館の尾久彰三さんにうかがいました。

尾久「(絵馬には)顔料を少なくしたり、手数を少なくしたりと、制約がある。制約があるからこそ、職人は集中して、絵馬を描いた。また、その集中が考えもしない自由な線を生んだ。」

南部絵馬は、かつて馬の産地としてしられた、この地方の人々が奉納したもの。
この絵と出会った柳は、次のように書き残しています。

尾久「絵馬は、顔料や型が制約されたことが、かえって職人の練達を生み、迷いや屈託を知らない素朴な美しさを持つようになった。」

無駄なものを一切、そぎ落とし力強く自由な線によって描かれた絵馬。

そこには、人々の純粋な祈りが小さな画面いっぱいに詰め込まれています。

 

弐のツボ 細部に船乗りたちの魂あり

石川県加賀市橋立。
江戸後期から明治にかけて栄えた港町です。

港の近くにある白山神社。

小さなお堂に入ると、25点の絵馬がぎっしりと掲げられていました。
そして、これらの絵馬には、すべて船が描かれています。

こうした絵馬を『船絵馬』といいます。
江戸から明治にかけて交易を担った「北前船」と呼ばれる船の持ち主が、航海の安全を祈願したものです。

北前船は、大阪から瀬戸内海、そして日本海を航海し、さまざまな物資を運びました。

航海はいつも危険と隣り合わせ。そこで奉納されたのが船絵馬だったのです。

船絵馬は、他の絵馬には無い特徴があります。

船の構造や帆の大きさ、そして乗組員の数などが、細かく描きこまれているのです。

北前船の里資料館、師岡正樹学芸員です。

師岡「(船絵馬は)非常に写実的に描かれておりますので、当時の造船技術を知る上で、とても貴重な資料でした。」

そこで絵馬鑑賞、2つ目のツボは
「細部に船乗りたちの魂あり」

船絵馬は、東北から北陸にかけての北前船が寄港した港に多く残されています。

そして、船絵馬には、決まった構図があるといいます。

師岡「よく見られるものとして、朝日や穏やかな波というものがよく描かれました。」

朝日と穏やかな波には「天候の良い日が続き、無事に航海ができますように」という願いが込められています。

また、多くの船を持つ船問屋は、所有するすべての船を描かせて奉納しました。

船の進む向きがバラバラなのは「何度も往来することで商売が繁盛するように」という願いによるものです。

岩手県大船渡市。
平成3年、北前船として使われた江戸時代の船が復元されました。

復元を手掛けたのがこちら。
船大工の新沼留之進(とめのしん)さんです。

当時の船は、設計図など詳しい記録が、ほとんど残っていません。

そこで新沼さんが資料としたのが船絵馬でした。

船絵馬には蛇腹(じゃばら)と呼ばれる船の側面や、垣立(かいたて)と呼ばれる手すりまでが正確に描かれています。

新沼「安全性を祈願するため船絵馬をあげる。だから、船絵馬は、自分の持ち船でないといけない。自分の船は、よその船とはここが違うんだというプライドを持って(絵馬師に)描かせる。描かせると同時に、荒天を乗り切れるだろうとイメージできるものでないといけない。」

船絵馬から得られた情報を元に新沼さんは、設計図を完成させました。

復元されたのは全長18メートル、およそ60トンの船。
幻といわれた北前船が姿を表しました。

新沼「安全を祈願するには、魂を込めた船絵馬じゃないといけない。やはり、船絵馬にはその(船乗りの)魂が感じられる。」

最後にもう一点、こんな船絵馬をご紹介しましょう。

荒波にもまれる北前船。
嵐から生還した船乗りたちが、奉納したものです。
一心に祈る乗り組員たち。

船絵馬の一枚一枚には、海に生きた男たちの魂が、しっかりと刻み込まれているのです。

参のツボ 絵馬堂は庶民の美術館

最後に、絵馬を飾る絵馬堂をご紹介しましょう。

絵馬堂とは、神社や寺にある絵馬を飾る場所。

特に大絵馬と呼ばれる大型の絵馬を掲げています。

京都・北野天満宮の絵馬堂では一流の絵師たちが描いた絵馬が掲げられていました。


北野天満宮 蔵

こちらは、豊臣秀頼が慶長15年、絵馬堂建立にあたって、奉納した大絵馬です。

黒い馬には、農作物祈り「十分な雨が降るように」との願いが込められています。

全体に金箔(きんぱく)が施された華やかな大絵馬です。

全国各地の絵馬を研究している岩井宏實さんです。

岩井「絵馬堂には、優れた画家による絵馬がたくさん掲げられている。そして、身分の上下に関わらず誰でも、自由に出入り可能で、ゆっくりと観賞できる。そうして、美的感覚や教養を身につける。だから、今でいう、美術館的役割を果たしている。しかも、人々の休まる場。」

絵馬鑑賞、最後のツボは
「絵馬堂は庶民の美術館」


北野天満宮 蔵

北野天満宮には、桃山から江戸にかけて活躍した巨匠・長谷川等伯の絵馬も伝わっています。

敵を捕らえた弁慶が主である義経のやかたへ向かう場面を力強く描いた、等伯晩年の大作です。

かつては、この作品も絵馬堂に飾られ、人々は自由に観賞することができました。

岩井「絵馬堂は、神社と一般大衆を結びつける非常に重要な場所だった。」

こちらも、北野天満宮に伝わる、ちょっと変った絵馬。

不思議な図形が並んでいますが・・・
これ『算額』といい、数学の問題を絵馬にして、奉納したもの。

例えば、こちらは、赤い円の面積を求める問題。

人々は、絵馬を通して数学の難問に挑戦したのです。

大絵馬は、地方の寺や神社にも盛んに奉納されました。これらを描いたのは、地元の絵師たちです。

地元の絵師たちは、大絵馬を見ながらお互いが切さたく磨し、技を磨きました。

栃木県足利市の最勝寺には、北斎の弟子・柳々(りゅうりゅう)居辰斎(きょしんさい)の大絵馬がありました。

朱色を基調としたみごとな、毘沙門天の図。

大絵馬には、日本や中国の物語や伝説が好んで取り上げられました。

最勝寺の沼尻了憲住職にうかがいました。

沼尻「昔は(庶民の方々は)趣味娯楽というものが少なかったと思われますのでこちらにお参りに来ていただいて、(名作の)絵馬鑑賞を楽しんでいたと思われます。」

大絵馬には、日本や中国の物語や伝説が好んで取り上げられました。

さまざまな願いが込められてきた絵馬は、また庶民が身近に楽しめる芸術として、人々の生活に深く根づいてきたのです。

高橋美鈴アナウンサーの今週のコラム

絵馬といえば、お正月の破魔矢についているもの(干支が描かれたものが多い)、あるいは参けい記念に求めるもの(大きなお寺や神社では、その社寺の由来や名物にちなんだきれいな絵馬がよく売られていますよね)というのが私のイメージ。絵の雰囲気がそれぞれ違っていて見比べるとなかなか楽しめるのですが、そういえば、絵馬に願いを書くという本来の使い方は、最近あまりしてないなあ・・・。
今回の『美の壺』では、絵馬堂にかかる大絵馬の豪華さ、歴史がかもし出す風格に興味をひかれました。今まで気にしたことがなかったのですが、少し大きな神社やお寺には必ず絵馬堂があるとのこと。昔の人になったつもりで、今度探してみようと思います。

今週の音楽

曲名
アーティスト名
Tenderly Joe Pass
Afternoon In Paris Milt Jackson
I Only Have Eyes For You Oscar Peterson
Chelsea Bridge Tommy Flanagan
The Nearness Of You Gerry Mulligan
Without Words George Shearing & Jim Hall
In A Sentimental Mood Turtle Island String Quartet
Body And Soul Joe Pass
Maiden Voyage Bobby Hutcherson
Softly As In A Morning Sunrise Milt Jackson
Jumpin’ At The Woodside Ellington / Basie
Chantized Curtis Fuller
That’s Earl, Brother Joe Pass
How Are Things In Glocca Morra? Wynton Marsalis
All The Things You Are Paul Desmond & Gerry Mulligan
The Very Thought Of You J.J.Johnson
Can’t We Be Friends Ella Fitzgerald & Louis Armstrong