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江戸時代、京都を訪れた大名が宿として使った二條陣屋。
ここには25の部屋があり、そのうち10部屋に床の間が設けられています。
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こちらはこの陣屋の中で最も格が高い、大広間の「床の間」です。
床の間は、客を迎える部屋につくられます。
そもそも「床」とは、ものをのせたり、位の高い人が座る、一段高い場所をいいます。
床の間は、部屋の中で一番神聖な場所とされるのです。
主人は客をもてなすために、さまざまなものを飾ります。
壁には掛け軸。その下には花入や香炉が置かれます。
硯(すずり)箱や書物などは、隣にある「床脇」という空間に収納したり、飾られたりします。
床の間は、こうした美術品を飾る場所として発達してきました。 |
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「床の間」の起源は室町時代にさかのぼります。
歌会や茶会を催す時、壁に掛け軸をかけ、「押板」と呼ばれる板の上に、美術品をおいて鑑賞しました。
今日のような形になったのは、桃山時代から江戸時代初期にかけてのこと。
その究極が二条城二の丸御殿にあります。
徳川将軍に諸大名が謁見(えっけん)する部屋。
将軍は、豪華に飾られた「床の間」を背に、座りました。
「床の間」は、教養や財力を示す場であり、またそこでの序列を示す役割もあったのです。 |
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まずは「床の間」の配置に注目しましょう。
こちらは、呉服問屋を営む京都の町家。
江戸中期になると、武家だけでなく、裕福な商家も「床の間」を設けるようになりました。
「床の間」は、落掛(おとしがけ)、床柱(とこばしら)、床框(とこがまち)という木材で四角く囲まれています。
あたかも、大きな額縁のようです。 |
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数々の歴史的な建物を修復してきた中村昌生さん。
中村「そこに飾るものを、亭主が客に対するいろいろなメッセージをですね、心をこめて、そこに何かくふうする訳ですから、それを大変、客に印象的に伝えるためには、やはり額縁が必要である」
床の間鑑賞、壱のツボ。
「額縁にもてなしの工夫あり」。
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床の間には、美術品を印象的にみせるためのさまざまなくふうが施されています。
まずは、光。「書院」と呼ばれる窓から光を取り入れます。
和紙を通した光が、床の間を柔らかく照らします。
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一方、「床の間」の上部には、小さな壁が設けられ、影をつくっています。
この影が「床の間」の空間に奥行きをもたせています。
影がなく、光が全体にあたると、掛け軸は平面的にみえてしまいます。
また、書院をふさいでしまうと、暗すぎて掛け軸は、よくみえません。
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床の間という、ほの暗い空間の中で、掛け軸に陰影ができ、描かれた世界が奥深くみえるのです。
中村「ややほの暗い、その座敷よりはややほの暗いその空間、そこの中にまたそこは床でも照明が考えられている訳ですね。
付書院などをつくって照明を考える訳です。
飾られるものが最も客に対して印象的にそれを受け止めてもらえるようにするにはですね、適当な明るさというものが必要なんです。
日本人の、光に対する感覚をですね、よく証明していると思いますね」 |
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さらに、「床の間」の隣に設けられた「床脇」に、ご注目。
ここも客をもてなすための大切な空間です。
書院からの光は、この「洞口(ほらぐち)」(「狆潜り(ちんくぐり)」とも言う)を通して、「床脇」まで届きます。
「床脇」は、客が美術品を手に取って楽しむ場。
例えば、和歌の好きな客を迎える時には、歌集を飾ります。
興にのった時、客が筆をとれるように、硯箱と紙も用意します。
床脇は、客へのさりげない心遣いを示す場なのです。
中村「ここへ集う人も、やはり亭主の心意気を受け止める、受け止めて、そしてそこでお互いに打ち解けた、心の通う集まりをですね、実現しようという、こういう気持ちが、この日本の座敷にこめられている訳ですね」
さまざまな工夫がこらされた「床の間」の配置。
「床の間」は、日本建築の特性をいかした、座敷の中の小さな美術館です。
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