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File29 七宝

 

壱のツボ 赤透(あかすけ)にルビーの輝きを見よ

多くの観光客で賑わう京都。

七宝は女性に人気があるお土産の一つ。

ペンダントやブローチなどのアクセサリーが並べられています。

高級車に付けられているエンブレム。 実はこれも七宝でできています。

 

七宝とは、金属の素地にガラス質の釉薬を焼き付けた工芸品です。

華やかな色彩で細密な図柄が描かれた七宝は明治時代、日本を代表する工芸品として海外に盛んに輸出されました。

 

七宝の歴史は今から3500年前古代エジプトにさかのぼります。強大な権力を持ったファラオは自分たちの副葬品を七宝で飾りました。

 

その後七宝はヨーロッパ中に広まります。キリスト教の威光を示すため宝石の代わりに教会の装飾に使われました。日本にも飛鳥時代すでにシルクロードを経て伝えられていました。

七宝焼ふれあい伝承館 蔵

華やかな色彩が生み出す輝きから七つの宝すなわち七宝と呼ばれるように なりました。

江戸時代、七宝は幕府や大大名が独占し刀の鍔などに用いました。

しかしその製法は武士階級の没落とともに潰えてしまいます。 


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並河靖之七宝記念館 蔵

ところが幕末尾張の国で七宝は甦ります。

梶常吉(かじつねきち)という一人のメッキ職人が独自に七宝を生み出したのです。偶然手に入れた舶来品を研究しついには七宝で器を飾る技術を完成させました。

 

日本画の図柄を取り入れた 美しく精巧な七宝はたちまち西洋人の目を捉えました。間もなく日本は世界一の七宝生産国となり 数々の名品が海外に 飛ぶように売られていきました。


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七宝焼ふれあい伝承館 蔵
まずは透明な輝きに注目です。
赤透(あかすけ)と呼ばれる深く透き通るような赤で彩られた花瓶。
赤透は七宝の中でも最も美しいとされる色です。

東京銀座にある古美術店。明治時代海外に輸出されていた七宝を扱っています。

宝満堂 蛭田道子さん 「こちらが赤透で、尾張七宝を代表する色なんですけれども、この黒みがかった赤が、最高級のルビーに似ているという事で西洋人に大変人気がありました。」

日本人の手によって生み出されたこの透き通るような赤が西洋の人々を魅了しました。

 

七宝鑑賞、壱の壺 「赤透(あかすけ)にルビーの輝きを見よ。」

ルビーは宝石の中でも産出量が少なく富と権力の象徴としてヨーロッパで珍重されてきました。

その色を人工的に作り出したのが赤透(あかすけ)です。

 

七宝の透明な釉薬はガラスの成分となる硝石や珪石などから作られます。

ガラス質の原料に鉄や銅などの金属を加える事で様々な色が生み出されます。

七宝は翡翠やエメラルドなどの宝石の色を再現しようとしてきました。中でももっとも難しかしいのがルビー色の赤透(あかすけ)です。

 

この透き通るような赤を生み出すために明治の職人達は試行錯誤を繰り返しました。
明治13年 太田甚之栄(おおたじんのえ)という職人がついに赤透の釉薬の開発に成功しました。 
甚之栄は金を混ぜ溶かしたガラス質の原料をさらにもう一度低温で焼く事で透明な赤が出せる事を発見しました。


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これが最高級の赤透を生み出す釉薬。

 

赤透は焼き上げるのも簡単ではありません。今でも熟練の職人だけが焼き上げる作業を 手がけます。

形や大きさによって焼く時間が微妙に異なります。
数秒でも窯から出すタイミングが遅れると釉薬が溶け出し色もくすんでしまいます。


こちらは明治後期に作られた赤透の名品。よく見ると銅の素地には鳥と竹の模様が透けて見えます。 
七宝だけが表現できる透明感あふれるルビー色です。

 

弐のツボ 究極の細密模様を味わう


清水三年坂美術館 蔵

さて次は七宝の細密模様に注目です。

明治初期、七宝の技術は 急速なスピードで発展していきました。

それに伴って描かれる模様も 美しく細かくなっていきます。


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10センチ程の大きさのウズラ。羽の一枚一枚産毛に至るまで写実的に描写されています。

清水三年坂美術館 蔵

こちらも同じく明治に作られた小箱。


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一見すると黒地にまだら模様が施されているように見えますが、ルーペで拡大してみると大きさ1ミリにも満たない蝶が無数に乱舞しているのがわかります。

様々な色の羽を持ち触覚まで描かれたものもあります。

清水三年坂美術館館長 村田理如 「棚に飾ってある物を遠くから見ても、本当の良さは分かりにくいと思うんです。実際に手に取って掌に載せて、こういうふうにルーペでその細密度を掌の上で楽しむ。そういう魅力が七宝にはあると思います」

極限まで細かい描写を追求した明治の七宝。そこには小さい物を慈しむ日本人の美意識が込められています。

七宝鑑賞、二の壺は究極の細密模様を味わう

 

七宝の細密模様はどのようにして作られるのでしょうか。

模様の輪郭は幅1.25ミリの銀線で作ります。瞬時に下絵や素地の形を見極めすばやく銀線をまげて正確な形を作っていきます。

七宝職人 相川孝文 「花瓶の場合は面が曲面ですから、そこに付ける、曲面が鋭い程難しいということですね。銀線がもともとまっすぐな物ですから、これをこう曲面に合わせて曲げて、しかも柄に合わせてこっちにも曲げるという。」

次は色。わずか3ミリ程の空間に釉薬を載せていく細かい作業です。

しかし明治の職人たちの技を再現することは難しいといいます。

 

明治の職人達の中でも細密模様を最も得意としたのが並河靖之でした。

繊細に描かれた建物や森の木々。

色彩は金属線の輪郭で仕切られているとは思えない程自然にとけ込んでいます。


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清水三年坂美術館 蔵

同じ形、同じ柄の色違いの壺。

手作業にも関わらず細かい模様が寸分たがわぬ正確さで描かれています。

七宝で描かれた細密模様。それは熟練した職人だけが描く事が出来た究極の表現だったのです。

参のツボ ぼかしが生み出す幽玄の美

19世紀のすえ、世界の国々が 文化と技術を競い合った万国博覧会。日本からも数多くの工芸品が出品されました。中でもヨーロッパの人々の目を引いたのが華やかな七宝でした。

しかし工芸品である七宝は絵画などの美術品と区別され正当な評価が得られませんでした。


これを不満に思った 日本の職人たちは七宝を絵画に近づけようと表現しようと試みます。

 

そしてついにそれまでの常識を覆し金属線を残さない 無線七宝(むせんしっぽう)という技法を編み出しました。


清水三年坂美術館 蔵

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こちらの菖蒲(しょうぶ)の絵、よーくご覧ください。      

絵柄を縁取っているはずの銀線がどこにも入っていません。柔らかい線と絶妙なぼかしで菖蒲のはかなさが見事に表現されています。

無線七宝の技法を編み出したのは明治の七宝職人涛川惣助(なみかわそうすけ)です。

今もこの技法は絵画的な表現を行う時に用いられています。

 

釉薬を塗ったあと色と色との境界線に使う銀線をそっと抜き取ります。こうするとあたかも筆で描いたかのような柔らかい線を生み出す事が出来ます。

さらに七宝絵画にかかせないぼかしの技法。釉薬は水で薄めることが できないため濃度の違ういくつもの色を使って微妙なぼかしを生み出していきます。

 

こうした技法により七宝による表現の幅は大きく広がっていきました。


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清水三年坂美術館 蔵

涛川惣助は生涯七宝で日本画を描き続けました。

水に浮かぶ舟とそこに羽を休める鷺(さぎ)。 淡い色調が静寂を表します。


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東京国立博物館 蔵

涛川惣助が卓越した技を世界にしらしめた作品がこの富嶽図。

明治26年シカゴ万博に絵画として出展され真の美術品として絶賛されました。無線七宝で富士山の幽玄な姿が見事に捉えられました。

様々な技法が生み出されたことによって外国生まれの七宝は日本ならではの芸術品として世界に知られていったのです。

今週の音楽

 

曲名
アーティスト名
MOONLIGHT IN VERMONT SMITH JOHNNY
THE DAYS OF WINE AND ROSES PETERSON OSKAR
SONG FOR MY FATHER SILVER HORACE
THE GOLDEN STRIKER THE MODERN JAZZ QUARTET
SATIN DOLL THE THREE SOUNS
ELEANOR RIGBY STANLEY JORDAN
BAGS' GROOVE JACKSON MILT
IN YOUR OWN SWEET WAY FRIEDMAN DON
NIGHT LIGHTS MULLIGAN GERRY
BACK AT THE CHIKEN SHACK SMITH JIMMY
EVENING SET:2 BILL EVANS
MEMPHIS UNDERGROUND MANN HERBIE
CHITLINS CON CARNE BURRELL KENNY
I'M A FOOL TO WANT YOU DUKE PEARSON
COLORS OF ONE KEVIN EUBANKS
THE NIGHT HAS A THOUSAND EYES GARY BURTON & STEPHANE GRAPPELLI