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File27 信濃路

 

壱のツボ 「石垣」 大きな石は、城の顔

今日の『美の壺』は谷啓サンが歴史と文化に彩られた信濃路を旅します。
まずは旅のルートをご紹介。

出発は北国街道の起点、追分宿(おいわけじゅく)。ここから長野の善光寺を目指します。

かつて北国街道は、善光寺への参拝の道としてたいそう賑わいました。

追分宿を出て、最初の宿場町・小諸宿です。

ここは、かつての城下町。街道には、商家が建ち並んでいました。

当時の面影を残す土蔵造りの店。看板には味噌の文字。小諸は、信州味噌の産地として知られて来ました。

小諸では、古城鑑賞のツボをご紹介しましょう。
小諸城は、武田信玄が軍師・山本勘助に命じて築かせた城。かつては、三層の天守閣を持つ名城でした。


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その天守閣は、今はありませんが、ご心配なく。古城の見所はちゃんとあるんです。

城の礎、石垣に注目です。

石垣の積み方は、時代によって違います。
こちらは、自然の石をそのまま積む「野面積み(のづらづみ)」。最も古い工法で400年ほど前のものです。
一見適当に積んでいるようですが、それぞれの石の重心を計算して組んでいるため、崩れにくいのです。

長い年月を経った石垣は、苔むして自然の趣きを醸し出します。


江戸時代に入ると、石を平らに加工する技術が発達しました。

石垣の角は、構造上重要な部分。
直方体に加工した石の長い面と短い面が、交互に積み上げられています。

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「算木積み(さんぎづみ)」と呼ばれ、見た目にも美しいのが、特徴です。

城内を歩いてみるとあちらこちらに大きな石を見つけることが出来ます。  
なぜ、こうした大きな石が置かれているのでしょうか。

 

お城研究20年の笹本正治さんに聞いてみましょう。

笹本 「大きい石は動かしづらいですよね。すごく大きい石になれば、たくさんの人が必要になります。
ですから権力の大小が分かる訳です。私の所にはこんな大きい石を使える。だから私は力を持っている。要するに見せたい。見せる為の道具が大きな石なんです。ですから、お城を見る時に、大きな石はどこにあるだろうかと見ると、全くお城の見方が変わって来ます。」


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石垣の大きな石は、権威の象徴。
古城鑑賞のツボ 「大きな石は、城の顔」

 

信州には、名城がたくさんあります。
真田十勇士の舞台で知られる上田城。表門の石垣には、高さ3メートルの大きな石。
徳川の軍勢を2度までも退けた、上田城の顔です。

国宝・松本城。城内で最も重要な二の丸の正門。
石垣には、高さ4メートルの巨石。威風堂々たる様は城を出入りする者たちを圧倒します。

巨石は、権威を誇示するのにふさわしい、目立つ場所に置かれました。

 

さて、再び小諸城。
大きな石があるのは、門の石垣だけでは、ありません。


城主の住まいとして使われていた二の丸。この入り口の脇にも大きな石があります。

石の表面は、平らに仕上げられています。こうした石は、「鏡石」と呼ばれます。

笹本 「フツーですね、石は平らじゃないですよね。平らだと言う事は外側から見ると鏡のように見えるわけです。鏡のように見えると言う事は、実は中世の人にとっては、鏡はご神体でもあるわけです。

ですから、こういう平らな石を使うことによって、この中に神様に宿っていて欲しい。自分たちを守っていて欲しいという考え方があるかもしれません。」

1600年、徳川秀忠が、関ヶ原の合戦に赴く際、神の石に守られた二の丸に逗留しました。
以来、この場所は、来賓を迎える大切な場所として使われるようになりました。

 

石垣に組み込まれた大きな石。
それは、城の顔を知る目印なのです。

 

弐のツボ 「うだつ」 うだつは繁栄の象徴

さあ、信濃路の旅を続けましょう。 次にむかう先は海野宿です。

 

ここ海野宿は江戸初期に開かれた宿場町。 大名が泊まる本陣と、20軒以上の旅籠屋がありました。
戦火をまぬがれたことで古い建物が、いまも残っています。

海野宿でまず目を引くのが屋根のついた美しい小さな壁。『うだつ』と言います。

 

うだつは、隣の家との境に設けられています。実は防火のために作られたものなんです。そのため『火返し(ひがえし)』とも呼ばれます。

家の両側から突き出た形が『卯』の字に似ていることからこの字があてられました。

海野宿にお住まいの宮坂崇雄さん。

宮坂さんは10年前、隣から出た火がうだつによって食い止められるのを目の当たりにしました。

宮坂 「火が軒下をはうんですね。抵抗ないんで軒下をはってもろにうだつにぶつかった。むこういっちゃうと思うじゃないですか。行くかと思ったら向こうへは行かなかった。」

防火のために作られたうだつ。

その形は時代にそって変化していきました。

 

はじめは屋根の下に三角形の壁をつけただけのシンプルなもの。

それが江戸時代後期から町がさかえるにつれて飾りも派手になっていったのです。


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うだつ鑑賞のツボ、 『うだつは繁栄の象徴』。

谷サン 『うだつが上がらない』の意味、もうおわかりですね。

 

裕福でないとうだつを上げられない、
それが転じて、出世ができないという意味になったのです。

海野宿では町の景観を守るため、この10年間修復が続けられています。

職人さんはうだつの材料から、その家のこだわりが分かると言います。

 

関 「この本うだつの瓦を見てほしい。これはうだつ専用に特別にふいた瓦なんです。」


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確かにふだんよく目にする屋根瓦とは違いますね。

『目板瓦(めいたがわら)』という装飾専用の瓦。うだつの大きさに合わせて作られた特注品です。

普通の瓦より大きく値段も何倍もする高価なものでした。 

海野宿は明治に入ると宿場の役割を次第に失っていきました。そのため旅籠屋は2階を利用して養蚕を営むようになります。

繭からとれる生糸は日本の重要な輸出品でした。
海野宿では幕末から蚕の卵である蚕種(さんしゅ)の育成に力を入れました。

品種改良を重ねた優良な蚕種は、全国で売られ海野宿は活況を呈します。

 

養蚕で富を得た家は競うように立派なうだつを上げていきました。

屋根の上にはシャチの飾り瓦。
シャチは水をはいて火を消し止める守り神です。
  

養蚕で栄えた海野の人々は防火のために建てたうだつに家や町を守りたい、という願いを込めたのです。

うだつとともに海野宿の美しい町並みを作り出しているのが『格子』です。格子は江戸後期、それまでの戸板に変わって民家でも広く取り入れられるようになりました。
風通りが良く光が適度に入ります。

 

格子は隙間と木の幅が計算して組まれているため、外を歩く人の視線を、さえぎります。

一方中からは、外の風景がはっきりと見えます。

光と影を上手に利用した日本人の生活の知恵です。

参のツボ 「千曲川」 千曲川に千の歌心を聴け

 

信濃路で出会う美の壺、次は千曲川です。

北国街道によりそう千曲川。新潟県に入ると、信濃川と名を変え日本海に注いでいきます。

 

山間を曲がりくねって流れる千曲川は様々な表情を見せます。

その美しい景色に人々は詩情をかきたてられてきました。
古くは「万葉集」にも詠まれています。

 

『信濃なる
 千曲の川の細石も
 君し踏みてば
 玉と拾はむ』

              
川原まで恋人を送りに来たのでしょうか。「君」が踏んだ小石を大切に拾い上げる、なんとも美しい恋の歌です。

詩情あふれる千曲川、 鑑賞のツボ。 『千曲川に千の歌心を聴け』。

作家・島崎藤村は若かりし頃、教師として小諸に滞在していました。

小諸と千曲川の自然をこよなく愛した藤村。その情景を描いたのが『千曲川旅情の歌』です。 小諸付近では山が迫り木々の緑が川面に映ります。

『小諸なる古城のほとり

 雲白く遊子悲しむ
 緑なすはこべは萌えず
 若草も藉くによしなし
 しろがねの衾の岡辺
 日に溶けて淡雪流る』

千曲川の中流になると 川幅も広くなり 流れもおだやかになります。

こののどかな風景に若山牧水のこの歌はいかがですか?

『秋風の

 そら晴れぬれば千曲川
 白き河原に

 出てあそぶかな』

肆のツボ 「上田紬」 紬糸が生み出す風合いを味わえ

次に向かうのは、上田宿。呉服や染物を扱う問屋が建ち並ぶ、宿場でした。
この地域もまた、養蚕が盛んでした。
かつて蚕を飼っていた大きな屋根を持つ建物が、今も残っています。

上田は、大島、結城と並んで紬(つむぎ)の産地として知られてきました。

上田紬は、素朴な縞や格子柄が特徴です。

 

「紬」とは、真綿からつむぎ出した「紬糸(つむぎいと)」で織った布のこと。

生地に、紬糸ならではの、小さな「節」が浮き出ています。

最近の着物ブームで、上田紬は、若い女性にも人気なんです。

旅館の若女将 「こういった所に節がみられると思うんですが、そういった所が素朴で、すごく味わいがあって、太陽の光を浴びると、この節がとてもきれいに浮き出て、本当にいいですね。」

伝統工芸士の小岩井武さんは、この道40年。こだわりの織り方があるといいます。
小岩井 「2回、筬をたたくって事がね特徴で、それで地が、布地がしっかりするという事ですね。 江戸時代から裏地が3回取り替えるほど丈夫だと言われておりますけど。」

 

裏地を三度取り替えても破れない丈夫さと、素朴な柄。

 

「上田紬」鑑賞のツボは、「紬糸が生み出す風合いを味わえ」

 

上田紬は、タテ糸に「絹糸」、ヨコ糸に「紬糸」という二種類の糸を使って織ります。細くて上質な「絹糸」に対し、紬糸は、太くて、表面は、けばだっています。


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紬糸は、クズ繭を利用した真綿から作られます。

もともとは養蚕農家が自家用に使ったことが始まりでした。
上田紬が商品として売り出されるようになったのは、江戸時代の中ごろ。

上田藩の財政を立て直しのためでした。


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生地の丈夫さが江戸で評判になり、たちまち全国に広まっていきました。

太く、けば立った紬糸を織る際には、2度打ちが必要になります。
1回目の打ち込みで、紬糸をしっかりと伸ばし、2回目の打ち込みで、糸の目を隙間なく詰めて行くのです。

 

織り上がった上田紬の反物。どうです、この温かみのある風合い。

紬の味わいを引き立てるのが、信濃の里山で採れる天然の染料。

 

クルミもまたその原料になります。クルミの皮や枝からは、深みある茶色の染料を得ることができます。

長く色褪せない染料として古くから使われて来ました。


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くるみで染めた白茶色の着物。

丈夫で持ちのよい上田紬には、飽きの来ない深みある色が求められます。

 

 

こちらは栗とさくらんぼで染められた反物。栗が生み出す渋い銀鼠色(ぎんねずいろ)と、さくらんぼの灰桜色。

 

信州の風土から生まれた紬糸が、上田紬独特の風合いを生み出すのです。

別所温泉

信濃路の旅、やはり欠かせないのは温泉です。

ここは信州で最古の 『別所温泉』。

谷さん、別所温泉は、この世の極楽と言われてきたんですよ。

古代からその効能が知られ、7つの苦しみから離れられる 「七苦離(ななくり)の湯」
と呼ばれてきました。

この地に立つ「北向観音堂(きたむきかんのんどう)」。
ある時、ここに観音様が姿を現しました。
観音様はこの世の苦しみから救ってくださる仏です。


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人々は病に効く温泉の効能もまた仏の霊験(れいげん)と信じるようになりました。

観音堂を中心に次々とお寺が建っていきます。

 

どのお寺にも極楽の楽の字がつけられました。

「楽」とは様々な苦しみから解き放たれた状態のこと。

江戸時代になると人々は「講」を作りいっそう盛んにこの世の極楽・別所温泉を訪れたといいます。


半田住職 「夜寝る前に入ってぐっすり安眠できますね。疲れがいっぺんにとれる、コロッと寝れる。ええ、ありがたいですね。それこそ極楽です。」

伍のツボ 「石仏」 庶民の願いが生んだ自由な形

信濃路では、たくさんの石仏に出会えます。

石で彫られた仏様や神様。これらは等しく石仏と呼ばれ、庶民の信仰を集めてきました。

 

悪霊を防ぎ、旅の安全を守ってくれる道祖神(どうそじん)。何とも可愛らしい表情です。
祠(ほこら)に祀られているのは、如意輪(にょいりん)観音。ほおを押さえる姿から、「歯痛(はいた)地蔵」と呼ばれています。

 

でも、どうしてこんな石仏が造られたのでしょうか。

 

浅野井 「野にある石仏というのは、御上、上の方からの命令で造ったものではなく、本当に日常生活を営んでいる人々の営みの中から生まれて来た。そういう信仰対象物だと。

あくまでも庶民の発想なんですね。」


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人々は、自由な発想で、日々の願いを石に刻んできました。

石仏鑑賞のツボは、「庶民の願いが生んだ自由な形」

北国街道沿いに、特に多いのが、「馬頭観音」です。
四方八方をはやてのように駆け巡り、悪を食べ尽くすという仏様。

その名の通り、頭上に馬の頭をのせ、3つの顔を持ちます。憤怒相という怖い表情をしています。

街道沿いに、馬頭観音がたくさん造られたのには、ワケがあります。

当時、馬は人々にとって、無くてはならない存在でした。そのため、馬への感謝をこめて造られたのが、馬頭観音だったのです。
本来は恐ろしい顔を持つ馬頭観音ですが、こちらは、優しく、慈愛に満ちた表情。愛馬への思いを表したものでしょうか。

こうした石仏の多くは、専門の職人ではなく、ここに暮らす農民たちが手がけたものでした。 そのため、型にはまらない、ユニークなものが多く作られました。

 

手に釘抜きをもつこの石仏、閻魔大王の命令で、嘘をつく人間の舌を引き抜く怖い鬼です。
“あの世ではお手やわらかに”との願いが込められています。


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漫画に出て来そうなこの石仏は、猫の神。

でも、なんで猫なんでしょうか?
養蚕農家にとって、カイコを食べるネズミは天敵。そのネズミを追い払う猫は、神様と見なされたのです。


浅野井 「これが実は私のうちの蚕室ですか。気抜きの棟札に貼ってあるんです。ネズミ除けのお札なんです。 真ん中にネズミという字が書いてあります。それで、4ヵ所に猫が書いてあります。そんな風に、暮らしというものを守る神様が登場してくるのも、石仏の面白さじゃないかと。」

街道に点在する、様々な顔をもった石仏たち。
 

その表情には、ここに暮らした人々の願いが刻まれています。

姨捨 〜 善光寺

北国街道の旅もそろそろ終わり。

最後の寄り道です。千曲川を見下ろす景勝地として古くから知られてきた「姨捨(おばすて)」。
年老いた母親を山に捨てる、という 『姨捨伝説』が伝えられてきた場所です。

美しい景色の主役は2000枚にもおよぶ棚田です。
平野が少ない信州では江戸時代からこうした斜面を利用した米作りが行われてきました。
豊作を祈る田毎観音(たごとかんのん)が今もひっそりとたたずんでいます。

虹の向こう側に谷サンが目指す善光寺があります。

 

『遠くとも一度は参れ善光寺』
善光寺は、宗派を問わずすべての人に開かれた寺です。信濃路を通って全国の善男善女が詣でました。今も年間600万人が訪れます。

本尊の阿弥陀如来は日本に最初に伝えられた仏様と言われています。秘仏のため、その姿を直接目にすることはできません。

人々は手を合わせてひたすら『極楽往生』を願います。


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今週の音楽

 

曲名
アーティスト名
Take the "A" train Duke Ellington
Memories of you Benny Goodman
Yesterdays Clifford Brown with strings
Statement Milt Jackson
Take 5 Dave Brubeck
Ruby my dear Thelonious Monk John Coltrane
Don't you miss your baby Count Basie
I'm afraid the masquerade is over Dave Brubeck quartet
Re:Person I knew Bill Evans
Good morning blues Count Basie
The Murder Danny Elfman
It never enterd my mind Miles Davis Quintet
Cry me a river Julie London
One o'clock jump Count Basie
Autumn leaves Cannonball Adderley f. Miles Davis
Concorde MJQ
A taste of honey Paul Desmond
Blue and sentimental Count Basie
On the sunny side of the street The Lionel Hampton Quintet
Nobody knows the trouble I've seen Louis Armstrong
Giant Steps John Coltrane
Eroll's bounce Eroll Garner
How long has this been going on Kieth Jarrett
Cheek to cheek Billie Holiday