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File18 能面

 

壱のツボ 能面に魂を見よ


東京国立博物館蔵
「月次風俗図屏風」

能舞台は見たことがない人でも、能面なら、一度は見たことがあるかも・・・。
その鑑賞のツボを知らずして、怖い、気味が悪いなんて思っていませんか?


東京国立博物館蔵
「月次風俗図屏風」

まずは、成り立ちから見ていきましょう。

能面のルーツは、奈良時代に中国から伝わった「散楽(さんがく)」と呼ばれる芸能にあります。

平安時代に入ると、散楽は、「猿楽(さるがく)」と名前を変え、各地に広がってゆきました。


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天下泰平、五穀豊穣を祈る祭りの中で、「神」に扮して踊る仮面が能面の始まりです。

およそ200種類もある能面の中で、最初に誕生したのがこの 「翁(おきな)」です。
私たちがイメージするちょっと怖い能面のルーツは、意外にもこんなににこやかな顔をしていたんですね。

神である「翁」と並び、早くに作られたのが 「鬼」の能面です。

やがて、亡霊や生き霊といった人間を超越した存在の能面が、いくつも作られました。

室町時代、「世阿弥(ぜあみ)」という天才によって、猿楽は大きな変化を遂げます。
大衆の娯楽だった猿楽を、芸術性の高い能へと発展させたのです。


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世阿弥は、日本の古典を題材に、人間の喜怒哀楽を表現しようとしました。

物語の主人公としてよく登場したのが 「女」です。

若い女を表す小面(こおもて)や恐ろしい山姥、清らかな天女など様々な年齢や性格の女に扮するために、いくつもの「女面(おんなめん)」が作られました。

能面鑑賞一のツボは、能面に最も間近で接してる能楽師の方に教えて頂きましょう。
世阿弥の父、観阿弥を祖先とする観世流シテ方の観世喜正(かんぜ・よしまさ)さんです。

能楽師は、先祖代々伝えられてきた能面を、面箪笥(おもてだんす)と呼ばれる桐の箱にしまっています。

「面(おもて)」とは、「能面」のこと。

能面はほとんどの場合、主役を務める「シテ方」だけがつけます。
シテ方にとって能面は、信仰の対象にも似た特別な存在なのです。

観世喜正さん 「能では、能面を用いて変身をします。私は男ですから、女の役、あるいは鬼や幽霊の役になるときに、能面を用いるわけなんです。私どもはこの能面をとても大事に、まるで魂のように扱います。「これからこの顔にならして頂く」というような気持ちで、いつも向かい合っているんです。

一つ一つの能面に 魂が宿っている。 能楽師たちは、古くからそう信じてきました。

 

能面鑑賞一のツボ、「能面に魂を見よ」。

能面と言えば思い浮かぶのが「般若(はんにゃ)」の顔。


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怖そうな鬼に見えますが、実はこれ、女性の顔だということをご存じでしたか?

嫉妬(しっと)や怒り、恨みといった激しさの中に、悲しみが見え隠れしています。
般若は、女の「魂」が凝縮された傑作です。



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作者の思いが刻まれた能面もあります。

室町時代の能楽師、金剛右京久次(こんごううきょうひさつぐ)、別名、孫次郎によって作られました。

孫次郎が、若くして亡くなった妻を偲んで作ったと伝えられています。

かすかに愁いを帯びた眼差し。

愛しい妻の「魂」を写した能面は、別名、「面影(おもかげ)」と呼ばれています。

能舞台の袖にある、「鏡ノ間(かがみのま)」。

能面をつける神聖な場所です。

能面をつけることを、「面(おもて)を頂く」と言います。
そのとき、能面に込められた魂に向かって、一礼するのが習わしです。

能面を顔にあてる瞬間、役者は、自らの魂を能面に重ねます

ひたすら心を静め、鏡に向かってじっと出番を待ちます。

能楽師が舞うことで、能面に命が吹き込まれていきます。

 

もはや、能面は演じるための道具でもなければ、美術品でもありません。
観客はそこに、 「魂」を見いだすのです。

 

弐のツボ 無限の表情を味わえ

「能面のような表情」とは、よく、無表情な顔の例えに使われます。
果たして能面は、本当に無表情なのでしょうか?

 

能舞台を見た人なら、驚いたことがあるはずです。動かないはずの能面が、表情を変化させるのです。

 

能面鑑賞二のツボ、無限の表情を味わえ。

「小面(こおもて)」と 呼ばれる少女の能面で見てみます。


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下に傾けると、物思いにふける寂しげな表情になります。

 

 

 


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逆にすると、喜びの表情が浮かび上がります。

 

正反対の感情を、角度の違いで表すことができるのです。

 

能舞台で見てみましょう。
能面をわずかに傾け、顔の前に手をかざすと、さめざめと涙する女。

わずかに姿勢を起こすと、今後は、晴れ晴れとした心で、遠くの山々を仰ぎ見る女が現れます。

再びうつむくと、そこはかとない不安げな気持ちが伝わってきます。

また、首を勢いよく振ることで、敵ににらみを利かせることもできます。

 

こうした表情の変化は、一体どのようにして生まれるのでしょうか?

京都に住む面打ち師(めんうちし)の中村光江(なかむら・みつえ)さんです。
能面には、削り易く変形しにくい檜が使われます。

表情の変化を生み出す鍵は、 「目」にあります。

中村さんは、瞳の部分を丁寧に削り出し、上まぶたと下まぶたを浮き上がらせます。
悲しんだり、喜んだりしているように見える秘密は、まぶたの厚みにあるのです。

中村さん 「能面の上まぶたは、下まぶたよりだいぶ手前に出ています。横から見ると、能面はまるで下を向いているかのようです。しかし前から見ると、能面は正面を見ている。こうして、普段は正面を見ているんですが、少し下に傾けると目は下を向き、少し上に仰向けると、すっと上を向いて、にこやかに笑うのです。」

能面には、更に正面から見ただけでは分からない工夫が施されています。

室町時代の名品、「雪の小面」を、現代の面打ち師が写し取りました。
美しさの秘密は、「鼻筋」にあると言われています。


「雪の小面」から写しとった型紙です。

良く見ると、鼻筋は、中心線から1ミリほど左にずれた場所から、右下に向かって延びています。

わずかな違いが表情に変化を生み出します。

右側から見ると、鼻筋が際立ち、表情に強さが生まれます。

 

逆に、左側から見ると、鼻筋はなだらかに、表情は、心なしか穏やかに見えます。

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鼻筋を微妙にずらし、顔を左右非対称に仕上げることで、観客の目に、能面が、より多面的に写るのです。

面打ち師の繊細な技が、「無限の表情」を生み出しています。

参のツボ 古色は夢幻の味わい


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舞台で見る能面は、遠目からは白一色に見えます。

でもそこには、微妙な色合いが隠されているのです。最後は、能面の「色」を味わいましょう。

現代の面打ち師が作った「小面」の能面です。

16歳の清純な少女の顔。


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しかし、その顔をよーく観察すると、肌が幽かに黒ずんでいることに気が付きます。

こうした色合いは、実は、能面を作る際、わざとつけられたものでした。
一体なぜそんなことをしたのでしょうか?

黒ずみに使われるのは、焦げ茶、黄土、群青などの日本画の顔料です。

それらを水で溶きます。

そして、布に染みこませ、胡粉で下塗りした能面の上に、軽く叩くように色づけします。

次に、表面を白い布で拭き、肌のわずかに凹んだ部分にだけ黒ずみを残します。

こうした色味を古色(こしょく)といいます。

古色には能面独特の意味が込められているのです。

中村さん 「古色は、言葉では言い表すことのできない色です。能面らしい色、とでも言いましょうか。「古い色」と書きますが、それは時代を経たものを真似するという意味で用いるのではなく、能面の奥深さを表現するために用いるのです。」

古色が生み出す陰影のある奥深い表情。
能面は、 やがて見る者を 得体の知れない夢幻(ゆめまぼろし)の世界へと導いていきます。


能面鑑賞三のツボ、古色は夢幻(むげん)の味わい。

陽が落ち、辺りが幽かに暗くなる頃。

古色に染められた能面が、暗闇に溶け込み、私たちを底知れぬ世界へと誘います。

幽霊や鬼、生き霊。

容易に計り知ることのできない存在を、古色は表しているのです。


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夢と現、この世とあの世が行き来する世界。

古色をまとった能面は、600年間変わることなく、見る者の心を揺さぶり続けています。

今週の音楽

 

曲名
アーティスト名
Take five Dave Brubeck
If I were a bell Miles Davis Quintet
Lute suites : Praeludium Ron Carter
Young and foolish Bill Evans
Maden Voyage Herbie Hancock
Stardust Louis Smith
For heaven's sake Keith Jarett
In a sentimental mood Francois Rabbath
You don't know what love is John Cortlane
Someday my prince will come Miles Davis
Time Remembered Bill Evans
I'm old fashioned Ella Fitsgerard