日本の伝統的なガラス、切子です。
繊細なカットが魅力の切子は昔から日本人に愛されてきました。
東京・亀戸にある料亭。
夏になると懐石料理に切子の器が用いられます。ガラスの透明感な輝きが涼しさを演出します。
美食家で知られる北大路魯山人(きたおうじろさんじん)も切子を愛した一人です。
魯山人は貧しかった頃、無理して買った赤い切子で豆腐ばかりを食べていました。切子は普通の豆腐を特別な料理に変えてくれたのです。
そもそも切子とはどのようなガラスなのでしょうか?
日本でガラスが作られるように なったのは、江戸時代中頃。その技法は中国から、長崎に伝えられました。
当時作られていたのは、吹きガラスです。「ビイドロ」と呼ばれ、庶民の間に広まりました。
江戸時代の終わりには、カットを施したガラス、「ギヤマン」が西洋からもたらされます。
このギヤマンを目指して日本でもカットガラスの制作が始まりました。 それが切子。 「ガラスを切る」という意味です。
江戸時代に作られた切子をご紹介しましょう。最も知られているのが江戸切子です。
江戸の町にあったいくつもの小さな工房で作られました。無色透明のガラスに職人の手で丹念なカットが施されています。
こちらは色ガラスが特徴の薩摩切子です。
深みのある色と端正なカット。薩摩切子は数が少なく、ガラス好きなら一度は手にしたい逸品です。
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まずは江戸切子から。
こちらは現代のガラス。光をあてても何の変化もありません。
一方、江戸切子は。傾けると虹の色が浮かび上がります。 これが、最初のツボ。「江戸切子に虹の輝きを見よ」
ガラスの主な原料は珪石(けいせき)。これに鉛を混ぜると鉛ガラスになります。鉛を入れると溶ける温度が低くなり、作業がしやすくなります。
江戸時代のガラスには現在の倍の鉛が入っています。そのため鉛が溶けきれずに残ってしまうこともありました。
江戸切子の中でも名品中の名品と呼ばれる重箱です。
鉛ガラスは光の屈折率が高く、まるでプリズムのように虹色の光を生み出します。
鉛を多く含んだ江戸切子は、もろく壊れやすい一面もあります。しかし江戸時代の人々にとっては、そのはかなさもまた魅力でした。
江戸時代、美人をビイドロやギヤマンと呼びました。 ガラスの美しい輝きと、触ると壊れそうな繊細さを女性の姿に重ね合わせたのです。
虹色の輝きを持つ切子は、はかなさを愛しむ江戸のこころを伝えています。
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続いては切子のカットに注目しましょう。切子の表情はカットで決まります。
切子職人の小林英夫(ひでお)さん。 切子を作って60年になります。
同心円状の目印を手がかりに真っ直ぐな線を刻みます。いくつもの線を組み合わせることで文様を作りあげていきます。
現在、カットに使われるのはグラインダーと呼ばれる回転式の機械です。
グラインダーで出来たカットは鋭く、底の部分には芯(しん)がくっきりと刻まれています。
では江戸時代、丸みのあるカットはどのようにして作られたのでしょう。 当時は鉄や木の棒が使われていたと言われています。カットは機械ではなく職人の手技で刻まれていたのです。
角を付けた鉄の棒で、ガラスを削っていきます。出来上がったカットに現代のような鋭さはありません。
江戸時代の切子はぶれが幾重にも重なり、手作業ならではの味わいを生み出しています。実はさらにカットの丸みを出すためにもうひと手間かけられているのです。
それが磨きの作業です。磨きには桐などの木の棒を使います。何度も磨くことで角が丸まり、柔らかさが増すのです。
職人たちは長い時間をかけてガラスを削り、磨きあげました。 丸みを帯びた江戸の切子は丹念な手仕事の結晶です。
切子には、職人たちの手の温もりが残っています。
桜島を望む鹿児島。
江戸末期、激動の時代の中で生まれた切子があります。それが薩摩切子です。
薩摩切子は透明なガラスの上に色ガラスを被せています。 これを「色被せ(きせ)ガラス」といいます。その技術を持っていたのは全国で唯一、薩摩藩だけでした。 当時、将軍家や大名たちがこぞって手に入れたがった究極の切子です。
薩摩切子を作らせたのは、28代藩主 島津斉彬(しまづなりあきら)です。 幕末を生きた斉彬は、切子を藩の重要な産業として育成に努めました。
薩摩切子を見るときは色の境目に注目してください。にじんでいるのがお分かりですか?これは「ぼかし」と呼ばれています。
切子鑑賞、最後のツボ 「色のぼかしは薩摩の宝」
こちらは、当時ヨーロッパで作られたガラスです。青い部分と透明な部分がくっきりと別れています。 薩摩切子だけに見られる微妙なグラデーション。このぼかしはどのようにして 生まれるのでしょうか?その秘密は、色被せガラスの作り方にあります。
ヨーロッパでは型を用います。最初に色ガラスを型に入れて吹き込みます。次に透明なガラスを入れて色被せガラスは出来上がります。
一方薩摩切子は、型を使わず色ガラスを、直接透明なガラスに 被せます。直接被せるため、色ガラスの層は厚くなります。
右は型を使ったもの。 左は手で被せたものです。
比較すると手で被せたほうの色の層が、倍以上も厚くなっています。この厚い色ガラスの層を削ると、ぼかしが生まれるのです。
その仕組みを見てみましょう。色の層を大きな角度で透明な層まで切り込みます。 すると色の層が下に行くほど薄くなり、断面にグラデーション、すなわち「ぼかし」ができるのです。
「ぼかし」はもともと偶然生まれたものです。 しかし薩摩では、その「ぼかし」を 新たな魅力として表現に取りいれました。
薩摩切子初期の名品です。 カットの大きさや深さを変えて作られた様々な「ぼかし」が豊かな表情を生み出しています。
コウモリのレリーフをあしらった鉢です。
ぼかしが醸し出す幽玄な味わい。薩摩切子は世界に誇る究極の切子です。
1858年島津斉彬が急逝します。 薩摩切子の製造は、わずか20年足らずで途絶え、幻の切子となりました。
現在確認されている薩摩切子は150あまり。しかし数年に一度、ひょっこり姿を現すことがあります。この緑色のデキャンターも最近発見されたもの。緑色の薩摩切子は、日本で2つ目です。
江戸末期、時代が大きくうねり 熱気を帯びる中、一陣の風が吹き抜けるように日本の切子は生まれました。切子は、今も昔も変わることなく 涼やかな輝きを放っています。
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