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File13 円空と木喰

 

壱のツボ 円空仏は生成り(きなり)を味わえ


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まずはこちらをご覧下さい。
もっともなじみ深い仏像といえば、豪華な装飾に厳かな顔。これが古くから守られてきた仏像造りの基本でした。一方円空仏には派手な装飾はありません。江戸時代の僧、円空が彫った荒削りで素朴な仏です。

こちらは僧侶、木喰が彫った木喰仏。円空仏と同じく素朴さが魅力です。
円空と木喰。二人は全国を旅し、大寺院ではなく名も無き人々のために、膨大な数の木彫りの仏を残したのです。


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まずは円空さんから。
愛知県西尾市の浄名寺。4年前、古い厨子から円空仏が見つかりました。

高さ2メートル70センチ。曲がった大きなクスの木に最小限の彫刻を施しただけの観音像です。


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ツボを教えてくれるのは、円空研究に取り組んで50年の長谷川公茂さんです。

長谷川公茂さん 「キナリというんですかね、木の性質をそのまま上手に使っているんですね。そして、木がずうっと上にいって、少し曲がっているところがお顔の方へ曲がって、そしてこちらをちょっと見ているように、ですね、自然のままを使って見事に仏像として表現しているのですね。」

最初のツボ。
「円空仏は生成り(キナリ)を味わえ」。生成りは一本一本の木が持つ癖のこと。それを活かした所に円空仏のよさがあります。ずんぐりした杉の根っこの薬師如来。自然のままの木肌を、衣の線にみたてて見事に造形しています。

それは、円空が、どんな木にも仏様が宿っていると信じていたからです。


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円空は、寺も仏像もない辺境の村々を旅し、そこで手に入る木を使って人々のために仏像を造りました。

 

仏像の背中に円空の言葉が記されています。 「是に廟ありすなわち世尊」。
世尊とはお釈迦様のこと。この世のすべてのものに仏が宿っているという意味です。 円空は、普通なら使わない曲がった木や切り株などを活かして、仏像を造ったのです。

円空は、仏像を彫る時、木を無駄にしないよう様々な工夫を凝らしていました。
木彫家の山田匠琳(しょうりん)さん。若い頃から円空仏に魅せられ、その技法の再現に取り組んできました。円空は、丸太を縦に三つに割って用いました。それを鑿と小刀を使って一気呵成に彫り上げたと考えられています。

木を無駄にすることなく丸太は三尊の仏に生まれ変わりました。


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飛騨高山にある千光寺。円空仏の傑作としてしられる不動三尊です。
真ん中に立つのは、厄災から人々を護る不動明王。両脇をセイタカ童子と、コンガラ童子が護ります。この不動三尊も、一本の木から彫りだされたものなのです。

横にして、底の部分を見てみましょう。年輪から、一本の木だったことがよくわかりますね。

さらに、円空はこんなものまで大切にしました。木彫りの途中に出る小さな木っ端。削って、目鼻を付けると・・・ 小さな仏さまが生まれます。

 

では、究極の円空仏をご覧下さい。大きなお地蔵様のまわりに、小さなお地蔵様がなんと千体あまり並んでいます。高さおよそ5センチ。すべて木っ端でできた仏です。

すべてのものに仏が宿る。そんな円空さんの声が聞こえてくるかのようです。

 

弐のツボ 木喰仏は笑顔を堪能せよ

次は木喰さん。
木喰仏は、荒削りな円空仏とは対照的です。見ているだけで心が和んでくる優しい微笑み。この笑顔こそ木喰仏最大の魅力です。

そこで二番目のツボ。「木喰仏は笑顔を堪能せよ」。


まず木喰の最高傑作から見てゆきましょう。
京都、丹波地方の清源寺。お釈迦さまの弟子たちを彫った十六羅漢像です。

にっこりと微笑んだり。目を見開いたり。顔を覆っていたり。ウインクをしている羅漢さまもいます。
さながら、笑いの大合唱です。木喰は笑顔を愛し、笑顔を彫り続けた人なんです。


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実は木喰が笑顔の仏を彫るようになったのは80歳を超えてからなんです。61歳で仏像造りを始めた木喰は、20年以上をかけて日本中を回り、行く先々に仏像を残します。
しかし、あの笑顔はまだ見ることができません。83歳の時。木喰はようやく故郷の村に戻りました。

木喰は村人から頼まれ、お堂の建立を始めます。 ところが人々の間で費用をめぐるいさかいが起き、大勢が離反してゆきます。なんとかお堂は完成したものの、醜い争いを目にした木喰は心を痛めます。

木喰は、再びあてのない旅に出ます。自分の非力を痛感した木喰。 旅の中で、人々が本当に救われるには何が大切なのかを問い直しました。
この頃木喰が作った歌。

「みな人の心を丸くまんまるに  どこもかしこも丸くまん丸」

木喰は、人の心がまるくなるような仏を彫ろうと決意したのです。

新潟県おじや市小栗山(こぐりやま)。集落のお堂に木喰が彫った三十三観音像が残されています。
無心に微笑む観音様。木喰仏のおおらかな笑いはここに完成しました。

小栗山は2年前の中越地震で大きな被害を受けました。住民たちは、長く厳しい復旧作業を続けてきました。人々の心のささえとなったとなったのが、木喰仏の笑顔でした。

 

木喰仏は、200年間変わらぬ笑顔で人々を、励まし続けてきたのです。

参のツボ ぼろぼろ、つるつるこそありがたい


宮崎県西都市歴史資料館 蔵

円空仏と木喰仏には意外な共通点があります。

円空仏。よくみてください。傷だらけでぼろぼろです。こちら木喰仏。すり減ってつるつるになっています。

 

では最後のツボ。
「ぼろぼろ、つるつるこそありがたい」

岐阜県のお寺に伝わる円空作の薬師如来。体も顔もぼろぼろに痛んでいます。近所に住む年輩の人が、その理由を教えてくれました。

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村の人 「ま、おもちゃがわりっていうかね。水泳にこれをね、今で言うと浮き袋ですか。このようにしてどぼんどぼんどぼんとやったり。」

「ばーっと放り投げたですね、ばーっと。案外広いところやでね、みおるところに。ばーっと。犬かきでいって早く行って掴むとか。」
「これは木ですから沈まないんですよ。これはずーっと浮き上がるわけですから。それなりの遊び方があるんですね」

幾世代にも渡って子供の遊び相手を努めるうちについた傷。

円空仏は、人々の暮らしに溶け込み、親しまれていたからこそ、ぼろぼろになったのです。

一方木喰仏も負けてはいません。地域のお堂に祭られたこの木喰仏。すっかりはげて、笑顔も消えています。

さて、どうしてこうなったのでしょうか。
ヒントは、像の後ろにある大きなくぼみ。実は雪の日、子供達がこれをソリ替わりにして遊んだというのです。長い間子供達と遊んですりへってしまった顔。でもなんだかにっこり微笑んでいるように見えませんか?


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円空仏と木喰仏は子供の遊び相手を努めただけではありません。

円空の三十三観音像。観音は、人々の苦しみに応じて、三十三の姿に変化(へんげ)し、救うといわれています。

実際に数を数えて見ると・・。おや、31体。2体足りませんね。

 

住職の説明 「村人がね、ちょっとうちのかみさんが調子悪いとか、おじいちゃんが具合悪いっていうような時があった時に仏様をお借りして行って枕元に置いて一所懸命お祈りしたと。で、そういうようなことであちこち貸し出している内に、なくなってしまったということらしいですね。」

 

病に苦しむ人々が手を触れたときについた傷。円空仏は、人々をほんのまじかでやさしく見守ってきたのです。
木喰仏にもこんなエピソードがあります。宮崎県西都(さいと)市に残る木喰の自刻像。顔が見事にすりへっていますね。


こんな訳があるそうです。

郷土史日高先生 「木喰上人様の去られた後、 少しずつ拝みながら削って、いろんな体の調子が悪い時、それを頂いて、飲まして頂いたらしいと。こうやっぱり飲まれたんでしょうね。もうちーっとやから。それをお湯にいれておうっとですね。」

 

木喰は、薬草にも詳しく病人を診察したといわれています。いつしか人々は、木喰の像を煎じて飲むと効き目があると信じるようになったのです。

ぼろぼろつるつるになった仏たち。 この傷は人々の喜びも苦しみも一身に受けてきた証なのです。

今週の音楽

曲名
アーティスト名
I'll be seeing you Jimmy Durante
Sweet Lorraine benny Goodman
You are too beautiful Tal Farlow
selim Bobby MacFerrin
Baubles bangles and beads Dave McKenna
Hal Overton
Blue ronde ala Turk Robby Lakatos
That old feeling Guy Lombardo & His Royal Canadians
Recovery Milt Jackson
Rififi Larry Adler
Everything happens to me Keith Jarett
Ballad for Gabe-Wells Curtis Fuller
Bayside blues Tal Farlow
Bach goes to town Larry Adler
Down among the sheltering palms Barney kessel
How long has this been going on Keith Jarett