【みえDE川柳】 お題:海
パラソルを畳んで海を終わらせる/雨の音さん
「海を終わらせる」という表現は日本語として変に聞こえるが、川柳は省略の文芸とも言われている。この場合の「海」は「海辺で過ごした日々」を省略したものなのだ。上句の「パラソルを畳んで」の「畳んで」と結語の「終わらせる」で、そうした日々との名残惜しさを、目に見えるような表現にしている。
ふるさとの海が子供にしてくれる/E子さん
幾つになってもふるさとは恋しい。「ふるさとの山は有り難きかな」と石川啄木も詠んでいるが、「我は海の子」で海で遊んで過ごした作者には海の方が恋しい。ふるさとの海に一歩足を踏み入れると、たちまち童心に帰ってしまう。「子供にしてくれる」の措辞が言い得て妙である。
懺悔(ざんげ)しに来たのに海が時化(しけ)ている/高崎白雨さん
海というものは母に似て、全てを許してくれるイメージがある。「なんやそんなことかと海に笑われる」という先人の句もある。作者もそんな一言を期待して海に足が向いたのだろう。あにはからんや、今日の海は怒っている。お母さんどころか鬼神の様相である。叱られるだけでなく、海に引きずり込まれるかもしれないのだ。
<入選>
三重の海めざせがんばれ志摩の海/森和夫さん
海へ行く前に畳でリハーサル/汐海岬さん
水掻(か)きが両手に生える海開き/崖っぷちさん
太陽も海に潜って暑気払い/福村まことさん
寝不足の魚花火の上がる海/アンドブルーさん
海の上ときどき走る古いナビ/椋川野ほとりさん
ときどきは浮かんでみたい深海魚/磨育さん
遡上する鮭大会に暇(いとま)乞い/ユキっちゃんさん
ふるさとの海が恋しい冷凍魚/正司(まさし)さん
海に出る頃には角が取れる水/アラレさん
吉崎柳歩先生
「海」は日常的に馴染(なじ)んでいるものだけに、その気になれば発想が拡(ひろ)がる題だったと思います。その割には「海」を表面的に捉えたものが多く、もっと掘り下げた、例えば海の生き物や海で生活する人々、伊勢湾や太平洋、島々、ヨットや貨物船、灯台など、海に関する具体的なものを詠んだ句が少なかったように思います。川柳の作句の経験が少ない人でも、自分自身の生活や体験に照らし、より具体的に、そしてシンプルに、思いのこもった「こと」を詠まれれば、生き生きとした一句が生まれるでしょう。