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阿波踊り記者の取材日誌

コロナ禍でメンバーが半減

コロナ禍でメンバーが半減
「4月の写真ですけど(メンバーは)これだけです」
鳴門教育大学3年生の山﨑佑花さんは、大学の踊り手グループ「鳴響連」の連長を務めています。去年、実習を控えた上級生が引退するとメンバーは12人に。コロナ禍前は30人ほどいましたが、半数以下に減っていました。徳島市の阿波おどりはおととし中止に、去年は屋内を中心に開催されたものの、熱気に包まれ大勢の人たちの前で踊るかつての姿とはほど遠いものでした。
山﨑さん自身も国内で新型コロナの感染が拡大した2020年の入学です。入学式が中止となり、その年の6月にようやく同級生と会うことができたといいます。

少ない人でも”集団美“を

ウイルスへの危機感がいっそう強かった中でも、グループに加わり踊りの練習を始めた山﨑さん。3歳から小学3年生まで母親の地元・鳴門市の阿波踊りに参加したことがあり、規模が大きい本場・徳島市の阿波おどりで踊ることは大きな目標の1つでした。しかし感染拡大で一時は活動中止を余儀なくされたり、1時間しか練習できなかったりと、活動が制限される時期には、グループのSNSで共有した動画を見ながら自宅で練習するなど必死に活動を続けました。
そして最大の難点が「少ない人数」でした。中心メンバーは山﨑さんたち3年生7人と2年生5人の総勢12人。有名連と呼ばれる技量の高いグループでは、踊り手だけでなく鉦(かね)・笛・三味線・大太鼓など「鳴り物」を担当する人を含めると100人を超えるところも少なくありません。集団美を魅せる阿波おどりにとって人数は重要な要素でした。
少ない人でも”集団美“を

山﨑佑花さん

「鳴り物に1人ずつつけると踊り手が7人しか残らないので、お客さんに迫力を見せるのは難しかったです。この夏に阿波おどりがあるかどうか分からないとき、この人数で続けようか迷った人はいたと思います」。
そこで山﨑さんたち3年生が考えたのが、新たな振り付けです。踊り手全員で大きな輪を作りながら1人1人がその場で回転する振り付けは観光名所の鳴門の渦潮をイメージしました。少ない人数でも華やかに見えるよう、それぞれの踊り手が回転する向きやタイミング、そして回転で表現する「渦」の大きさを少しずつ変えるようにしました。試行錯誤を続け、メンバーの誰1人欠けることなく阿波おどり本番を迎えました。

最初で最後の阿波おどり

大通りにできた特設の演舞場
大通りにできた特設の演舞場でスポットライトを浴びる踊り手たち。豪快な男踊りと華麗な女踊りが次々と披露され、笛や三味線などで奏でるお囃子「ぞめき」につられて観光客も踊りの輪に加わります。仲間たちと新たな振り付けで観客を沸かせた山﨑さん。その表情には晴れ舞台で踊り切ったことへの思いがあふれていました。

山﨑佑花さん

山﨑佑花さん

「たくさんのお客さんに見てもらっているなか桟敷で踊ることが一番したかったので、本当に楽しいです。コロナ禍で思うようにいかない時期もありましたが、自分たちが引っ張っていく代になっての阿波おどりなので、達成感も大きいです」。

きつ音で難病で…だから踊りたい

自分を変えようと阿波おどりに参加した人もいます。
徳島県内で看護助手を務める辻寛至さん(27)。小さい頃からきつ音があり、言葉が詰まってうまく話せないことで、人前で話すことが恥ずかしいと感じることも少なくありませんでした。大学卒業後の就職先として公務員を受験したもののかなわず、人と話すことが少ない職場に勤務してからも辛い日々が続いたといいます。
きつ音で難病で…だから踊りたい

辻寛至さん

「公務員試験の面接では『失礼します』や名前を言うのが精いっぱいで、ほかのことを考える余裕が全くありませんでした。勤めた職場でも報告や連絡のときに、奇異な目で見られて苦労しました。配送業もしましたが、そこでもひどく言われて上司から発声練習をさせられたこともあります」。
いつしか一人で悩みを抱えるようになっていたという辻さん。
そして社会人になってから1年ほどして転機が訪れました。激しい下痢や発熱、体重の減少などの症状が出る難病のクローン病と診断されました。半年ほどは肉などを食べることができず、体重は70キロから48キロに減少。日常生活を送ることができるまで症状が落ち着いた今も、1日2回の服薬と2週間に1回の注射を続けています。

辻寛至さん

「難病になった当時はとても不安で、病気について朝から晩まで調べる日々でした。一生こんな生活が続くのかと絶望していましたが、仕方なく我慢して生活していました」。
辻寛至さん
きつ音もクローン病も完治の方法が分からず、一生付き合っていかなければいけないという辻さん。病気を受け入れられず、自信を持てずにいた自分を変えたいと飛び込んだのが、踊り手グループの1つ「蜂須賀連」でした。きつ音のことを自分から打ち明けても、周囲の態度は変わらなかったといいます。

辻寛至さん

「連員からは『うちの連でそんなん言う人おらんけんな、心配せんでいけるよ』という言葉をいただきました。阿波おどりを通していろいろな人と関わって、たくさん話をして意見をきいたりして、少しでも今の自分を変えようと思います」。
辻寛至さん
一から丁寧に指導をしてもらい、次第に阿波おどりの練習が楽しくなっていったという辻さん。祭り本番では、ちょうちんを手にグループの先頭を誇らしげに歩く姿がありました。

辻寛至さん

「初めての経験で緊張したんですけど、すごい楽しかったです。阿波おどりはこれからずっとしていきたいと思っているので、自分自身も変わっていきたい。蜂須賀連でチームワークを深めて成長していきたい」。
3年ぶりの本格開催となった阿波おどり。さまざまな思いを胸に、街じゅうが一緒になって踊り明かす徳島の夏が終わりました。
藤原記者踊りに挑戦

プロフィール


記者 藤原哲哉 2020年入局
埼玉県出身
徳島局に赴任してから阿波おどりに魅せられ取材にまい進

3年ぶりの“最大規模”に高まる期待

桟敷席の準備

毎晩9時ごろまで鳴り響くお囃子の音色と、踊りを練習する「連」(れん)の人たち。
8月に入り徳島市の街なかは桟敷席やちょうちんの設置作業が進み、一気に祭りの雰囲気が高まっています。

行動制限のないこの夏、7月は京都の「祇園祭」や福岡の「博多祇園山笠」など、日本を代表する祭りが3年ぶりにコロナ禍前とほぼ同規模で開催され、かつての風物詩が戻りつつあります。 徳島県でも7月半ばから新型コロナの感染者数が急増し、実行委員会が阿波おどりの規模縮小を検討したものの、最終的には「最大規模」での開催が決まりました。おととしは中止、去年は規模を縮小しての開催だったため、街なかに桟敷席を設けた「最大規模」の開催は3年ぶりです。

ホテルや旅館で満室相次ぐ

宮本全人さん
 久々の活気に最も大きな期待を寄せているのが宿泊業や飲食業です。
徳島市中心部ではホテルや旅館の満室が相次いだため、宿を確保できない人たちのために特設のキャンプ場が開設されることになりました。コロナ禍前は例年こうしたキャンプ場が設けられ、多い年でのべ1000人以上が利用していましたが、観光客が宿を確保できない状態は実に3年ぶりです。

キャンプ場の運営団体 宮本全人さん

「2年間の中止を余儀なくされたので、もう本当にやっと開催できるなって、ワクワクしている感じです」

第7波の不安も

全日空徳島支店 大山芳香支店長
 一方、不安なのが新型コロナの第7波です。「最大規模」の開催が決まってからも感染拡大の勢いは弱まらず、徳島県内の1日に発表される感染者数は8月7日に初めて1000人を超えました。
大手航空会社ではすでに利用客の予約に影響が出始めています。コロナ禍前は阿波おどり直前に東京から徳島に来る便がほぼ満席だったため、ことしの予約も同じ水準にまで回復すると見込んでいました。しかし7月時点で予約が埋まったのは全体の7割あまりにとどまっています。
感染状況を考慮して、徳島空港で観光客を迎えてきた阿波おどりの公演は中止になりました。
有名連と呼ばれる代表的な踊り手グループなどが、空港の正面玄関でお盆の時期だけ披露するこの催しは帰省した人や国内外からの観光客に徳島の夏を感じてもらう風物詩でした。

全日空徳島支店 大山芳香支店長

「第7波では思いのほか感染者数が大きくキャンセルも出てきています。想定以上に予約が伸びず、皆さんも『ちょっと様子見』といったところだと思います」

踊りの支え手も厳しい

美馬 マサ子さん
 感染拡大への不安は、踊りを支える人にも影響を及ぼしています。
鳴門市で美容室を営み、若手美容師の育成にも取り組んできた美馬マサ子さん。美容師の傍ら、40年ほど前から踊り手の衣装の着付けを続けています。かつては阿波おどりにあわせて寄港するクルーズ船の観光客を中心に、期間中は150人ほどに着付けを行っていましたが、ことしの予約はその3分の1だといいます。観光客だけでなく、企業の踊り手グループなども参加を見合わせるケースが多く、かつての熱気を取り戻すのは道半ばだと言います。

美馬 マサ子さん

「ことしも皆さんが本気でのっている感じがしない。『阿波おどりはあるけど・・・』という感覚だから、踊り子さんが少ないと思うんです。そういうなかで祭りがどうなるのか、私はまだ読めない」。

3年ぶりの熱気は戻るのか。
期待と不安のなかで徳島の夏が始まろうとしています。
藤原記者踊りに挑戦

プロフィール


記者 藤原哲哉 2020年入局
埼玉県出身
徳島局に赴任してから阿波おどりに魅せられ取材にまい進

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