大阪万国博覧会が契機に
カラー放送開始から6年たった1966 ( 昭和41 ) 年3月には全国カラー放送用マイクロ回線網が完成、カラー放送の全国での視聴可能範囲は93%になった。そして万国博覧会のはじまった1970年4月には、NTVは夜のゴールデンアワーを完全カラー化し、1971年10月には、NHK
( 総合 ) の全放送時間が完全カラー放送となった。1972 ( 昭和47 ) 年のカラーの受信契約数は、1,000万台を超えて1,179万に達し、白黒テレビの契約1,172万と逆転した。
当時、テレビ関連機器の性能は飛躍的に向上し、価格の低廉化も進んだ。1970 ( 昭和45 ) 年4月から半年にわたる万国博覧会の開催期間中、会場からの生中継は、万博ブームとカラーテレビブームを全国に巻き起こした。
また、テレビ標準方式の異なるヨーロッパとの番組交換にあたって必要不可欠な方式変換装置を、1970年に完成させている。これにより万博や札幌冬季オリンピック等の国際的イベントを全世界に中継できるようになった。
1975年、放送開始50年
1975 ( 昭和50 ) 年3月22日は、放送開始50周年にあたったが、テレビ受信契約数は、この時点で2,575万に達した。NHKの当時の推計では、テレビ受信機の普及は、1975年11月現在で約4,600万台
( うちカラーテレビ約3,200万台 ) となっていた。
またNHKの「国民生活時間調査」によると、10歳以上の国民がテレビを見る視聴時間は、平日で1日3時間19分、日曜日は4時間11分
( ラジオは平日35分、日曜日31分 ) となった。テレビに毎日接触する人が95%に達し、国民の日常生活に深く根づいたのである。
またその間、放送技術も驚異的発展を遂げた。放送局の送信側の設備、カメラや中継、ENG ( Electronic
News Gathering ) などの取材システム、番組の制作、中継システムなどの革新、視聴者側の受信機の発展、VTR・リモコンの登場などが、放送の中身であるコンテンツの充実を支援した。
テレビ文化とテレビによる流行
テレビは、1970年代ほぼすべての家庭に普及して、人々の日常や情報環境を支配するようになった。『朝のワイドショー』『連続テレビ小説』などもはじまり、1日の生活のリズムに合わせて多様なソフトを多様な様式で提供するテレビは、次第に「テレビ的」な番組や表現を生み出し、生活の中に溶け込んだ。人気ドラマ、音楽、タレントなどが流行の発信地となり、テレビが仕掛ける流行や大衆文化が日常化した。
スポーツ中継でも野球場や相撲の桟敷で見るより、テレビ席の方がより自由で解説が聞け、リプレイなどの電子メディアを使っての演出がより楽しい経験を生み出した。実体験よりテレビ桟敷が面白いというテレビ文化・スポーツ観戦が日常化してきた。
1.FM放送
2.方式変換装置
3.茶の間文化の形成
4.次の時代のための研究開始
|

万博中継 ( 1970 )

南極中継 ( 1979 )
|